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二次障害の影響で対人トラブルに発展してしまう発達障害者の背景

この記事は50代の女性に書いていただきました。

………….

 現代の日本では自分の力ではどうしようもできない「生きること」に対しての困難を、矛先を向けやすい相手にぶつける光景が絶え間なく見受けられます。特にネット環境では。

 不確かすぎる未来への不安は、私たちの心をさらに荒ませてしまう一方です。著名人の不倫、相撲の八百長問題。ぶつけやすい対象に生きる不満をぶつけることによって自身の心を保っている私たち。

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世間体を気にして施された「躾」によって二次障害を呈する当事者

 我が子が発達障害だと診断されたお母さんお父さんの中には障害のある我が子を受容しつつも、周りからの「我儘な子」「親の躾がなっていない子」という心無い非難に疲弊し、どうにか「普通の子」に近くしたいと過剰な思い入れをされる保護者も少なくはありません。

 それは親としての精一杯の我が子への愛情から吐露されるものであり、発達障害を負ったこの子が、社会の一員として排除されることなく生きていけますように…という願いに基づいたものではあるのです。

 ですが、子どもにしてみれば、できない事への躾が過剰すぎて、「自分がなぜそのような「仕打ち」に遭わされているのか」と勘違いしたまま、ただ「自分はダメな子だ」「自分にはどうせできないんだ」といった歪んだセルフイメージだけを心にインプリンティングさせていくのです。もちろん、発達障害に対する療育は大事なことではあるのですが、適切な療育ができていないと逆効果になることもあるのです。

 今の発達障害をお持ちの子どもさんでもかなりつらい思いをされていると訊きます。現在五十代の私が子どもだった当時は、それこそ発達障害という概念自体なく、私はひたすら「あなたはかわいくない」「あなたにはできない」「こんな子なら産みたくなかった」といった内容の言葉に傷つけられて成長しました。

 親世代のほうも家族や親類、近所、さらには子どもの通う学校から「お母さんの躾が悪い」「教育がなっていない」「我儘に育てている」と現代の親世代以上に批判や非難に晒され続けた現実があります。

 私がしっかりしなくちゃいけない、そう真面目に受け止めたお母さんほど無責任なギャラリーの心無い非難に苦しみ、それが発達に障害を負った我が子への過剰な叱咤激励、あるいは真逆にネグレストや虐待へと形を変えました。

あなたはダメな子と言われ続けて心をスポイルする発達障害児

 生まれつきの脳の障害を負っている状態にある発達障害児は、定型発達を果たしている健常児に比べ、大人の指示を理解できなかったり、理解ができないことによる場への馴染み方の拙さ、行動の逸脱があるのは事実です。

 大人からすればそれらの行動は単純に「育てにくく我儘」だということになります。発達障害児自身は自分がなぜ大人からここまでめちゃくちゃに叱責されているのか理由もわからないまま、連日「我儘な子ね」「どうしてお母さんのいうことがきけないの」「お兄ちゃんや妹はできるのになぜあなたはうまくできないの」等々、エンドレスに養育者からのネガティブワードに晒されることもあります。

 それは子どもの自尊心を著しく傷つけ「自分は要らない子なんだ」「どうせやってもダメなんだ、できないんだ」といった心の傷として、その後の人生の上でも延々引きずり続けることとなります。これが二次障害となって、本人を苦しめるのです。

※自閉症と診断された子どもが、養育者からみれば育てにくく「可愛げのない」障害特性からついネグレストされ、そのために二次障害としての「愛着障害」を起こすことは頻繁に見受けられます。私自体「愛着障害」を認められるとの診断を受けていますが、相手との関係をうまく構築できないことから、成人後もDVに巻き込まれ続けたという経験も持っています(後述)。

社会適応がうまくいかない当事者にも「被害者」の顔がある

 発達障害から派生した二次障害としての精神疾患のために、周囲との人間関係トラブルが絶えない「困ったちゃん」で「かまってちゃん」な当事者も少なくない現実は否めません。

 ただ、彼らも子どもの時から大人からの過剰な叱責(としか受け止められない言動)によって心をボロボロにされてしまっている、いわば「被害者」としての面を持つことも忘れてはならないでしょう。

