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不登校の発達障害の娘が登校できるようになるまで。原因は先生

 

この記事は30代の女性に書いていただきました。発達障害の子に多い不登校ですが、彼女の娘さんも例外ではありません。その不登校の原因が学校の先生というから驚きます。もっと、先生には発達障害について勉強をしてほしいです。

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 自傷行為で気づいた、発達障害の娘の『学校恐怖症』の苦悩や周りの対応のお話です。

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気づき

 娘が小学校三年生のある日、仕事から帰宅すると、壁に後頭部を打ち付け、「〇〇(自分の名前)は、悪い子。ダメな子。」とつぶやき、血がにじむほどの力で爪を太ももにくいこませていました。声をかけると、我に返り泣きじゃくりました。何故そう思うのかを聞いても答えは返ってきませんでした。学校に、聞いても思い当たることはないとのことでした。それ以来、不登校になりました。

 娘は指をしゃぶる行為が直りませんし、排泄の失敗もあり、何かに苦しんでいることは確かですが、決定的な理由が思いつきませんでした。

娘の症状1

 自傷行為の後は、家やデイサービス(療育のために通っています)では笑顔もあり、勉強もきちんとできました。友達と遊ぶこともできました。しかし、学校を思い出すと、『どうしよう!どうしよう!』と、パニックになります。特に、夕方から寝るまでの間の不安は大きく、乳幼児のように甘え、私から離れることができませんでした。やっと眠れても何度も目が覚め、私の存在を確認し、抱きつきました。泣き叫んだり、しくしく泣いたり、部屋の中をうろうろと歩き回ったりすることもありました。

 病院で相談すると発達障害の中の自閉症スペクトラム障害(自閉傾向が強い)・軽度の知的障害・情緒面は3歳程度と言われました。見通しが立てにくく、事象の前後のつながりが分かりにくいが、全体のできる能力は高いとのことでした。

 主治医には、娘の特徴や支援方法のヒントになるような文書を学校用に書いてくださいました。

親の対応

 私は、娘の味方であること・甘えてきた時はありのままを受け入れる。娘の不穏な言動に大きな反応を見せないことを続けました。主治医より、自尊心が傷ついているので、どんな小さなことでも褒める・認める反応を返し、自信につながるようにと、アドバイスがありました。

 療育では、簡単な文を書いたり、絵を描いたり、体を動かしながら、自信を取り戻せるよう支援していただいています。そして、無理に学校に行かせない、行けそうな時は協力することにすることにし、私は娘の支援のために仕事を辞めました。

娘の症状2

 不登校になってから、娘は『自分の思い』を伝えられなくなっていました。私に対しても、「怒ってない?」と、頻繁に質問するようになっていました。その都度、「怒ることなんて何にもないよ!〇〇(娘の名前)は悪い事なんてしてないよ!」と、伝えると、安心して「ぎゅーしてー」と抱き着いていました。

 会社を辞めて、娘と一緒にいる時間が増えたお蔭か、徐々にですが自分の思いを伝えるようになってきました。ただ、お気に入りのぬいぐるみを使って自分の気持ちを代弁させていましたが、大きな進歩です。主語は娘ではなくぬいぐるみですが、徐々に自分の内心に触れる会話ができるようになっていきました。

再登校の兆し

 ある日、ぬいぐるみが教えてくれました。「〇〇ちゃんは、ママと一緒に学校に行ってみたいんだって。」娘の顔を見ると、複雑そうな顔をして「〇〇(娘の名前)は言ってないよ。ぬいぐるみが思ってるんだよ!」

 私は、迷いました。『本当は学校に行きたい。』という思いを、どうやって実現させようか?タイミングは今でいいのか?もし、失敗すると次はもっと学校は怖いところと思うかもしれない。私の事も、先生と一緒の敵と思うかもしれない。いろいろ迷いましたが、思いを伝えようとした娘の勇気を信じることにし、一緒に登校することにしました。

