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発達障害児が虐待に巻き込まれる過程。災難が通り過ぎるのを待つ子供達

 この記事は前田穂花さんに書いていただきました。

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 三障害重複のハンディを負う発達障害当事者のプロライター・前田穂花です。

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生まれつき備わっている反応としての生理的微笑

 しょっぱなから話題がずれますが、過日、私が“本当のおとうさん”と思うことで心の安定を求めている、ステップファミリーの「パパ」の家で飼われている猫が双子の子猫を産みました。

 残念ながら一匹は死産でしたが、もう一匹は母猫と「パパ」の愛情を一身に浴びて、どんどん大きくなっていきます。「パパ」に子猫の“写メ”をお願いし、自宅でその成長ぶりを楽しみにしている私も、携帯電話に添付された写真でさえわかるほどに、一日一日と表情や仕草が豊かになっていくさまが見て取れます。

 送られてくる写真越しに子猫が大きくなっていく様子に、直接触れているわけではない私でさえ「可愛いな」と愛着の念を深めつつあります。

 猫と人間とを一緒くたにするな、とお叱りを受けそうですが、人間はもとより、背骨のある動物(脊柱動物)にはすべて、基本的には元来、養育者に可愛いと感じてもらえるような反射能力みたいなものが備わっているんだと、かつて保育士を目指して勉強していた頃「保育原理」の授業で教わった記憶があります。

 生まれてすぐの赤ちゃんが、お母さんやお父さんの顔を見て、さもうれしそうにニコッと笑うことはご存知の方も多いでしょう。学問的にこの新生児の笑いは「生理的微笑」と呼ばれ、似たような反応はニホンザルなどの動物にも、先に挙げた猫にも備わっています。

 新生児本人が何かに対して自発的に笑う反応を見せているわけではないのですが、人間も動物も未成熟な赤ん坊のうちは、養育者に「可愛い」と思ってもらわないと生きていくことすらできないため、本能的に大人に「可愛い」と思ってもらえるよう、大人の顔を見れば反射的にニコリとうれしそうに微笑むよう「初期設定」がなされているのだそうです。

生理的微笑から社会的微笑へ

 単なる反射で笑っているに過ぎないにしても、赤ちゃんがニコニコとほほ笑む姿を見て怒る人はまれでしょう。赤ちゃんの笑みに対して大人もつい「可愛いね」と話しかけ、抱っこしたり頬ずりしたり…そういういとおしむ態度をとることが多いかと思います。

 そんな快い経験を繰り返すうちに、赤ちゃんは笑えば大人が可愛がってくれるんだということを「学習」し始めます。その学習の結果としての乳幼児の笑いを「社会的微笑」と定義しています。

 社会的微笑は早ければ生後三ヶ月、生後六か月までにはだいたいの赤ちゃんが会得し得るようになるといわれ、母親を中心とする養育者と赤ちゃんとの深い信頼関係を構築していくためにも「社会的微笑」は非常に重要です。

 乳幼児の「社会的微笑」と、それに対する大人の好意的な応答を繰り返し反復練習していく作業は、養育者に対する子どもの基本的安心感に繋がり、その後の子どもの自己肯定感の礎となるといってもいいかも知れません。

 赤ちゃんの「社会的微笑」は母子ともに確かな愛着(アタッチメント)を深めていく上でも本当に重要です。赤ちゃんがニコニコと笑い、それにお母さんも笑顔で応える。お母さんの言葉に赤ちゃんも応える。そういう母子相互の学習の結果は基本的に三歳までに子どもの社会性や言語能力という形で表出し、子どもによってかなりの差が生じてくるとも考えられています。

 差が生じるからこそ(現在ではその信憑性が怪しまれている考え方ですが)「三歳までは母の手で(育てなさい)」といういわゆる“三歳児神話”まで、実しやかな考えとして謳われたりもしたのです。

発達障害児が虐待に巻き込まれる過程

 しかし、新生児の頃に反射としての「生理的微笑」は見せたとしても、生まれつきの脳の器質的障害である発達障害を負って生まれた赤ちゃんは、養育者との愛着を深める基本となる「社会的微笑」を会得する能力にも欠けていることが多いものです。

 あくまでも障害のせいであり、赤ちゃんに責任があるわけでは全くありませんが、笑わない子ども、話しかけてもこれといった反応を見せない子どもに対しては、育てている親も感情がある以上、次第に可愛く思えなくなってしまいがちです。

 その感情がヒートアップした状態が、親から子に対する「虐待」として表出することはよくあります。親としては「こっちがこんなに一生懸命になっているのにどうして反応しないのよ」という想いが、いつの間にか怒りにすり替わり、我が子に向かって大声をあげ、時には子どもに対して手を挙げる。

 しかし子どもはなぜ養育者がそんなに怒っているのか全く理解できずにギャン泣きする。親はそういう子どもの反応にさらに怒りを憶えていく…という負のサイクルに嵌まり、大人の怒りが恒常的に子どもに向けられた状態こそが児童虐待と呼ばれる現象です。

 傍から見れば「親(大人)なんだし、もうちょっと子どもに対して寛容になれよ」という感想を持つ方がかなり多いようですが、現実の育児は24時間365日一切の休みがない過酷な「労働」であり、しかもたいていは家庭という名の密室の中で行われる性質のものです。