 二次障害としてのうつ病や統合失調症様の妄想病相さえ呈さなければもっと社会参加、社会適応がうまくいったであろうと思われる発達障害当事者の方には、私もこれまで数多くの精神科病院への入退院を繰り返すなかで大勢お会いしてきました。

 私が繰り返し入院した精神科病院には、うつ病のバックに発達障害を背負った患者さんが本当に多くいらっしゃいました。もともとコミュニケーション上の障害を負っている彼らは、親や先生などの大人の言葉に深い心の傷を負い、それが精神疾患という形で表出してしまっているのです。

 それら心の傷はリストカットやオーバードースに代表される自傷行為として、つまり自分に刃を向けている患者さんが多い印象を受けます。場合によっては、そのうっぷんが他人に向けられることも少なくはないのです。

二次障害と共依存、そして発達障害者がDVに巻き込まれていく背景

 また、発達障害者は社会から疎外されたという部分だけをフォーカスさせて記憶していることから、疎外され続けた自分もどうにか誰かに必要とされたいと思いがちであり、それが共依存という形での人間関係の歪みに移行する場合もあります。

 発達障害の有無に関わらず、人間関係上の挫折を繰り返してきた人が誰かの役に立ちたいと願う場合はよくあります。誰かに必要とされたいという願いは、逆にいえば自分が必要とされてこなかった、正当に認められたと思えなかったことによる心の傷みが裏返された希望だともいえるでしょう。

 しかし、それを悪用され、もしくはDVなどの被害者となってしまう発達障害者も多く存在します。私自身問題の多い二人の男性と入籍し、結果元夫たちから暴力や経済的搾取を受けてボロボロにされました。それでも誰かに必要とされたい私の心は、元夫たちに対し「この人は私がついていないとますますダメになる」と思わせてしまうのです。

疎外されているという孤独感が二次障害を深刻化させる

 社会から疎外されているという想いは、誰かにしつこく絡んで困らせ、あるいは自分をボロボロに疲弊させてまで誰かに振り回される、そんな人間関係を発達障害当事者に染みつかせます。

 誰かに絡み続けた果てに、相手との関係に限界を生じて、自ら人間関係をクラッシュさせる。その繰り返しが本人の自尊心をさらに低下させ、ボロボロに傷つけていきます。

 あるいは障害の存在自体が社会に認識されているとは言い難い発達障害者の多くは、その障害のために自身の能力を最大限生かせる職業を持つことも叶わない現実があります。彼らの一部は自宅で長い時間パソコンのディスプレイを眺める、スマホの画面を見続ける日常を余儀なくされています。

 ネットの中のバーチャルな世界はいい意味でも悪い意味でも刺激的です。過剰な刺激に晒され続けてストレス耐性のキャパシティを超えてしまった発達障害者が、他のネットユーザーとトラブルになる話は枚数に暇がありません。

 私もプロのライターを標榜し、実際に自身のクレジットによるWeb記事も多くなったこともあってか、最近はTwitterやFacebookのダイレクトメール機能を利用していいコネがないのかと探りを入れてくる自称「ライター」の方が大変多くなりました。そのなかの大多数はご自身も発達障害をお持ちです。

 私も自分の障害をオープンにした上でライティングの仕事を請け負っていることから、同じ障害をお持ちの方にすれば、私は相談を持ちかけ易い相手であり、私に(でも)務まるライターの仕事に対しても、ある意味安易に受け止められてしまうのでしょうか。

――現在は発達障害を事由に精神の手帳を所持し、生活保護を受給している私です。でもこれが本来の私の姿ではないと思うのであなたのような仕事をしたいです。ついてはいい仕事はありませんか、いい編集者やパトロンを紹介してもらえませんか…。――

 …おいおい、それしか言葉がない私ですが現実に私のもとに寄せられるダイレクトメール、もしくは私の公式サイトやblogに書き込まれる内容の殆んどはこんなものです。

 この世にうまい話なんてありません。仮にそんなおいしい話があればとっくの昔に私が食い付いているわよ。そう思いながらも、私に出来る精一杯の対応はしているつもりです。

 具体的には「今は精神科に通院して治療中であり、だからこそ保護費も支給されているあなたご自身の立場をわきまえ、主治医とよく今後を相談してまずは日常生活の自立から取り組んでください」とお答えしています。

