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発達障害者が生き辛いと感じる理由とは

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この記事は30代の女性に書いていただきました。

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 ここ最近になって、『発達障害』という障害が様々なメディアで取り上げられるようになり、少しずつではありますが、その存在が世間に浸透してきている印象を受けます。ただ、それでも社会から十分な「理解」を得ているとは言い難く、多くの当事者たちは苦しい思いで生活しているのではないでしょうか。かく言う私も発達障害者ですが、やはり社会での「生き辛さ」というものを強く感じています。

 そこで今回はこの「発達障害者における生き辛さ」という点について、自分なりに考えて行きたいと思います。

発達障害とは?

  『発達障害』は簡単に説明すると、生まれつきの脳機能の障害です。
主な分類として
〇自閉症やアスペルガー症候群などの「自閉症スペクトラム」
=>コミュニケーションが苦手

〇「注意欠陥・多動性障害(ADHD)」
=>集中力がない、じっと座っていられないなどの障害

〇「学習障害(LD)」
=>文字通り、学習に関しての障害

が挙げられます。

 それぞれ障害特性は異なるのですが、発達障害者の中には複数の障害特性を持つ方も少なくなく、境界が非常に曖昧なことも特徴です。(ちなみに私はADHDと自閉症スペクトラムの診断を受けています)

障害が見え難い

 発達障害者が理解を得られ難い理由として、まず「障害の見え難さ」があります。例えば、足が不自由な身体障害者の方がいるとします。他者がその姿を見た場合、その方が「どこに障害を持っているか」・「どういう不自由さがあるか」という点を見ただけで容易に想像・理解できるのではないかと思います。

 一方発達障害者の場合、障害の特性上、見ただけで「どこに障害を持っているか」ということを判断することはできません。ですので、相手に理解を求めるには自身の障害特性と、それによって「どういう不自由さがあるか」ということをしっかりと相手に説明する必要性が生まれてきます。説明するのも骨の折れる仕事であり、相手が必ずしも納得してくれるとは限りません。納得してくれない方が多いのではないでしょうか。さらには会社の場合、カミングアウトすることでどういう扱いを受けるのかという不安もあるでしょう。だったら、もう説明しないでいいやとなりがちです。これも生き辛さを感じてしまう要因です。

共感性を得られ難い

 また、発達障害の一つ一つの特性は、多かれ少なかれ一般の健常者にも当てはまる要素です。ですので、障害特性を説明したところで「それは障害ではなく、あなた自身の問題では?」と返されるケースも珍しくありません。厳密にいえば脳機能の障害なので、健常者のそれとは一緒くたにできないのですが、多くの身体障害とは違い、なまじ健常者であれば努力次第でどうにでもなる要素なのが厄介です。「みんな頑張っているんだから、もっと頑張りなさい!」と、ただの甘えと捉えられてしまうこともあります。健常者が「普通」だと思っていることが発達障害者にとっては「普通」でない場合も多いのです。

 このように、障害自体が見え辛く、その内容についても共感性を得られ難いことも、発達障害者の生き辛い要因であると思います。

社会に適応することの難しさ

 発達障害者は健常者に比べ、能力的な偏りが大きいと言われています。特定の分野では突出した才能を発揮するが、それ以外はいまいち苦手…といった、俗にいう「天才肌」タイプが多いというのは有名な話です。しかし、現代の社会ではどちらかと言えば何でもそつなく、バランスよくこなせる人材が必要とされています。そのため、そういった特性はマイナスになってしまう場面も多いです。

 一定の価値観に基づく「普遍性」の求められる社会において、発達障害者の個性は悪い面ばかり目立ちやすく、また、先述の通り理解も得られ難いため、どうしても排除される方向になりやすいです。こうして社会から脱落してしまった当事者は、うつ病や不安障害などの二次障害を発症してしまうことも少なくありません。これが最大の生き辛いと感じる大きな原因になっており、二次障害を防ぐために小さい頃から療育をやっていると言っても過言ではないでしょう。中には苦しさのあまり自殺をしてしまう人もいるくらいですから。

「発達障害」と「生き辛さ」について

 これまで発達障害について述べてきましたが、私は発達障害を真の意味での障害とは思っていません。何故なら、長い歴史の中で発達障害という概念が誕生したのはごく最近の事だからです。障害として認定することで1つの「区分」が生まれることになり、薬が開発される、そして製薬会社が儲かる…と、意地が悪く考えている医師のグループもいます。

 「発達障害者」は、主に何に対して不自由さを感じているのかというと、それは「社会性」だと思います。逆に言えば、社会が変われば私たちは障害者でなくなる可能性もあるということです。つまり、昔の人々は今でいう「発達障害」を持っていたとしても、それが障害として成り立つことはなかったのです。この点は「身体障害」や「精神障害」と少し異なる点だと感じます。

 発達障害者が「生き辛さ」を感じなくなる社会になるまで、長い年月が必要になると思いますが、それまでは健常者と発達障害者、お互いが歩み寄ることが重要だと思います。何十年、何百年後になるかわかりませんが、発達障害という概念が消え去り、多様な価値観が認められる社会が来れば…と願っています。

[参考記事]
「発達障害の「二次障害」とは何か。放置すると大変なことに」

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