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ADHDの殻を被ったアスペルガーの娘について

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この記事は40代の女性に書いていただきました。

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 長男が1才7ヶ月の時に娘が生まれました(現在高校3年生)。小さい頃の娘を育てていて、時々、極端な性格に驚いたり、何とも言えない違和感を抱いたり、でも、この子は天才かも・・・なんて思っていました。

違和感と不思議感

 娘は赤ちゃんが通常行う「指さし」を全くしませんでした。指差しの意味は自分が興味のある対象を周りの人に教えるためだったりしますが、これは相手と触れ合うための行為です。また、娘は、添い寝をしていても必ず私に背中を向けて寝るのです。これは今でも理由がわかりません。1才2ヶ月で上手に歩けるようになった娘は、眠くなると枕を抱え、一人で寝室に向かうようになりました。

 遊ぶ時もいつも1人で黙々と遊んでいたのを覚えています。手がかからず楽でしたが、少し違和感を覚えました。なぜなら、いつも遊び相手を求める長男とあまりにも違うからです。しかし、娘が赤ちゃんの頃は、検診などで発達障害という言葉を聞くことはありませんでした。

 違和感だけではなく、不思議感もありました。急に止めさせたかった癖が直ったり、できなかったことができるようになったり、頭が良かったり…。娘が2才の頃、長男を歯科検診に連れて行った時です。長男に初期の虫歯が見つかり、泣き叫びながら治療をしている声を聞いていた娘は、虫歯の絵本を見ていました。どうして虫歯になるの?と尋ねる娘に、指をチュッチュ(指吸)してたからじゃない?と応えたところ、その晩から、親指がタコになり切れるほど酷かった指吸をパタリと止めたのです。チュッチュしたーい!と叫びながら…。

 また、2才の誕生日前からトイレトレーニングをするものの、全く進展せず、どうしたものかと思いながらも、3才の誕生日が近づいてきた時、娘に私がトイレをする様子を見せました。こうやるんだよ、と。するとその日から排尿は全てトイレでするようになりました。視覚的に教えたら理解できたのです。発達障害の子は絵で見せたほうが理解が早い場合もあり、娘も同じでした。

 時々違和感はあるものの、それは親にとって紙一重的なところもあり、とても天真爛漫で朗らかな娘は、何でも率先してやり、物怖じせず、文字もひとりでにいつの間にか覚えていて、「この子将来出世するかも」・・・と思ったりしていました。

娘の発達障害特性

 娘は「ADHDの殻を被ったアスペルガー」と診断を受けています。その性質について説明します。
(1)買い物に行くと私の存在を忘れ飛び出していきます。

 ADHDの多動性で欲求が抑えられず飛び出してしまうのです。しばらく様子を見て声をかけると、「ママは迷子だったね」と言っていましたが、その時には、娘は「大物になっるかも」と思っていました。

(2)何でもすぐ壊します。
 感覚統合(五感などを統合して活用すること)がうまくいっていないため力加減が身に付きにくかったのが理由です。「丁寧に扱いなさい」と言葉で注意しても分かるはずがなく、豪快な子だと思っていました(参考記事「私の発達障害の子供は病院で作業療法(感覚統合療法)を受けている」)。

(3)小学生になり、冬場に、下着に長袖シャツにトレーナー、その上にジャンバーを着て学校に行くように教えると、春になってもその格好で学校に行く娘。暑いでしょ?減らしなさい、と言うと、お母さんがこう教えたから!と反論してきました。一度、これはこうするもの、と覚えると融通が利かないところが沢山あります。パターン化した行動を続けたくなるのもアスペルガーの性質です。

「この子天才かも?」から不安への心境変化

 小学校高学年になってくると友だちとのケンカが頻繁になりました。いい子なんですが、なぜかケンカになる、なぜか人を怒らせる、この頃娘はとても口が達者になり、私のことも酷く怒らせるようになりました。叩いたら分かるのか?もう少し強く叩けば、
と、だんだんエスカレートし、もう娘に手を上げたくなくて、娘を叩いた後に一人で泣いていました。
 主人は娘に甘く、何も心配せず、私の躾のせいだと言いました。その頃から、娘は天才かもと思っていた気持ちが、「もしかしたら発達障害では?」と考えるようになっていました。

~発達障害発覚から現在~

 小学校高学年の頃から、友だちとのトラブルで学校からよく連絡がくるようになり、
中1の時、いつものごとくまたケンカ、私は学校に呼び出されました。ケンカ相手は隣のクラスの男の子。男の子の担任の先生が仰った一言で、ついに私は娘を専門医に受診させることを決意しました。
 「コミュニケーション力がちょっと低いのかな・・・」
と言われたのです。

 とはいえ幼児期の検診で引っかかったこともなく、どこにどう相談して良いやら・・・思いついたのが市の保健師。そこに電話して病院を紹介していただきました。

 知能テストを受けたり、カウンセリングを受けたりして、娘は「ADHDの殻を被ったアスペルガー」と診断を受けました。確かに匂いや音、食感に敏感で、思い当たるところは沢山ありました。特に音に敏感で、車の窓を開けたり、お風呂の換気扇を付けるといきなり激高することがあったり、野菜を噛む時の音が嫌い、肉の脂身が嫌い、と偏食も多く、いつも貧血に気を付けていたのです。

 その診断を受けたとき、心の準備はできていましたが、私は複雑な気持ちでした。自分の躾が原因ではなかったという気持ち、今まで無理を強いてきて娘に申し訳ないと思う気持ち、もう今までのように叱らなくていいんだ、じゃぁこれからこの子をどう育てていけばいいの?など色々な気持ちが交錯していたのです。本当にアスペルガーなの?いや普通の子だわ、いやでも・・・と否定と肯定を繰り返しながらの毎日でしたが、仕事柄、私も発達障害について学ぶ機会が多く、自主的にも色々な勉強会に参加し、また、病院に通い専門医から色々教わるうちに娘のことが理解できるようになりました。同時に私自身、娘と近いところが沢山有ることにも気付かされました。

 そしてあるとき、療育を担当してくださる作業療法士の先生に「思春期は酷いことになる。でも娘さんは母親を100%信頼しているし、すべてをお母さんに打ち明けられる子だから二次障害はさほど心配することはないだろう。大変な時期が長く続くけど、思春期は必ず終わりが来るから」と言われました。本当に学校ではケンカばかり、家ではひどい反抗期、娘自身も自分の特性を大変な思春期をやっと乗り越え、最近は優しい娘に戻りつつあります。

 アスペルガーは、非言語コミュニケーション(表情など)を理解するのが難しく、人の気持ちを汲み取るのが苦手なところがあるので、今でも悪気もなくいきなり私の逆鱗に触れるようなことを言ったりもしますが、思春期の荒れていた娘を思い出すと可愛いくらいです。

 高校は、全日制の高校の商業科に進学しました。一年生のうちにタイピングなどモノによっては検定の1級を一発合格したりと、アスペルガーならではの極端な才能を見せましたが、2年の夏、友人関係に疲れて通信制に転校しました。いまはアルバイトをしながら卒業を目指してレポートを書き、週に2回ほど通学しています。

 早くから娘のことを分かっていたら、もっと力になってあげられたかもしれない、
もっと違う力を引き出してあげられたかもしれない、お互いに、あんなに辛い思いばかりせずに済んだかもしれない、と思うと申し訳ない気持ちです。これから娘が少しでも幸せに暮らせるよう、一緒に頑張っていきたいです。

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