 今はネットストーカーという言葉もあるくらいで、本当にいろんなところで相手方に付きまとわれ、さらには個人情報を第三者に勝手に公開される等の問題も起きています。

 発達障害者が他者に攻撃を加えるとすればやはり暴力に訴えるというより、むしろ人間関係でのトラブルを起こすケースのほうがが圧倒的多数です。先にも挙げたように、今はインターネットが普及し、だからこそかつては考えられなかったようなトラブルも多く散見します。

私が実際に巻き込まれたトラブルの実例

※現在もトラブルに対応中の内容ですので、ここでは事案の詳細については割愛します。

 私自身が相手方に対し真摯に対応しなかったとして私に怒りの矛先を向けてきた精神科通院加療中の発達障害当事者にFacebookを荒らされた上、相手の方が「障害者のくせに同じ障害者を差別した」として、私とのことをある政治団体に持ち込んでしまいました。

 政治団体が発行している機関紙上においてまで批判された私は、一連の騒ぎが原因で当時の編集プロダクションと契約解除に至り、ライターの仕事すらも失いかけてしまうところでした。

 私のFacebookは、トラブルが生じた去年6月からもう半年以上が経過したにも拘らず、未だに再開のめどが立っていません。最初の対応が拙ければ、そういう係争にまで発展しかねないトラブルに繋がる場合だって皆無ではないのです。

 私自身も発達障害当事者であり、最初の対応に問題があったのかも知れませんが、自分の希望を叶えてくれない人間には、言葉を暴力的に多用して徹底的にやり返してやれ、こちらとしてはいい迷惑ですが、一旦ターゲットにされれば、相談できる行政窓口も事実上存在せず、本当に苦しいトラブルに巻き込まれます。

 警察も精神障害者(手帳を有していたり精神科通院歴を持つ人物)の絡む事例については、基本的に福祉や医療の網羅する範疇だとしています。そのため相談の段階で「こちらでは対応しかねます」とされることが殆んどです。

当事者の人間関係トラブルの奥に潜むものは寂しさ

 障害者手帳の等級の程度に関わらず、実際の社会経験が希薄ゆえに、もう本当にどうしようもないレベルの方もいます。そうなれば最後は警察の話通り、医療や福祉が支えるしかない事案であり、私たちにはお手上げだといえます。

 しかしその根底にあるものは仕事に就いて収入を得たいという欲求よりもむしろ、障害のために社会から切り離され、誰にもかまってもらえなかった寂しさの表出だという印象は受けます。正直、相手は誰でもいいので「大丈夫?」と心配して欲しいのです。

 私だって、今揉めている相手方に対しては精一杯対応したつもりですが、よくも悪くも、人間関係の構築の能力に問題があって、それで障害判定をなされている相手とのつきあいです。しかも就労はじめ一般の方同等の社会参加経験もなく、どのようなことを口にすれば相手に対して失礼か、相手とはどのような距離で接すればいいのかということも殆んどお分かりではない人たちです。

 ウザ絡みは誹謗中傷に留まりません。別の人ですが、自身の障害者手帳の個人情報記載部分(顔写真付き)のスクリーンショットや、実際の保護受給決定書の写真をダイレクトメール機能に添付して「オレはこんなに苦労してるのに」と延々繰り返す男性もいました。

 それを私に言ってどうするの?異論や文句があるなら担当ケースワーカーに相談してよ。そう本気でうんざりしましたがそれ以上にライターをやっているということ以外、一切の素性も何もわからない相手である私に対し、住所から生年月日、本名まで記載された個人情報書類を、平気で送りつけてくるような無防備な感覚に私はただ驚かされました。

 それらに記載された住所も当然本物でしょうから、私は彼の住んでいる自治体を管轄する福祉事務所に連絡してあげたほうがいいのかと逆に不安になったほどでした。

トラブルを起こす当事者に必要なのは同情ではなく適切な治療

 自分自身も障害を持つ立場として鑑みれば、発達障害者にとって大切な対応上のポイントは「本当のことを真摯に伝える」点にあると思います。難しい点ですが、ここをもし相手が傷つかないように「うん、そのうちいい話があったら紹介するね」みたいにその場を逃れようと思えば、社交辞令というものを理解できない人であれば、本気で真に受けてしまいます。