 それが余計に養育者(主に母親)を疲弊させ、大人の願いに反応を示さない(障害のために反応する術を持たない)発達障害児の我が子に対する負の感情を増悪させます。

 家庭の問題はなかなか外から見え難いこともあり、周囲からも気づかれない場合が多く、虐待の事実が判明した時は手遅れだったという痛ましいケースも多いのです。

 あるいは親がいわゆる「意識高い系」の教育熱心な場合や、何かの目的のため(例:家業を継がせるため、親族に対する体面を保つため等)に子作りをして、結果授かった子に障害があった場合も悲惨な過程を辿りがちです。

 成長するにつれ、同世代の他の子どもに比べて成長の遅れや発達の歪みを顕著に示す我が子に対し、はじめは「なんでこんなこともできないの」「ちゃんと話を聴いているの」「何回忘れ物をすればわかるの」といったごく普通の母親が口にしそうな「叱り」の台詞を吐きます。

 しかし何度も何度も障害のある我が子に「叱り」の台詞をぶつけることによって子どものほうは自分がなぜ大声で怒鳴られなければならないのか理由はわからないけれども、ただ「大人は自分に対し怒りの感情をぶつける存在だ」というふうにしか見られなくなってしまいがちです。

災難が通り過ぎるのを待つ子供達

 発達障害はまた、認知能力の障害、平たくいえば認知力の歪みだともいえます。大人は子ども本人のことを想って叱っているつもりであっても、認知能力に歪みのある子どもにはそういう大人の意図など理解できません。

 私自身、大人が自分に対し大声を上げて怒りの感情をぶつけるたびに、その声色にひたすら怯えて、どうすれば怒鳴られないで済むのかという手段を、大人が求めているであろう結論とは違う方向性から考える癖だけが残りました。

 今になって思えば、大人は「大人の与える課題をきちんとクリアする」「大人の話はきちんと聞いて理解する」「忘れ物をしないように注意し確認する」という反応や行動を、子どもだった私に求めていたのでしょうが、大人の怒鳴り声の裏に隠された様々な意図が読み取れない事実が「発達障害者」である私には存在しました。

 私は今も声色に怯えることが多く、誰かが怒鳴るたびにただ理解できない「災難」が通り過ぎるのを待つだけといった行動パターンが身についています。

 今、自分の上に起こっているこの災難が、取り敢えず通り過ぎればいいんだ。今だけ我慢すればいいんだ。そういうことばかりを学んだ私は、成長するにつれ対人関係での深刻なトラブルに巻き込まれていきました。

基本的な信頼関係を築けない私が巻き込まれた真の災難

 ノーといえない私は何度も性的虐待や暴力の被害者になりました。自身に巣食う「今だけをやり過ごせばいいんだ」と思ってしまいがちな(私のなかの)基本的な発想が、私を各種のアディクションやら刹那的かつ不適切な男女関係、そこにまつわる金銭問題も含むいろんな出来事…といった災難へと駆り立てていきました。

 私はとにかく危険な場面に向き合わされてばかりで、しかし泣くことしかできなくて…思い余ってリストカットにオーバードースに。私はうまく生きられない自分を嫌悪し、自傷行為という形で罰を与えるしか出来ない人間になってしまいました。

 五十歳が目前に迫る現在も、私は自分を産んでくれた実両親に一切の感謝ができず、むしろ憎しみの念しか抱けません。きちんと育て上げることすらできないのにどうして自分たちだけさっさと死んだの、という両親への怒りの感情は、いつしかさらなる自分という存在への憎しみに代わり、いつも消えてしまいたい、なかったことになりたいと願う私がいます。

 私のなかの異様に低い自己肯定感は、私を粗末に扱う男性から「都合のいい女」的ポジションに置かれては自らの心身を弄ばれて棄てられ…そんな実りのない「恋愛」もどきを私にひたすら味あわせ続けました。

 それでも愛されている錯覚を憶えたいがゆえに、私は一時的な感情のみで刹那的な男女関係を持つことを繰り返し、その繰り返しのなかでさらに私は疲弊し、感情を摩耗させていくばかりです。

 愛のないセックスを繰り返すことによって、その夜だけは私も相手から何となく愛されているような気分にはなれました。しかしそのあとはもう立ち直れないくらいの自己嫌悪が待ち構えていて、私は死にたくてたまらなくなってしまいます。

 最初の躓きが現在も尾を引いている私は、このトシになっても未だに正しい意味合いで男の子(敢えて“男性”とはせず、こういう表現にします)を好きだと思う感情が湧いてきません。全ては刹那でした。そしておそらくこれからもそうでしょう。

 私のような障害で苦しんでいる若い皆さん、そして発達障害と診断されたお子さんを前に日々の育児に苦しんでおられる親御さんのために、せめて私の体験を包み隠さず話したいと思う強い願いだけが、どうにか現在の私を支えています。

 今日はわざと私の苦しみの概略、というか外側しかお話ししないことにします。余りにもいろいろあり過ぎて、一度に吐き出したら私自身が壊れてしまいそうだからです。それくらい私は自身を疎ましく憎み続け、その自身に対する憎しみにも、自身の存在そのものにも苦しんでいます。

 今回は私のなかにくすぶり続けるどうしようもできない苦しみの、ただ外組みしかお話ししませんでしたが、これから少しずつ自分のなかの傷みの具体例を挙げつつ、障害を負って生きる上での苦しみの面から考察することによって「発達障害」というものの本質や問題の解決の途を皆さんとご一緒に考えていければ…と今はそれだけを願っています。

[参考記事]
「発達障害者だから失敗したの?二度の結婚と離婚を経験した私」

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