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ADHDの息子と向き合った20年。障害に気付いたのは中学時代

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この記事は40代の女性に書いていただきました。

……….

 私の息子は発達障害(ADHD)です。昨年20歳を迎え成人しました。

 発達障害であると分かるまで、そして分かってからも、息子と向き合う日々は葛藤の連続でした。そんな我が家の20年の経験をご紹介したいと思います。

幼少期に気になっていたことと先生からの言葉

 息子は我が家の三男として誕生しました。5歳上の兄と一歳上の兄の三人兄弟の末っ子です。産後すぐから一歳を過ぎる頃までは、兄二人に比べてあまり泣くこともなく、ミルクや離乳食でお腹がいっぱいであれば大抵は大人しく寝ている、手のかからない赤ちゃんでした。

 一歳半を過ぎた頃、私が働きに出ることになり保育園に預けることになりました。それから小学校入学迄の4年半、保育園に通いました。通い始めた当初は特に気になるようなこともなかったのですが、動きが活発になってくる3歳児クラスになってから、担任の先生から度々、連絡帳に「言うことを聞かなくて、もう面倒見切れません!」と書かれることが何度かありました。

 園では晴れている日には、散歩に行くのですが、帰る時間になって先生が「さあ!帰るよ〜」と声をかけると、皆一例に並んで保育園に向かって歩き出すのですが、三男だけは列から外れて、反対方向に向かって走り出してしまうということが度々あったのだそうです。

 他にも園庭で遊んでいて先生が目を離した隙にフェンスを乗り越えて脱走しようとしたり、言葉がうまく話せないことが原因となって、お友達と言葉でコミュニケーションを取ることが出来なくて、つい手を上げてしまったり、蹴飛ばしたりということが頻繁にあり、乱暴な子、わがままな子というイメージで他の子のお母さんから見られることもしばしばありました。

 それでも、大抵のお母さんや先生方は怒ることもなく、理解を示して下さいました。そして、私はまだこの時は発達障害だとは全く思いつかず、ただヤンチャな子、末っ子で甘やかしたから我がままなのだとばかり思っていました。

 ただ、一番良く面倒を見て下さった男性保育士の先生から「これからが大変だよ」と言われました。それを聞いた時にはヤンチャだからだろう位にしか思っていませんでしたが、先生はハッキリ「発達障害(ADHD)」とは言わないまでも、三男の様子を何年も見てきて気づいていたのでした。私がそれに気付くにはその後何年もかかりました。

小学校に入学してから卒業まで

 小学校に入学してからは、イタズラやヤンチャぶり、落ち着きの無さは更にヒートアップしました。授業中じっと座っていられなくフラフラと校内を歩き回り、たまたま空いていたPC教室でパソコンで遊んでいたり、授業中に先生にあまりに言うことをきかないため「帰れ!」と言われると素直にその言葉通りに帰ってきてしまったり、ヤンチャな子達と校庭に穴を掘って遊んでいたりとやりたい放題でした。この時、既にADHDの多動性の特徴が出ていましたが、私は全く気づきませんでした。

 毎日のように学校から連絡があり、校長先生から「毎日学校に来て彼についていて下さい」と言われたこともありました。しかし、我が家はシングル家庭で私は仕事に行かねばならなく、ひたすら謝り続ける日々でした。

 更に五年生の進級時のクラス替え以降は段々と遅刻が増えていき、登校時間が午後からになり、卒業する頃には放課後、顔だけ出しに行くという状態になりました。

中学時代に発達障害(ADHD)では?と気づいた

 中学に入ると「制服が堅苦して嫌だ」「全校集会の間じっとしているのが耐えられない」と言い出し、入学式以降、1日に1度、担任の先生に会い、登校したという印鑑を貰うのみになり、授業には一切出ない日が一か月続きました。しかし、そこまではまだ良かったのです。