 結果、ご本人は騙されたと受け止めてさらに心が傷つき、配慮したつもりが延々発達障害者からの抗議に晒されて、日常生活にすら支障をきたすほどに絡まれる事もあります。

 相手は人間関係のスキルが著しく低いのだということを理解できないのであれば、ただ同情で付き合うのであれば余計に相手にも失礼なだけですし、ブロックするのが賢明です。

※これまでにそのような障害をお持ちの当事者と関わった経験がない方にとって、本当に相手と心で向き合える自信や覚悟がないのであれば、万一SNS上で発達障害者が常人には理解できないレベルでの絡みを取ってきた場合には無視するのが一番無難です。

 あなたがトラブルに巻き込まれてしまう危険がある上、ご本人も気持ちがヒートアップしてしまい、それがさらに本人の精神疾患を悪化させる原因となる場合も多いからです。当事者本人を回復させるものはあなたからの同情ではなく適切な治療や療育なのです。

 精神障害者手帳所持者とのトラブルは、残念ながら警察も大して動かないことは先ほどお話した通りです。警察に相談したところで「トラブルを起こしているご本人の家族や主治医にご連絡して対応を願ってください」といわれるのがオチです。

 障害者の起こすトラブルについては、殺人などといった極めて凶悪な内容でもない限り、福祉の制度や医療がサポートする部分だと考えられています。

 実際には発達障害当事者が犯罪行為を犯すということは余りありません。そもそも、精神障害者手帳を所持する当事者である場合、検挙しても警察としては障害である以上「福祉が網羅する部分」であることから、当事者が身元確保に至る自体稀であり、実数が検挙数に含まれていないのです。それで発達障害者の検挙件数が少ないという理由もあるにはあります。

世界はネットで瞬時に繋がった反面、時代の変化に人間関係も荒み続ける現実

 インターネットの普及は地球を瞬時で結び、リアル世界では出会える機会すらなかったであろう人物とも繋がれる反面、顔が見えないこと、自分の素性は晒さずとも他人に意見できるネットの特性を悪用し、新たな人間関係上の問題点を生み出しています。

 リアル社会で当たり前に仕事を持ち、あるいは学業に勤しみ、家庭というバックボーンを持っている健常者であっても、ストレスフル社会では現実の人間関係の軋轢に疲弊し、さらにインターネット上の見えない人間関係の圧力に苦しめられます。

 健康な方でも社会の閉塞感からくる生きづらさに対して疲労困憊、苦労しています。私自身SNS上で見知らぬ方に「ウザ絡み」されたり、フリマサイトで知り合った人に誹謗中傷されたり、そういう出来事は日常茶飯事の如く起きています。

 しかし、そこに見え隠れするのは人間同士の闇のような孤独です。健常者と呼ばれる方でも、今は強い孤独を味わいつつ生きていて、それが心を荒ませてしまう現実は否定できないでしょう。

ネット社会となった現代、当事者が本当に希望する支援とは

 「人間関係の障害、コミュニケーションの障害」と言い換えられる発達障害。

 リアルとネットとが複雑に絡み合った現代の人間同士の繋がりにおいて、距離感を推し量れず、適切に対応できなかった結果、一般の方以上のトラブルを起こしてしまったり、あるいは巻き込まれてしまったりするケースは本当に多いと感じます。

 その背景には、幼少期に適切な療育を受けられず、歪んだ認知によって二次障害の精神疾患を発症してしまった当事者の「自分も社会から受け容れられたい、誰かに必要とされたい」願いが潜んでいるのです。

 その願いを今後は何らかの形で福祉の制度の一環としてきちんとフォローし、発達障害当事者が適切な二次障害の治療を受けられることを保障され、それなりに社会参加できるような取り組みが施策として必要なのではないのかと思います。

[参考記事]
「発達障害者が子育てをする際に気を付けること。児童虐待を防ぐために」

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