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大人になってから発達障害(ADHD)と判明。父からの遺伝?

 

この記事は30代の女性に書いていただきました。

 私は小さい頃から「活発な子」や「落ち着きの無い子」と言われていました。

主には
「じっとできない」
「空気が読めない」
駄目だと言われた事でも我慢できずにやってしまう」
などでした。

 「じっとできない」に関しては学生時代、特に中学生まで酷かったように思います。授業中じっと座っていることがとても苦手でした。今でも苦手とするのが、長時間電車や飛行機などに乗る事です。体がムズムズする感覚になってきて立ったり座ったり、座ったまま足を動かしてみたり落ち着きがありません。

 「空気が読めない」に関しては例えば..人と話している時によく言われるのですが、みんなでAの話をしているのに、私の頭の中でBの話をしたいという衝動が生まれて、急にころっと話題を変えたりすることがあります。その時には「話変わりすぎ。空気読んで。」と言われます。それが原因で学生時代友人が離れていった事がよくありました。

 「駄目だと言われた事でも我慢できずにやってしまう」に関しては例えば..中学生の時に行った親戚の葬式での話ですが、葬式では静かにするのは当たり前の事です。それを分かってはいるのですが、わざと大きいくしゃみをしてみたり咳をしてみたり、傍から見たらかなり変な人に見えていたと思います。

 あとは触らないでと言われている物を触りたい衝動があります。今は我慢できるようにはなったものの、ムズムズする感覚というのは消えないですし、それがストレスなのか我慢している時に爪をかむ癖がつきました。

 周囲の人達はそれを見てADHDだとは疑う事は一切なかったですし、「性格」だと思っていたようです。もちろん私も「性格」だと認識していたので中学生になった頃から意識してやらないようにはしていました。

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自分の性格に違和感

 しかし、いくら意識しても駄目な事が多くて、中学3年生頃から自分のこの「性格」に少し違和感を抱いていました。こんなにじっとしていなられないなど我慢できない事が多いなんてどこかおかしいのではないかと。そしてその頃からどんどんと私の周りからは友達が離れていき、私の中高の学生生活は非常に孤独なものになりました。

 また、高3の時に既に大学も決まって入学金や授業料も収めていましたが、大学に行くのが突然嫌で嫌でたまらなくなり入学式に行かずに退学しました。嫌という感情をどうしても抑える事ができなかったのです。「駄目だと言われた事でも我慢できずにやってしまう」という性格はとうとう人生を狂わせたなと当時は思っていました。

通勤途中に突如新幹線に

 そして大学を即退学した後は社会人になり働き始めました。「性格」は相変わらずではありましたが、仕事は営業系の仕事で、真面目に取り組む事ができたので業績もいい方でした。営業の成績がよかったのは、外回りのアポなし営業でしたので、じっとしていられない私には向いていたように思います。

 しかし、ある日仕事に行く前にふと長期でどこかに行きたいと考えて、実行しないと気が済まない状態になりました。ずっとその事ばかり頭に浮かんで頭から離れなくなりました。そして私は誰にも何も告げずに、出勤途中の進路を変えて新幹線に乗って出かけたのです。

 「駄目だと言われた事でも我慢できずにやってしまう」性質が社会人になっても消えていなかったのが原因だと思っています。会社の人間や家族などは突然の事に驚き、連絡も沢山きました。そんな事を考える前に行動に移してしまった事をとても後悔しました。当然の事ながら帰ってきた後、私は会社を解雇になりました。

母に連れられ病院で診察

 そんな事があったある日のこと、母が病院へ行こうと言ったのです。私の父も診断された訳ではありませんが多動の性質があり、母は父からの遺伝という考えを持っていたのだと思います。

 私は最初何で病院に行くのか分かりませんでした。そして小さい頃からお世話になっていた病院の先生の所へ行き、そこで私はある病気の可能性を告げられました。そう、それが「注意欠陥多動性症候群」つまり「ADHD」です。そして先生にはその「ADHD」という中でも「多動性」が多く見られるタイプであるという事を告げられました。

 中学生の頃から違和感を抱いていた「性格」は「発達障害」であるという事が分かり、安心してか泣いてしまいました。そして「アメリカで製造されている薬が、今年から日本で認可されて使えるようになったから一度飲んでみて」と言われ、半信半疑でしたが飲み始めることにしました。

 ADHDの方によく処方されるストラテラという青いカプセルの薬です。飲み始めると体がだるく、頭痛などの副作用のようなものがありましたので飲むのを止めましたが、今までのモヤモヤ感が解消されたからか、以前よりは多動などの症状は抑えられるようになりました。訳が分からない怪物の正体(名前)が分かり、把握しやすくなったからだと自分では考えています。

 通常は幼児期に判明することですが、遅くてもADHDだと分かったことで気持ちが楽になりました。大人になってからでも発達障害の症状は抑えることが可能です。この私の文章が多くのADHDの方、周りの方に届きますように。

[参考記事]
「ADHD(注意欠陥・多動性障害)とLD(学習障害)の特徴について」

「ADHDの薬コンサータの副作用で幻覚。袖から大きい蟻が」

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