この記事は20代の女性に書いていただきました。
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今、私の中にある不安を大きく分けると「嘔吐恐怖症」と「音恐怖症」です。この2つは発達障害とは関係ないと思っていましたが、根っこの部分で繋がっているのではないかと考えています。そしてその根っこの大元は、発達障害からくる対人恐怖症だったと気づいたのは、つい最近の話です。
「嘔吐恐怖症」の原因は、小4の時のクラスメイトが嘔吐したことで先生に怒られ、「嘔吐したら怒られる」と思い込んでいたところにありましたし、「音恐怖症」は人の発する音に過敏なところから来ていました。発達障害の人は人間関係を作ることが難しく、それが「嘔吐恐怖症と音恐怖症」を引き起こしていたのだと思います。これらは二次障害と言われていますが、この言葉を知ったのもごく最近です([参考記事]「発達障害の「二次障害」とは何か。放置すると大変なことに」)。
嘔吐恐怖症
私の嘔吐恐怖症は「先生に怒られる」ことが「自分の価値を下げる」と思っていたことが原因です。ですので、先生だけでなく、親の言うことにも刃向かったことはありませんでした。冒頭でも触れた小4の時のクラスメイトは転校生でした。そしてよく嘔吐をする子でした。その場で嘔吐をするたび、みんなは集まりますし、先生は「なんでトイレに行かないの!」と怒っていました。好奇の目にさらされ、怒られるクラスメイトを見て、私は「吐いてはいけないんだ」とインプットされていたのだと思います。
それから自分が嘔吐をすること、人が嘔吐をすることに恐怖を抱くようになり、吐いても人に見られないようにするか、なるべく吐くのを我慢をするようになりました。嘘のようですが、私は小4から今現在まで1度しか吐いたことがありません。最初は「怒られるから」ぐらいの認識でしたが、今は嘔吐するぐらいなら死んだほうがまし、と大げさでもそれぐらいに思っています。
そしてそのことによる一番の弊害は、乗り物に乗れないということです。元々乗り物酔いがありましたが、嘔吐をするほどではありませんでした。学生時代のバス旅行でもそんなに酔わなかったのですが、卒業後バスに乗った時、だいぶ酔ってしまいました。都市バスではなかったので降りることは許されず、バスの中で嘔吐はしなかったものの、嘔吐するのではないかという恐怖からパニックになってしまいました。ですので、私の嘔吐恐怖症はパニック障害でもあります。少しでも酔うと動悸、目まい、息苦しさ。そしてその場からどうにか逃げようとしますが、移動中や下車できない状況だとパニック状態になり、止められなくなるのです。そのため、バスや飛行機など現地まで止まらない乗り物には乗れなく、電車もなるべく各停に乗るようにしています。
酔ったときに周囲の人にどう思われるか分からない、そんな自分を見られるのは情けないしかっこ悪い。そしてパニックを起こしたらそれこそどう思われるか・・・ 私の嘔吐恐怖症の根源は対人恐怖症にあり、「人から変に思われたくない」「嫌われたくない」ということが基礎にあります。嘔吐恐怖症やパニック障害は人間関係を作ることが出来ないことからくる二次障害ではないかと自分では思っています。
音恐怖症
そしてもう一つの恐怖症は「音」で、発達障害の性質からか昔から五感が鋭かったのです。5歳からピアノを習っていて、聴覚の刺激はとくに敏感でした。ピアノの音には恐怖心はありませんが、不協和音や音程が外れている音を聞くと気持ち悪くなります。最近スーパーへ行った時、BGMが何故だか知りませんが音がずれていて、気になって気になって早く退店したかったです。まず一番最初に表れた音恐怖症はテレビゲームのある特定の音でした。父親がテレビゲームをしていてその音が流れると叫び、逃げ出し、泣き出すこともありました。
今現在もその音は怖く、あまり目の当たりにしたくないのですが、初めにそれが表れたのは私が物心がつく前の話です。恐らく、父親の異常な行動とテレビゲームの音がリンクし、その音を聞くと恐怖感を感じるようになったのだと思います。
もう一つは人間の発する音です。咀嚼音、熱いものをすする音、咳払い、鼻をすする音・・・ それを聞くとその場から逃げ出したくなるレベルの嫌悪であります。私の音恐怖症は人に関わるものが多く、これも嘔吐恐怖症と同じく人間関係を作ることが苦手なところ(対人恐怖)から来るものだと考えています。
対人恐怖症
元来の性格はおしゃべりで、自分を開示することが大好きなのですが、それは受け入れてくれる人があってのこと。うまく言いたいことがまとまらない、伝えたいことが正しく伝わらないことはジレンマであり、周囲の人との関係に弊害を及ぼしていました。このADHD(発達障害)という性質は部屋だけでなく、私の頭の中も散らかっているのではないか、と悩み抜いたこともありました。
人に嫌われたらどうしようという対人恐怖が、上手く話せないことにつながっているのか、うまく話せないから人に誤解されてしまうのか分かりませんが、上手く言葉が出なかった時、「言語障害?」と言われたこともありました。こういった周囲の心無い言葉に傷ついてきましたし、衝動的に発してしまう自身の言葉で人を傷つけてきました。人との関わりは傷つき傷つけられることにあるのかもしれない。みんなそうやって生きているのだから自分だけではない。そう言い聞かせてきましたが、人は怖いという気持ちはなくなりませんでした。
自身の人間関係において、距離感の取り方はとても下手でした。その距離感は物理的にも精神的にも取れず、近づきすぎることで仲良くなる人はかなり仲良くなるのですが、離れすぎていつまで経っても挨拶ぐらいしかしない関係性の人もいました。仲良くなった人も必要以上に自分を押し付けてしまって、嫌がられたり離れていってしまったこともありました。いずれにせよ、冷静に相手を見ることができればもっと違うのかと思いますが・・・無理なのです。
不安障害と戦うためには
自身の人生において、「不安」が多くを占めていて、それが生きにくさを生んでいるということは分かっています。ただずっと生きにくいままで自分の人生を終えたくない。発達障害のせいにして逃げたくない。そういう思いもあり、苦手なことにチャレンジしていったり、どうしたら改善できるだろうかと模索しています。
こうして文章で考えを伝える方がいきなり口で思いを伝えるより、考えをまとめることができるし何度も直すことができるので、実はいい方法だったということに気付けました。職場の上司にも「お前は誤解されやすいからな」と言われたこともあり、どうしたら誤解のない伝え方ができるかなと話し方の本を多く買って読んだりしています。この性質が実は自分にとってプラスだったといつか思えるよう、成長し続けたいと思う毎日です。