Read Article

広告

発達障害の性質により職場でいじめられ、風俗の世界へ

広告

 

この記事は「発達障害の二次障害により解離性障害に。事故を起こしても記憶無し」の続きです。

……………

夜の世界、キャバクラで働く

 販売員や美容院の仕事を経験しましたが、発達障害の性質ゆえに職場でいじめられ退職をするはめになりました。

 そうこうしているうちに夜の世界に入りましたが、とても自分にとって居心地が良かったのですが、同時に悪い誘惑もあったり、悪い人も居たり、気が付いたらドップリと裏の世界の住民になっていました。そして、地元を離れ、東京でもキャバクラに勤めました。そこは地元より悪い誘惑もあり、悪い人も沢山いる世界でした。その時付き合っていたいた人とそのまま、なんとなく付き合って、なんとなく子供が出来て、そして結婚しました。

 この頃の私は、社会のルール、計画して行動する事などなど、基本的な人間としての生き方を完全に分からなくなっていました。ただ何となく毎日を送っていたのです。

結婚生活

 結婚して、子供を出産しましたが、それまで送ってきた人生、どう子育てをしていいのかさっぱり分かりませんでした。両親からは、きちんと愛情をもって育てられた経験もありませんし、整理整頓、家事、掃除・・できませんでした。何からどう手を付けて良いのか分かりませんので、朝起きて、気が付いたら夕方・・・。(解離性障害により記憶が飛んでいる)そんな生活を、姑と小姑と同居してスタートしたのです。

 旦那さん(今は離婚している)は、元々裏の世界の人(ヤ〇ザ)なので、殆ど家に帰ってきません。誰も私をフォローするどころか、毎日姑、小姑に、「だらしない」「子供がかわいそう」そんな心無い言葉で責められました。

自分の両親の事

 自分の母親も、発達障害が疑われる人だったので(当時は気が付かなかったけれど)、育児の事を相談しても何も助言してくれず、姑に「あの子が嫁に行ってくれて、ほんとサッパリしたわ。」と言ったそうです。父親(交通事故で亡くなっている)は、典型的なADHDの特徴がある人でした。何も考えずに衝動的に行動する人でした。

 多分、亡くなった時も新年会の後、旅館に泊まる計画だったのに、衝動的に飲酒してるにも関わらず自宅に帰ろうとして事故を起したのでしょう。とにかく、父親もまたじっとしてるのが苦手な人でした。そして、思ったことを直球に言う人で、癇癪持ちで、アルコール依存症でした。

 私の記憶では、両親に甘えたり、可愛がってもらったり、そんな記憶はありません。毎晩、お酒を飲む父親、それを罵る母親、そして両親の大乱闘。私は一人っ子でしたから、ジッと嵐が収まるまで一人で耐えていました。

風俗の世界へ

 育児は、私が一人で手探り状態でしました。元旦那さんは一切手伝いませんでした。時々、姑のダメだし。そして、元旦那は生活費もくれなかったので、私が働きながら、育児をしました。しかし、ストレスがたまると解離してしまうので、自転車で子供を保育園に送っていく途中に転んで、私や子供が出血していても記憶がなく、そのまま預けた事もあります(後から聞いてこの時の状況を知りました)。

 心療内科にも行ってみましたが、当時は珍しかった「パニック症」と診断され、大量の薬を処方され毎日、解離状態で過ごしていました。当然、聞いたこともない「パニック症」などとは家族には理解してもらえず、「ただだらしないだけ」「気分の問題」と言われました。

 また、稼いでも稼いでも、姑から訳も分からずお金を取られる。だから、毎日お金がなかったし、精神的にかなり追い詰められていました。この頃、お金の収入の誘惑に負けてしまい、風俗を経験しました。風俗の仕事中は、解離していて記憶がありません。毎日誰かが私の身体に入ってきて淡々と仕事をしていた気がします。

 当時は、解離性障害の症状も理解していなかったので、気が付いたら少し前の記憶がない事がありましたが、それが普通なのかな?くらいにしか思っていませんでした(解離性障害は発達障害の二次障害が原因)。

 結局、風俗の仕事は家にバレてしまいます。そこで一方的に下されたのが、私は「子供を育てる資格がない」と言われてしまい、どうしていいのか分からず言われるまま、姑に親権を取られ、離婚しました。

