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オーストラリアで長男の発達障害の検査をし診断が下りる

 

この記事はオーストラリア在住の女性に書いていただきました。国際結婚をし、オーストラリア人の旦那様がいます。息子さんに関して、発達障害の検査をし、診断が下りるまでを書いていただきました。

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 Autism。三年前初めて医師からこの言葉を耳にした時、私は何の事か分からず、隣の夫が涙しているのを見て、ただ動揺していました。長男が2歳の時に自閉症スペクトラム障害と診断されてから、情報収集の毎日。発達障害とどう付き合っていくか、この困難とどう闘っていくか、常に模索しています。

 ここでは自閉症スペクトラム障害(発達障害)の息子と私たち家族の体験を記します。

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長男に発達障害の兆し

 まず初めに私の家族構成と住む環境を紹介させてください。オーストラリア人の夫と長男、次男と四人で豪クイーンズランド州の首都のブリスベンという街で暮しています。夏は暑くなりますが、冬場は暖かく過ごしやすいので、日本人に好まれる気候であり、日本人コミュニティもかなり大きいです。

 長男が生まれて間もなく、月齢が近い赤ちゃんのいる日本人ママ10名と月一度の頻度で「ママ友会」を行っていました(オーストラリア人との子供や日本人同士の子供もいます)。長男は首が据わるのも、ハイハイも、歩き始めるのも周りの赤ちゃんと比べて早かったです。彼が9か月の頃には歩き始めて、1歳になる前には遊具の上り下りもしていたので、他の赤ちゃん達がピクニックマットの上でゴロゴロしているのを見て、「運動面での発達が早いうちの子はすごい!」と優越感に浸っていた時もありました。

 他の赤ちゃん達が歩き始める頃には、長男以外の子供同士では落ち葉を触って笑い合ったり、おもちゃを取り合ったりと社交面で成長していました。しかし、私の長男は1人でどんどん公園の奥へと進んでいき、木や藪の後ろに隠れたり、私が彼の名前を何度も大きな声で呼んでも気に留めることなく、我が道を行くマイペースな子でした。しかし、これが発達障害による行動だったなんて思いもしませんでした。

言葉の遅れが目立つようになる

 彼が一歳半になる頃、ママ友会の他の赤ちゃん達は、「ママ、ワンワン、もっと」など簡単な言葉を発するようになりました。うちは全然まだだなと不安に思う気持ちを打ち消す為に「家庭内がオーストラリアと日本のバイリンガルだから言葉を覚えるのが遅いのだ」と自分に言い聞かせていました。同時期に通い始めた保育園で、彼が名前を呼ばれても反応が無いことから、聴覚の検査に行くよう指摘されました。

 耳の検査に特に問題はなし。それでも言語の遅れが気になっていたので、この頃から言語聴覚士に毎週みてもらうようになり、三度目の訪問の時に小児科の先生に診てもらうよう勧められました。オーストラリアでは、日本と違い、小児科への受診はかかりつけ医師からの推薦状が必要となります。私達のかかりつけの先生は、「心配しすぎだ、スペシャリストに診てもらうまでもなく、まずはテレビ鑑賞の時間を減らしたり、本をもっと読む事などやることはある」と推薦状を書くことにも躊躇っていたのを覚えています。また推薦状があっても、急を要さない限り、小児科医の予約は困難でこの時も数か月待ちました。長男が2歳の誕生日を過ぎた頃です。

小児科医の診断

 初めて小児科医の先生を訪れた時は、「言葉の遅れはバイリンガルによるものだ」と言ってもらい、不安を払拭させたいという期待が大きかったです。1時間の対面時間。先生はおもちゃを使って、長男と遊んだり、私達に沢山の質問をしました。面談が終盤に来ると、楽観的に待っていた私に医師が言った言葉は「発達障害の中の自閉症の可能性がある。自閉症の特徴的な症状がみられる」でした。

 「自閉症の特徴的な症状がみられる」は私が期待していた内容とはあまりにも違っていたので、その後に医師が話していた内容が頭の中に入って来なかったです。専門用語が英語で理解できなかったのもあります(オーストラリアは英語が公用語)。ただ夫の涙が止めどなく出ていた事と長男が私達に目もくれず、夢中におもちゃで遊んでいた事は今でも鮮明に覚えています。

 さらに初診では言語療法士と心療内科の医師による検査がありましたが、1か月ほどで「発達障害の中の自閉症スペクトラム障害中度~重度」との診断がでました。診断に至るまで、夫婦で毎晩ネット生活を送っていました。自閉症の症状のリストを見ては、長男の行動と照らし合わせました。多動、目線が合わない、指差しをしない、好き嫌いが激しい、睡眠異常、クレーン現象。当てはまることばかりでした。触覚が過敏なのか、頭を撫でられるのを嫌がるのは乳児期から見られていたので、早く気づいてあげられなかった事に後悔しました。

 発達障害の診断が出てまもなくは、夫婦共々とても落ち込み、原因は分からないけれでも、妊娠中か、無痛分娩にした影響か、遺伝的要素か、乳児期にソファから落ちた時の後遺症か、などとずっと考えていました。今でも彼が小さかった頃のビデオや写真を見て振り返り、どの時点で障害が発症したのかと探してしまいます。困難はあるけれでも、やはり愛する我が子。この障害を一緒に克服していきたい。彼の可能性を最大限に広げたい。そのためにはどんな事でもやっていこうと決めました。

次の記事で、療育と治療に関して触れていきます。
「オーストラリアの自閉症児専門の療育センターで訓練を開始」

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