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自閉症スぺクラム障害の二次障害により自殺未遂を繰り返す日々

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この記事は30代の女性に書いていただきました。

…………

中学生で挫折

 私は20代の頃に自閉症スぺクラム障害と診断を受けています。振り返ると、その性質が至る所に見えますが、当時は全く分かりませんでした。

 最初に自分が挫折したと感じたのは中学2年の時でした。基本的に女子で群れることが好きではない私はトイレは自分の感覚で行くし、中休みや昼休みもその時集まったメンバーで遊べばいいと感じていました。

 また、正義感が強く、ギャル系の子は苦手としていました。自閉症スぺクラム障害の人はルールから外れることを嫌う傾向にあるのですが、そのギャルの子は校則を違反して髪は染めたりしていました。でもその子と喧嘩をしてしまった時に私に好意的だった子たちから急に次のように言われました。

「Aさんと話してもファッションや芸能人の話とかできないし、スキンシップが多いのも嫌だったんだよね。だからBちゃんと仲良くしたいからAさんとは縁切るね」

 何を言われたのか一瞬理解できませんでした。今であれば理解できます。私は興味があることであれば寝食を忘れるくらい集中しますが、興味がないファッションや芸能人の話になると耳に会話が入ってきません。また、人との距離感が掴めないために過剰にべたべたする傾向があります。これらは自閉症スぺクラム障害の性質として認知されていますが、この時には私の性格のせいだと思っていました。それでも、私は「縁を切るのも個人の自由で、私は学校に勉強に来てるんだから別にいいや」と思っていました

 しかし、そこに立ちはだかったのが日本の教育方法。授業によっては仲のいい人と組んで一緒に何かをやるというものがありました。当然、友達がいない私は一人ぼっちで、勉強すらまともにさせてもらえなくなりました。

 それでも頑張って通いましたがある時から「怪我をすれば病気になれば休めるのではないか?」と考えはじめ、わざと目を擦って腫らしたり足首をひねった状態のまま全体重をかけ続けたりして学校に行かなくていい方法を探して試しました。でもそれにも限界が来て段々そんなことを考えたり実行する自分が嫌になり、最初の自殺未遂をしました。これは自閉症スぺクラム障害による二次障害なのですが、当然気づくわけもありませんでした。

 母は驚いて自分が仕事で手一杯で私の状態に気づけなかった事をとても悔いていました。心療内科にかかってみましたが、PCばかり見てこちらの話を聞かない先生に嫌気がさして3回通って行かなくなりました。スクールカウンセラーの所へ登校していたこともありましたが、海外からの留学生のお勉強室に変わってしまったため居づらくなって学校は完全不登校になりました。でも高校は行きたかったので自宅でできる範囲で勉強はしていました。

高校生になっても人間関係でつまずく

 高校は昼間に通える定時制高校に決め、どうにか無事に入学しましたが、やはり挫折しました。まず人間関係。なぜいろんな事情を抱えてきている人が多いのに私だけ揉めるんだと思い、行くのが嫌になって最初の3年間殆ど行きませんでした。ここでも自閉症スぺクラム障害による性質により、コミュケーションが取れませんでした。

 しかし、通常4年卒業の学校だったので諦めかけていましたが6年までいられると聞いて頑張りました。学校に行くようになった5年目はほとんど1人で授業を受けて一日誰とも話さない日がありました。でもそれが何故か私には心地良かったです。どうにか6年で卒業ができて仕事に就くことができました。

社会人になっても同じ苦しみ

 最初の仕事は事務でしたが、親族経営の会社で動物もたくさんいてアトピーの私には耐えられず、そしてとうとう足の裏全体に痛みのある出来物ができて歩けなくなり、仕事を辞めました。

 次は派遣でデータ入力の仕事。仕事内容は文句なく向いていましたが、ここでも人間関係で問題があり、あげく派遣社員の雇い過ぎで仕事が暇になったという理由で契約を切られました。次に物流会社の事務に正社員前提で入ったのですが、ここでも人間関係が作れなくて、声が出なくなりました。そして辞めました。