離婚後

 離婚して、母親には不信感しかなく、実家には帰らず、全国転々としていました。その間やはり、色々騙されて、大金をだまし取られたこともあります。やはり、生活状態は相変わらずで、派遣の仕事をしても、次回の更新はない、そんな感じで仕事は転々としていました。数えきれないほど転職しました。しかし、離婚後は、風俗の仕事はしていません。

転機

 そんな私に転機がきました。30歳になった時、私を心配した叔母に地元に帰ってきなさいと言われ、渋々帰ってきました。帰ってきて、すぐに16歳も年上の人と出会う機会がありました。その方は、今まで出会った男性とは違い、生きていく上でのルール、人の嫌がることはしてはいけないこと…当たり前の話なのですが、生きていく事を丁寧に教えてくれました。今まで接してきた男の人は、そんなこと教えてくれなかったし、逆らうと怒鳴り散らされるか、最悪暴力を受けていました。その方とは、半年付き合って、同棲に至りました。しかし、同棲してやっぱり整理整頓、掃除、家事が上手にできません。「なんでだろう・・こんなにお世話になって、恩返ししたいのに、空回りする。生きにくい・・」

 ちょうどその頃、自分がどうして記憶をなくしてしまうのか、色々調べていて、行動療法の一環として、亡くなった父親に手紙を書いていました。「どうして、一人っ子の私は、父親に暴力ばっかり受けて、可愛がられなかったんだろう?いとこばっかり可愛がっていたなぁ。私、育てにくかったのかな・・?」

 そう思って、私は育てにくかったと仮定して、色々調べたら「発達障害(ADHD)」にたどり着きました。元々、行動力はあったので、すぐに県の「発達障害支援センター」に問い合わせて、病院を紹介してもらい検査しました。

検査、診断、安堵

 1か月後、私は「ADHDと学習障害」と診断されました。主治医にこのように言われたときの気持ちは意外と冷静でした。なぜなら・・・私は、クズでも馬鹿でもない、脳の障害だと分かったからです。

 診断当時は、薬もなく行動療法と不眠の睡眠薬だけだったのですが、診断されてから2年後、ADHDの薬(コンサータ)の認可もおりて、服用してから、私に薬が合っていた様で、だいぶ生きやすくなりました。同棲した、16歳上の男性・・・私が、ADHDと診断されてからも、ずっと一緒に居てくれました。色々迷惑はかけましたが、理解してくれ、生活して行く上で援助してくれました。そして、付き合って5年後、私達は夫婦になりました。

 時々私は、主人に聞きます。「何で発達障害なのに、結婚したの?」と。主人は笑って「お前は、お前だから。障害なんて関係ないよ」と言ってくれます。

その後

 今は、精神障害手帳2級を取得して、就労支援A型で勤務し、社会性を身に着ける訓練をしています。また、就労支援では、相談支援専門員が仕事上の困ったことや、人間関係など相談に乗って頂き、私に合った勤務体制にしてくれます。

 例えば、音に敏感な私は、勤務中、イヤホンで音楽を聴きながら作業できるため、集中力を保つ事ができ、ミスなく仕事が出来るようになりました。月に一度は、訪問看護が来てくれて、生活上の困ったことなど相談に乗ってもらえます。色々な事があったけれど、今私は様々な人に支えられ、生きています。人生で一番充実してると思います。

余談「ウソじゃないもん!」

 私は、時々主人に「ウソつき」と言われてしまいます。私の中では、嘘をつく気など全然ないのです。何か頼まれごとをされる際、私はその「お願い」が音として「聞こえた」ので返事をします。もちろんその時点では音をきちんと頭の中で「お願いされた」と変換し、「やらなければ・・・」と思います。

 しかし、実際は「やってない」状態に陥り、結果「やってないじゃん!嘘つき!」と思われてしまうのです。なぜ、この様な事になってしまうのか・・?自分で分析してみました。
• やるべきことが分かっていても面倒だからと、つい先延ばしにしてしまう。

• 更に、今自分がやっている作業を中断することが難しい(切り替えができない)

• そうこうするうちに頼まれたというそのこと自体、忘れてしまう。

 様々な要因により、頼まれた事をできないのに請け負った(嘘をついた)私という事実だけが残る様です。この現象は、少しずつ改善していきたい課題です。

[参考記事]
「発達障害の「二次障害」とは何か。放置すると大変なことに」

URL :
TRACKBACK URL :

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top