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教育委員会や支援センターと連携して娘の発達障害に対応

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この記事は30代の女性に書いていただきました。

…………..

娘が2歳の時です。
今思えば、泣くと泣き止むまで時間がかかってしまうことが多かったように思います。
その頃の
私は、娘の心の中が分からなくて、戸惑うばかりでした。
なぜ泣いているのか、原因を探すのも一苦労。
原因が見つかって対処しても、泣く行為を娘自身も止めることができなかったはずです。
「育てにくいな・・・」その頃から少しずつ感じ始めていました。
そんな風に感じてしまうのが本当に恐ろしくて、自分はなんてダメな母親なんだと失望していました。
娘が3歳になり、年少へ上がった頃、担任の先生からほぼ毎日同じような報告を受けるようになりました。
「お友達を噛みました。」
「お友達をひっかきました。」
「お友達の服を引っ張ってボタンが取った。」
「攻撃的な行動が気になります。」
という報告でした。
私は、自分のしつけの仕方が悪いんじゃないだろうかと日々悩んでいました。
実家に遊び行っても癇癪を起してしまったり、急に走り出したり、椅子の上に立ったりと娘の行動は異様な行動だと言われ、しつけがなっていないと叱責されてしまいました。

幼稚園の担任の先生の相談

どうしても娘の突発的な行動や言動が止めることができずに悩んでいたころ、幼稚園の担任の先生に思い切って相談をしました。
娘の行動が明らかに異様で、言葉も同じ年齢の子たちよりも幼く感じると伝えると、先生は改めて話の場を次の日に設けてくれました。
そこには、園長先生と担任の先生がいて、発達障害に関する資料を見せてくれました。
私は、名前は知っていましたが、それがどういったものかまで知らなかったので、相当なショックでした。
「障害」という言葉だけが残り、受け入れることはできませんでした。
園長先生はとても親身になり、これからどうしていくかを話してくれました。
まず、市の保健センターで診察やテストを受けて、娘がどういう状況か把握し、市の教育委員会と連携して支援センターに週1回~2回通うと説明を受けました。
テストまでに3か月ほど時間があったので、私は発達障害のことを調べたり、自分が受け入れる状態を作り上げていきました。
テストの日、緊張していた娘だったのですが、積み木や数のテストを楽しそうにしていました。
奥にある玩具やかわいいペンに気持ちがいってしまって、中断することもありましたが、私は一切口出しせず、静かに見ていました。
先生からの診断は「発達障害の中のADHDのボーダー」でした。
娘の苦手なものと、得意なことを聞くことができました。
〇年少だったので数字や文字の読み書きができないことは、そこまで気にしなくてまだよいとのことでした。
ただ私の中で、紙に「2」と書いてあっても、数として認識がないのは気にしていました。
〇視覚からの刺激に集中する傾向があるので、勉強が遅れる判断はつけずらいこと、耳からの刺激があまり受けないので、言葉による呼びかけや注意はあまり効果がないとのことでした。
先生が、私に、これまで辛かったでしょう?よく頑張ってきたねとおっしゃってくれた瞬間、私は泣いてしまいました。
保育園との連携と、支援教室と連携を取っていく話だったのですが、夫の理解を得るのに時間がかかりました。
しかし、支援教室の先生が逆に保育園に来てくれるという対策をしてくれたので、助かりました。

教育委員会と話し合い

年長になったころ、教育委員会と話し合い、面談もしてもらい、小学校に上がった時に支援学級が必要な子供か、普通学級で過ごせるのか何度も見に来てもらいました。
結果、普通学級で今まで過ごしています。
攻撃的なところもほとんどなくなりましたが、まだまだ友人関係を深く構築するのは難しそうです。
相手の表情や態度から気持ちをくむのが苦手なようです。
学校では一人で過ごすか、補助の先生や校庭に出ている先生と遊んだりしています。
担任の先生に友人関係はどうですか?と聞くと、時々友達と遊んでいるが、先生か上級生と遊んでいることが多いと聞きました。
同級生とは上手く会話できません。
小学校3年生ですが、会話の内容は年長ぐらいです。
宿題を集中してすることができないので、一部だけしかしませんが、先生はそれで承諾をしていただいています。
同級生も娘だけしないなんてずるいとは言わず、多く宿題をしてきたら凄いねと褒めてくれるようです。
先生のクラスの雰囲気づくりに感謝しています。

[参考記事]
「特別支援学級や通級教室ってどんなところ?入級手続きなどを解説」

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