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息子の発達障害が小学3年生で判明し、特別支援学級へ移った経緯

 

 私には息子が二人いますが、末の息子が発達障害と診断されています。その息子が発達障害と診断されるまでと現在の話をしようと思います。

 幼稚園にあがるまでは「ちょっと活発だけど普通の子」、幼稚園があがってからは「他の子と同じ事ができないところがあるな」と感じていましたが、特にトラブルもなく幼稚園を卒園しました。

 小学校に入学ししばらくしてから、担任の先生から呼び出しがありました。

「和式のトイレができなくて体操着のズボンを汚してしまった」

 和式で用を足すための筋力がなかったことが原因です。発達障害の子は体幹が弱いことが多く、息子もそうでした。

 その他にも「授業中トイレに行ったまま教室に帰ってこない」というような、集団生活が出来ていないことへの報告もありました。

 学習面では、「ひらがなが書けない。算数のプリンとが間違いだらけだ 」と赤ペンだらけのプリントを渡されたこともありました。

 当時の担任の先生はベテランで、かなり厳しい先生と有名でした。そのことで息子はかなりストレスになっていたようです。今振り返ると鬱の症状も出ていたので、発達障害の二次障害だったのではないか思います。

 この時点ではまさか発達障害だなんて分からなかったので、もっと早く対処してあげられたらなと当時の事を思い出すと今も辛いです。

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病院で診断を受ける

 小学3年生になり担任の先生が変わったことで、学校への行き渋りもなくなりましたが、相変わらず集団生活ができず友達も離れていくばかりでした。

 転機が訪れたのは三学期の個人面談の時でした。見るに見かねた先生から「病院で検査してみませんか?このままだと本人も辛いし、私たち教師も対処法がわかりません。」と言われました。

 私も薄々普通の子と違うなと思っていたので、紹介された病院の精神医療科の小児担当の先生に診ていただき、発達検査を受けました。その結果、「ADHD」「自閉症スペクトラム障害」との診断でした。先生によると「耳からの情報が入りにくく、そのせいで処理能力が平均より低い」そうです。

 私は「やっぱりな」という思いと、「どうしよう、障害あるって言われても…。将来どうなってしまうの?」という思いが入り交じった複雑な思いでした。

 病院の先生から「特別支援学級」を勧められていましたが、4年生での就学相談は過ぎてしまったので、5年生から入ることにしました。幸い4年生の担任の先生が良い先生で、視覚優位の息子のために大きいホワイトボードを用意して、次は何をするかや連絡事項を書いて、息子に寄り添った対応を考えていただきました。実はこの先生は息子の主治医に会って、どう対応したらいいのか教えてもらっていたのです。

特別支援学級の情緒学級

 5年生になり学校内の特別支援学級の情緒学級(情緒と知的と2クラスあります)に移りました。5年生からの移動で馴染めるのか、前年度の支援学級の先生が移動で変わったことなど不安が大きかったですが、担任の先生は明るく優しい先生でほっとしました。

 今息子は6年生です。担任の先生が熱心に手厚く指導してくれたお陰でこの2年間で息子は大きく成長する事ができました。学習も無理なく、息子に合ったスピードで教えてくれて、得意分野の絵画ではコンクールで賞をいただくほどに成長しました。友達関係はちょっと不器用だけど、息子なりに仲良く楽しく交流しています。

 もうすぐ中学校ですが、まだまだ不安も多いし、越えなくてはならない山が多くありますが、親子で必ず乗り越えていきます。

[参考記事]
「娘の発達障害を理解しない学校の対応に悩む。虐待の疑いをされる?」

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