この記事は30代の女性に書いていただきました。
……..
最初の違和感
現在7歳の息子は、4歳4ヶ月の時に自閉症と診断を受けています。私が息子に対して最初に違和感を覚えたのは、赤ちゃんの時です。息子はなかなかおっぱいを離してくれない赤ちゃんでした。私も初めての子育て、初めての育児だったので、分からない事が多く、違和感を覚えながらも息子みたいな子もいるんだと自分に言い聞かせながら育児をしていました。1度授乳をすると、1〜2時間離さないのは当たり前。初めての子で母乳の出も悪かったのも原因だったと思います。
四六時中授乳をしている毎日に、ノイローゼになりかけた私は、ミルクと混合授乳にしようと思い、ミルクを購入して息子に飲ませようとしました。しかし、息子に拒否され、結局8ヶ月まで母乳育児を頑張る事になります。この頃すでに、息子の自閉症の特徴である「こだわりの強さ」が出ていたのではないかと後になって思います。
今になって思えば、ミルクも色々な種類があり、メーカーによっても多少味の差があるだろうから、色々試してみたら飲んでくれたミルクがあったかもしれません。でもこの頃の私は、自分に余裕がなく、息子にミルクを拒否されたショックから、息子に飲ませられるミルクはないんだと思い込み、母乳だけで頑張るしかありませんでした。
息子が8ヶ月になったある日、つかの間の授乳の休み時間を利用して、息子とスーパーへ買い物に行きました。育児用品売り場で購入したい物を探していると、母乳の味に近いミルクというミルク缶を目にしました。そのミルクを、飲ませてみた事がなかったのと、母乳の味に近いという言葉に惹かれて、ダメ元で購入し、久しぶりに息子に飲ませてみる事にしました。大変な授乳もこの頃には日常になっていたので、ダメでもいいや位の気持ちで飲ませてみると、息子はなんとグングン飲んでくれて、哺乳瓶を空にしてしまいました。その時の驚きは今も覚えています。それから卒乳するまで、同じ名前のフォローアップミルクも飲んでくれる様になり、私の授乳地獄は終わりました。
息子は母乳の味にこだわりがあったのだなと思います。息子の味に対するこだわりは、離乳食、そして7歳の現在にも繋がっていきます。
偏食の始まり
離乳食は、1歳2ヶ月で卒乳してからしばらくの間は、野菜や果物、それにお肉やお魚など、色々な物を食べてくれました。しかし2歳近くになると、急に好き嫌いが始まり、野菜や果物は全く食べられなくなり、お肉やお魚も、味や感触にこだわりが出てきて、好みに合う物しか食べられなくなってしまいました(自閉症による感覚過敏的な要素もあると思います)。
心配になった私は、息子の好みの味や感触を観察して、調理法の工夫により、食べられない食材を食べられるように色々考えて食事を出す様にしていました。その努力により、再び食べられる様になった物もあれば、元々の味や感触がダメな食材はやっぱり食べられず今も食べる事が出来ません。大事な成長期ですので、とても心配でしたが、自分でやるだけの事をやってダメだったのだから、大きくなって味覚が広がるのを待とうと開き直る事にしました。
そして今現在、私は変わらないスタンスで食事の面はサポートしていますが、小学校に入学して食べ始めた給食により、少しずつ食べられる物が増えてきました。入学前は給食は食べられる物だけ食べればそれで十分かなと思っていましたが、小学校では活動量が増えお腹が空く事や、周りのお友達の食事風景を見て刺激を受け、今まで食べてこなかった料理も食べてみようかなと前向きな気持ちが育ってきた様です。
壁にぶつかった時、乗り越えようとする努力は大切だと思います。でも、一生懸命やってどうしてもダメな時は、自分だけで頑張らなくても環境や周りの人の影響で乗り越えられる事があると、私はとても学びました。
自閉症による言葉の発達の遅れ
息子は7歳になった今でも、自閉症の影響で正しく発音できる言葉は、数える程しかありません。小学校入学前にやっと発語する様になり、それからは少しずつ話せる言葉を増やしています。