 ゴールデンウィークに入り、1度だけお友達と映画に行くと出かけましたが、休み明けからは全く学校には行かなくなってしまいました。不登校については、長男でも経験があったので、怒りはせず見守ることにしました。そして、それは中学卒業までずっと続きました。仲の良いお友達は何人もいましたが、一切会わなくなり、電話すらしなくなりました。毎日部屋に引きこもりパソコンでネットサーフィンをしたり、ゲームをしたりして過ごしていました。

 不登校であることよりも、家族以外の誰とも接触しないようになったことが心配でした。唯一、次男の部活の後輩のほとんどが三男の友達だったため、よく家に遊びに来てくれ、その時だけは一緒に遊ぶことが救いでした。

 そんなある日、私は図書館に本を借りに行きました。そして何の気なしにある方の手記に感心が湧き借りて読んだことが、三男のADHDに気付くきっかけとなりました。その手記には息子さんのアスペルガー症候群と向き合い葛藤しながら共に生きる毎日のことが、切々と書かれていました。そして、その内容、特徴が三男に幾つも当てはまることに気付きました。

来院とADHDとの診断

 その後、何回か病院へ行こうと話しましたが、「外に出たくない」と言われ、なかなか病院へは行けなかったのですが、中学三年の夏休みに自分から行くと言ってくれ、私は三男と共に隣の市にある発達障害の専門外来のある病院へ行きました。

 臨床心理士さんから呼ばれ、最初は私一人で問診を受けました。幼少期からこれまでの生活の様子を全て話しました。その後、診察室から呼ばれ息子と二人で診察室に入りました。私は「アスペルガー症候群のご家族を持つ肩の手記を読んで、もしかしたら?と思い来院したのですが…」と話しました。

 先生からの答えは「アスペルガーではなく、ADHDだと思います。」でした。その後、何回か検査を受けADHDであると診断が下りました。ですが、それ以降は一切、病院に行かなくなってしまいました。

公立高校に合格したものの敢えなく退学

 「高校には行かない」と言っていた三男でしたが、担任の先生の強い勧めで「受験だけでもする」と言ってくれ、独学で猛勉強を始めました。そして、奇跡的に合格し、「高校には行く」と言ってくれ、私は肩の力が抜ける思いでした。担任の先生もとても喜んでくれました。

 しかし、入学式当日の朝、突然、「やっぱり行かない」と言い出し入学式すら出席しないまま、一年後に退学届けを出しました。その頃から私と三男、そして次男と三男の関係が徐々に悪化し始め、毎日家庭内はケンカばかりになり、次男が包丁を持ち出し三男の寝ている部屋に行くというようなことや、まるで殺し合いのようなケンカが度々続き、私は精神的にかなり参っていきました。

 そんな日々の中での唯一の救いは三男が高校卒業認定試験を受けて、費用が安く済む国立大学に進みたいと言い、独学で猛勉強してくれていたことと、FX(外国為替取引)を学び始めていたことでした。しかし、それは長くは続きませんでした。

 数ヶ月後には「やっぱりやめた」と言い、勉強もFXもやめてしまい、勉強のために買った大量の参考書や問題集は半分以上が手つかずのまま、三男が自ら処分してしまいました。

七年間の引きこもり生活を経て

 その後は中学時代同様にパソコンとゲームをしたり、ネットを通じて仲良くなった子や年上の社会人の方などとSkype通話したりして過ごしていました。

 転機が訪れたのは、長男、次男が独立したのを機に、二人暮らしにちょうど良いマンションに引っ越してからでした。それまでは単なる遊びとしてしかパソコンを使っていませんでしたが、プログラミングの勉強を始めたのです。

 発達障害を抱える人はプログラミングを仕事にしている人も多く、息子もそちらの方向に進んで行ってくれたらと思っています。継続的にではありませんが、今はクラウドソーシングサイトを通じて、仕事を受注しています。

 三男と向き合ってきた20年間、多々大変なこともありましたが、私自身、人間として成長出来たと感じています。

[参考記事]
「ADHD(注意欠陥・多動性障害)とLD(学習障害)の特徴について」

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