登校チャレンジ開始

 ランドセルも持たずに、お気に入りのぬいぐるみを連れて家を出ました。徒歩5分程度のところに学校はあります。家を出るまでも、娘は葛藤していました。靴を履いては脱ぎ、玄関出ては家に戻り。路地まで出ては戻り。学校でも家でもない方向に歩き遠回りをしたりしていました。学校が近づくほど、負担は大きくなっているようでした。限界がくる前に、自宅に戻ることを促そうか…。だけど、ここであきらめたら娘の自信につながるどころか『やっぱり私はダメな子』になるかもしれないなど、悩みながら、娘が納得するまで付き合うことにしました。

 まずは校門に触れること。次の日は校門のインターホンで挨拶すること(授業中の為、事務員さんや教頭先生が出てくれるので安心できました)。一緒に、今日はどこまで行ってみる?と、話し合いながらスモールステップでゲームのように「ミッションクリア!」と喜びあいました。

校内に突入

 時間をかけ、娘の気持ちのペースに寄り添いながら登校にチャレンジしていると、校内にも入ってみたくなってくれました。この頃、娘は目標をクリアすることを楽しく思えるようになっていました。時々、担任の先生への不満も口に出せるようになっていました。校内に入っても、教室に行くことはできませんでしたが、時間差で一緒に登校し、別室で一緒に1.2時間ほど問題集や教科書を読めるようになりました。

学校恐怖症の悪化

 付き添いで登校しているうちに、恐怖が強く出るタイミングが分かるようになってきました。

1番は、担任の先生。
2番は、予定を立てて実行の約束をさせられるとき。
3番は、意見を聞かれ、答えられずにいると、問い詰められるとき。

 どれも、学校では当たり前のことで、2.3は実行できないと怒られることに繋がることです。2は特に先の見通しを立てることが苦手な発達障害の子にとっては辛いことで、先生はこれらの性質について分かっていないようでした。別室登校時も、何度も担任の先生が来て下さったのですが、1.2.3の項目が満たされてしまう状況でした。

 娘は担任先生の存在に気づくと、いつも机の下にもぐったり、カーテンに隠れたり、耳をふさいで小さくうずくまったり、奇声をあげていました。校内では、まるでお化けや誘拐犯に追いかけられるように逃げ隠れし、泣き叫ぶようになり、まるで別人のようです。

トラブル発生

 ある日、担任の先生の足音を聞いて別室より逃げ出しました。娘は叫びながら逃げます。廊下にいた担任の先生も「待ちなさい!」と叫び、他の先生方も出てきて、4.5人がかりで追いかけて娘を捕まえました。まるで、犯人を捕まえるかのようでした。

 思わず、先生たちに怒ってしまいました。「怖がっているのでやめてください。」「追いかけないでください。問い詰めないでください。」「今は、学校に居るだけでもこの子にとっては恐怖なのです。」毎日、別室に様子を見に来て下さる担任の先生の存在は、娘にとっては逆効果でした。

現在

 支援級に入れることになり、発達障害について理解して下さる先生もいます。同じような悩みや特徴を持つ友達もでき、愚痴を言い合える仲間ができました。休みがちですが、遅刻しながらでも登校できるようになりました。行事やイベント時の不安は強く、朝会も集会も運動会も音楽会も遠足も行事は恐怖です。しかし、支援級の行事は楽しみにしています。

まとめ

 きっと娘にとっては、『安心できる場』・『認めてもらえる場』・『質問しても分かるように教えてもらえる場』が欲しかったのだと思います。これらは娘だけではなく発達障害の子全員が求めていることです。

 先生方が声掛けの言葉や相手の表情などにも過敏に反応する娘の特徴を理解して、学校にも安心できる状況ができたことが、学校恐怖症の症状軽減につながったと感じます。

[参考記事]
「発達障害の小学5年生の息子は学校でのトラブルで不登校です」

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