3歳の時にようやく指差しをする様になり、4歳から自分の気持ちを伝えるかの様に発声をする様になりました。4歳頃から専門の先生に相談した方がいいのではないかと考えていたのですが、当時通っていた発達支援の事業所の先生に相談したところ、発語がないのに訓練に行っても子供に負担をかけるだけではないかと言われ、思い留まりました。
でも、今になって思えば、発語がない息子だったけれど、発語を促す為に、専門の先生のところに相談に行けば良かったなと思います。息子は、昨年9月から、大学病院の言語聴覚士の先生の元で、言葉のリハビリを受けています。先生がとてもしっかりとしたいい先生で、息子も先生が大好きになり、楽しく通っています。その先生に発達支援の事業所の先生に言われた事を話したら、『そんなことありません。大学病院では1歳の子供からリハビリに来ていて、その子の状態に合った事から訓練を始められるんですよ』とお話を頂きました。先生のお話に私も納得し、やってみないで諦めてしまった事を後悔しています。
言語聴覚士の先生は、息子の状態を見て、必要な訓練を息子の好きな遊びをしながら上手に取り入れ、行って下さっています。おかげで息子は、言葉のリハビリに通う事がとても楽しく、喜んで通っています。
身体や情緒の発達の遅れ
言葉の発達の他に、息子は、身体面・情緒面でも遅れがあります。身体面では、偏食が酷い事もあり、周りのお友達より体が一回り小さく、1人で出来る様になる事が、お友達よりすごく遅いのです。家でも日常生活の事は、息子の様子や状態を考えながら、いつも声かけして出来る様になる様サポートしていました。しかし、親子だと息子に甘えが出て上手くいかない事、成長が見えない事がたくさんありました。
また情緒面でも遅れがあったので、相手の気持ちや状況が理解出来ない事が多く、言葉の発達の遅れも重なって、なかなか家族以外の人との交流が苦手でした。このままでは、息子が外の世界に出て、自立への成長を促せなくなってしまうと心配になった私は、私からの自立を促そうと、知り合いから聞いた発達支援の事業所に連絡をし、相談に行きました。ここが、先程言葉の発達のお話の時に出てきた発達支援の事業所です。
この発達支援の事業所は、幼稚園や小学校に入学した時にお友達と一緒に1日の流れに参加できる様に、きちんと朝の会から始まり、遊びや課題をこなして、お弁当の時間、そして自由遊び、帰りの会と行ないました。4時間という短い時間の中でしたが、幼稚園入園を機に経験する事に慣らしてくれたので、人見知りな息子も幼稚園や小学校で、きちんと1日の流れに乗る事が出来ました。
また、発達支援では日常生活や、工作や、課題などで不得意な事を、息子が分かる様に根気よく教えて頂き、息子は少しずつ1人で色々な事が出来る様になりました。また天気の良い日には、近くの公園によく連れて行って下さり、運動の面でも遅れのあった息子に、遊具で遊ぶ時の体の使い方を教えて下さいました。自由遊びの時間では、お友達との関わり方を教えてくれました。この事業所には3年半通いましたが、幼稚園から小学校の今の生活に、経験がとても活かされています。
私なりの療育や専門機関での療育を振り返って
私が息子の成長の為に奮闘してきた事や、専門機関で療育をやって頂いた事で言える事は、息子本人をしっかりと見て理解してあげた上で、どうしたら息子の成長に繋がるだろうと考えることが大事だと言うことです。息子は、4歳4ヶ月の時に自閉症だという事が専門機関で判明しましたが、そこで悲観せずに私が息子の為に一生懸命努力していれば成長を促せて、周りのお友達と同じ位に追いつける可能性もあるのではないかと考え頑張ってきました。それゆえに、自分のした努力が息子の成果に表れなかったり、息子に反抗されると、自分に余裕がなくなり、息子の事を思いやれなくなって、自分目線で叱ってしまった事も、今までの日々にはありました。
息子の子育ての日々の中で、考えて悩んだ分、たくさん息子の事を知る事が出来たし、これからも成長のための努力は惜しみません。同じ境遇の皆さんにも、お子さんの事をよく理解してあげて、成長を促せる道を見つけてあげてほしいと思います。
[参考記事]
「自閉症の特徴と兆候について」