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幼少期から続く私のADHDの症状。1年に2台車を廃車に

 

この記事は20代の女性に書いていただきました。

…………

 私は医師からAHDHの診断を受けています。ADHDは幼少期からその性質が現れることが多く、私もそうでしたADHDとは、不注意、多動性、衝動性から成る脳の障害です。これらを幼少期からあった私の症状で説明していきます。

 ADHDの症状として代表される「片付けができない」(不注意性)というのが一番顕著に表れていたのは小学生の時でした。2年生の時に家を建て替えましたが、私と妹の部屋はまだ分けられておらず、勉強・遊ぶ部屋と寝室が妹と一緒でした。自分のスペースはかなり散らかっており、半分に分けた妹のスペースへも侵食し、妹からは「恥ずかしくて友達を部屋入れられないから、片付けて」と言われる始末です。同様に学校の机の中・ロッカーの中もぐちゃぐちゃであり、優しい友達が定期的に片付けてくれていました。

 次に目立った症状が「忘れ物が多いこと」(不注意性)です。4年生の時、忘れ物を1つにつき漢字ノートに漢字を3ページ書かされていたのですが、ひどい時は12ページ分書きました(つまり、4つ忘れ物があったということ)。おかげで漢字が得意になったというのはまた別の話になりますが。低学年の時は母が時間割を見てくれ教科書などを用意してくれたのですが、中学生から自分で用意するようになったので、教科書がない・定規がない(三角定規)・給食の配膳係の割烹着がないなど忘れ物をしない日はなかったのです。節分の時期に「〇〇鬼を退治しよう!」の〇〇の部分に自分が直したい癖を書き込むという宿題がありましたが、私は忘れ物をする癖を直したかったので「忘れん坊鬼」と書きました。しかし、その鬼は20代後半になった今でも退治されておりません(笑)

 あと顕著に現れた症状が「多動性」です。集会などずっと座っていないといけない時は服のゴミを取り続けたり、目を寄り目にしてフワーと光が落ちていく感覚を楽しんでいたり(この感覚は説明しづらいですが)、また、ひたすら足の毛を抜き続けたりしていました。とにかく、じっとしていられなかったのです。

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現在も続く症状

 幼少期はこのような症状も「個性」と受け入れられ、私もそれによる不便さはあまり感じていませんでした。しかし高校を卒業し社会に出るようになってから「生きづらさ」を感じるようになりました。

 まずは「不注意性」から説明します。私は卒業した後に車の免許を取得し、自分の車を持ち始めたのですが、納車2週間で対車事故を起こしてしまいました。幸いにも相手方も自分も大きな怪我はしなかったのですが、その車は廃車になってしまいました。その半年後、また車を購入したのですがその車も事故で廃車。1年のうちに2台も廃車にしてしまいました。

 その原因とすればやはり不注意によるものです。1度目は信号無視で、ぼーっとして見落としてしまったこと、2度目はよそ見運転で、携帯が鳴ったことで気を取られてしまったからです。2台も廃車になりましたが、今も生きているのが幸いです。

 不注意で言ったら、もうひとつ困っている症状があります。それは「物をよく失くす」ということです。物を置いて他のことをすると忘れてしまい、どこにあるか分からなくなるのです。それで財布は5回失くし、携帯電話は何回失くしたか分かりません。財布は幸いなことに毎回誰かが拾ってくれ、無傷で交番などに届けられています。携帯はレンタルビデオ屋に置いてきてしまったり、母のカバンから出てきたこともありました。

 「衝動性」で言うとお金遣いが荒いということです。ショッピングなどをしていて欲しいものがあると我慢できずに買ってしまうのです。その為家計は火の車です。同様に恋愛においても「あの男性を欲しい」と思うと止まらなくなるのです。幼少期には衝動性は目立たなかったのですが、大人になってから酷くなった気がします。

 「多動性」については幼少期はあまり不便を感じたことはなかったのですが、今になって困っていることがあります。セミナーや会議などで同じ場所に2時間ほどいるとうずうずしてきてしまい、落ち着きがなくなるのです。思えば友人と食事をしている時も長い時間いると、落ち着かなくなってきます。最近では「電話をしている人」の前にもずっといられないことに気づきました。単純に人の声が煩わしいというのもありますが、「話したいけど話せない」ということが我慢できないのです(つまり、目の前で電話している人と話したいけど、電話しているから話せないので、そのため落ち着かなくなるということ)。

通院、そして不信感

 朝の情報番組で栗原類さんがADD(注意欠陥障害)だということを取り上げられていて、それを観たとき「私もこれじゃないか」と思ったことが受診のきっかけでした。高校卒業してからうつ病になったのもあり、精神科のある病院へ行くことに抵抗はありませんでした。その日のうちに近所の病院へ行ったのです。

 あまり混み合っていなかったので、すぐ診察してもらえましたがその病院ではADHDの専門医がいなかったのもあり、「ADHDの傾向はある」というのは言われても診断はされませんでした。住所が茨城なのもあり、発達障害を診てくれる病院は少なかったのです。

 そんな折、知り合いが、池袋にあるメンタルクリニックでADHDの診察を受けたというので、私もその病院で受診をしようと思いました。予約の電話の時点で症状について聞かれました。私は仕事で困っていること、幼少期から症状があること、そのことからADHDではないかと伝えました。診察が始まると、まず症状を聞かれチェックリストに書き込まれていきました。このリストは5段階評価であり、5-当てはまる 4-やや当てはまる 3-どちらともいえない 2-やや当てはまらない 1-当てはまらない となっていました。その後、実際困っていることを伝えると、その場で診断され、投薬治療をするということで「ストラテラ」を処方されました。

 そんな診断に納得してはいなかったのですが、前に意見をしたら医者に怒られたことがあったので言えず、とりあえず薬を飲むことにしたのです。自宅へ帰り、「ストラテラ」を服用しました。すると1時間ほどで強い吐き気があったので、横になると目が回り出しました。目が回ると言っても比喩ではなく、本当に目が回ってしまい、眼球がぐるぐると回ることが止められませんでした。診断に納得をしていないのであれば薬を飲まなければ良かったのですが…。

 診断に納得がいってなかった理由は診断方法として「幼少期の記録(通知表やテストなど)」と「親など幼少期を知る証言者」が必要であるというのをネットで見ていたのですがそれを求められなかったこと。そして、簡単な問診だけですぐに投薬治療を始められたこと。この2つです。私の10分ほどの証言のみで簡単に判断をしたのです。これが「誤診」だった場合どうするのだろう。私は悩んでわざわざ発達障害を専門とする病院へ行ったのに、きちんとした診察をしてくれなかったことが不服でした。

 しかしそういった医者が多くいることは知っていました。つまり、薬で儲けるために簡単に処方してしまう医師です。精神病の治療のために複数の薬を処方してしまう医師が一時期問題になりましたが、発達障害の薬でも当てはまるのではないかと感じています。ですので、薬を飲むことをせず、自身の障害は自分の力で乗り越えようと頑張っています。

[参考記事]
「ADHD(注意欠陥・多動性障害)とLD(学習障害)の特徴について」

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