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発達障害と知的障害を持つの妹の今と昔。仕事を見つけ、生き生きと

この記事は20代の女性に書いていただきました。

………….

 私には現在24歳の妹がいます(妹Pとします)。妹Pは16歳の時に高校の先生からの勧めで発達検査を受け、学習障害(発達障害)と軽度の精神遅延(知的障害)と診断されました。この時の知能指数は7歳児と同等だそうです。

 妹Pは小さい頃からどこか他の同世代の子たちと違い、出来ないことがすごく多かったです。例えば、彼女が10歳の頃、お遣いを頼まれてコンビニへ行っても、頼まれたものを買うことが出来なかったり、学校の授業が理解できず、成績が良くなかったり、人との関わり方が分からずに上手く話せず友達も出来ずで、登校拒否になっていました。

 人と話したい気持ちはあるらしいのですが、目も合わせる事が出来きず、上手く言葉が出てきません。話しをしてもモゴモゴしてしいます。ただし、優しく接してくれる年上の人とは比較的話しをしやすかったようで、私たちは少し安心していました。

 でも家族はそんな妹Pを障害だとは思わず、16歳まで病院へ連れていくことはありませんでした。ただ出来ない事が多いだけ、個性が強いだけと思い、特に気にしていなかったのです。

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高校で発覚した障害

 Pの入学した高校は不登校児や問題児を受け入れており、特別推薦入試で、軽い障害のある彼女でも入ることができました。そこでは過去に虐められて不登校になっていた子やすごく人見知りで人と話す事が苦手な子もいて、Pは普通の学校よりも馴染みやすく友達も出来たと言っていました。

 ところがしばらくして、妹Pの通っていた高校の担任の先生からPの行動や発言から障害の疑いがある、とのことで発達障害を調べるテストと知的機能(IQ)のテストを行い、ADHD(発達障害)と精神遅延(知的障害)と診断されました。

 医師からは、ゆっくりではあるが今後回復していく可能性はあるとの話でした。その後は学校に通いながらカウンセラーと話しをし、薬物は一切使わずに治療を進めていきました。その時、Pは障害者として認められ、養育手帳を給付されることとなり、国からの援助金も支払われるようになりました。

 その頃、まだ人と話すことは苦手な彼女でしたが文章にし伝える事は上手になって来ました。文脈はめちゃくちゃで誤字脱字も目立ちますが、言いたいことはなんとなく伝わります。

妹の就職

 妹Pは無事に高校を卒業し、一人暮らしを始めました。親からの仕送りと障害者援助金で生活しており仕事はしていませんでした。家から出ることはあまりなく、私が訪ねた時はゴミ屋敷の状態。鍋と炊飯器が玄関に転がっていてドアが開けづらく、ゴミがベッドの高さまで溜まり、掃除機までもがバラバラになってゴミの一部となっていました。Pはゴミ隙間で寝ていました。

 私は妹Pを外へ連れて行き、仕事の合間に就職活動の手伝いをしました。ハローワーク(公共職業安定所)で障害者でも働ける場所を探したところ、障害者総合支援法に基づく障害福祉サービス付きのカフェを見付けました。

 ここで働き始めたあと、Pは劇的な変化を遂げるのです。まず、はじめは人と話すことが苦手で人付き合いを避けていた彼女に友達ができました。そして、よく笑うようになり、全体的に明るくなりました。

 そこでは本人のペースを大切にし、サポートしつつお弁当作りや接客などの仕事をさせてもらっています。週に1回、職場の職員たちで寮に泊まり、食事作りや掃除などを共同で行うことによってチームワークを学んだり、生活訓練をして将来自立するための練習をしています。

 Pは趣味を楽しんで、自らコミュニティーを広げるようになり、完全に障害がなくなった訳ではありませんが楽しそうに生活しています。引きこもっているよりも、社会と触れ合うことでここまでも変わるんだなと驚いています。

 私は思春期のころ、妹をサポートするどころか虐めてばかりいた事を深く反省しており、その心の隙間を埋められないかと、成人してから歩み寄ってみました。今私は海外に住んでいますが、SNSやSkypeを通じてたまに連絡をとり、遠くから応援しています。

 将来親がいなくなってしまった後、妹Pはどう生活していくか、障害をカバーできるほどの生活力が付けばいいのですが、分かりません。それが今後の課題となってくるでしょう。

[参考記事]
「発達障害と思っていたら軽度知的障害でした」

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