 次にインターネット喫茶にアルバイトで勤め始めました。このころ家計の関係でもう一つ仕事を増やさなきゃと思っていた矢先、あと半年で店を閉店すると言われました。仕事中持ち前の正義感から仕事をだらだらやっているもう一人の人へのストレス。仕事をもう一つ探さなきゃというストレス。そして最後に店の閉店で無職になってしまうというストレス。全部が圧し掛かってきました。何より嫌だったのは「また面接を受けまくらなきゃいけないこと」でした。高校を6年で卒業というのはやはりマイナスにしか受け取ってもらえず、面接を受けるのが大変でした。

 そのいろいろなストレスが一気にかかった瞬間、何かがはじけて幻聴や幻覚でもう一人の私が「死んじゃいなよ」と囁いてくるようになりました。自閉症スぺクラム障害による二次障害がぬくぬくと顔を出してきたのです。

 このままでは死ぬと思うと怖くなって自殺防止相談に電話しました。それから精神科にかかることになり私の闘病生活が始まりました。

▼精神科と先生との相性

 最初にかかった時は「うつなのか?不安障害なのか?」と先生も分からない状態で薬が出されて終わり。症状を言うたびに薬が増えていき、イライラが段々抑えられなくなっていき自殺未遂が増えました。そしてとうとう強制入院させられましたが、そこの環境のせいなのか膀胱炎になり、アトピーがひどくなり、薬の副作用で口の感覚がなくなり、食べることも飲むことも涎のコントロールもできなくなりました。怖くなった私は母に退院したいことを伝えてどうにか退院しましたが、一時は良くなったように見えてもまた自殺未遂が増えました。

 頭を剃刀で剃ったりと精神的に不安定になり、全く一歩も自宅から出ないことが2年続きました。最終的には薬の副作用でトイレも食事もお風呂も自分では出来なくなり、母が全て介助してくれました。そのことに担当医は「そんなことやっていたら将来親子で殺しあうことになるよ」と言っていました。

 そして薬の副作用のせいか唾液のコントロールができず、ずっと口の中で舌が「ちっちっちっちっち」と鳴る為寝られなくなり担当医に相談したところ、

「じゃあ副作用止めの薬飲んで治まらないなら多めに飲んでいいから」と言いました。

 母はそれを聞いて唖然としていました。

 前に生理不順になってしまった時にも「病院に来ない方が楽でいいじゃない」と言う先生だったので母はもうこの先生にかかるのはやめたほうがいいと判断し私も同意しました。

 でも新たに病院を探すには私自身が不安定だったため、薬を勝手に減らしてしまいました(※絶対に勝手にやってはいけません!!)。ですが離脱症状が出ず、体調は非常に良くなりました。薬を止めて2日で生理は来るし、自分で食事もお風呂もトイレも行けるようになりました。そのお陰で完全引きこもりから3年目にゴミ捨てで久しぶりに外出しました。

 その後、テレビで発達障害の番組を見て私はひょっとしてこれではないかと疑問に思い、健康福祉センターで相談したところ、定期で来る精神科の先生に診てもらうことになりました。先生に幼少期の頃からの話をすると「発達障害の可能性がある」と言われたので、紹介状を持って大人の発達障害を見てくれる病院に行きました。病院では幼少期の頃のことは聞かれましたが私からの情報だけで母から話を聞くことはなかったです。そして心理テスト、知能テスト(WAIS)を受けて言われたのが

「発達障害ではなく環境の問題」そして「虐待って知ってる?」でした。

 虐待もされていないので、この結果に納得できず、私はセカンドオピニオンで別の病院で見てもらおうと考えて今の担当医に行きつきました。今の先生は母からも私からも話を聞き、母子手帳を見たり幼稚園の頃の作品や先生のコメントが書いてあるものを見たり、検査もして、結果自閉症スぺクラム障害と診断されました。

 現在でも「うつと対人恐怖、不安障害」等色々ありますが、先生と相性がいいだけでこんなにも不安感がなくなるんもんだと思いました。自殺未遂は無くなりました。自分と相性の良い先生が見つかるまで病院探しをした方がいいと思いました。それが自分が良くなるための最大のポイントだと思います。もちろん、酷く苦しんだため薬は飲んでいません。地道にカウンセリングを受け、社会復帰を目指しています。

[参考記事]
「親子で自閉症スペクトラム。空気が読めない同士、喧嘩が多い」

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