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発達障害との共生を目指して高齢ニートからの脱出を図る

 

この記事は40代・女性に書いていただきました。

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「高齢ニート」の生活

 私は2年前まで勤めに出ていました。しかし、残業三昧の忙しさの中で頑張りすぎてとうとう倒れ、うつ病と診断されて休職、やがて退職せざるを得なくなりました。よく、「専業主婦なの?働かないの?もったいないね」と言われますが、峠を越えて楽になっているとはいえ未だにうつ病闘病中なので、返事に困ったものです。

 主婦なのだから家事はやれていたかというと、部屋は散らかっていてどうにもならないし、炊事は気力があるときにしかできません。洗濯は洗濯乾燥機がやってくれているので、家事らしい家事などやっていないも同然です。専業主婦と名乗るのも恥ずかしいので、自分のことを「高齢ニート」と揶揄していました。

 それで決して良いと思っているわけではありません。目の前にやっていない家事が積み上がっているのを見ると、自責の念がこみあがってきます。ただ、体は動きません。調子が悪い時は、布団から出ることもできません。情けないなあ、何もしないで寝てばかりいて、怠けていると言われても仕方がないなあ」と自分を攻撃しては、辛い気持ちになってしまいます。

怠け者、だらしがない人、仕事の出来ない人…理由があるのかも?

 類は友を呼ぶというのか、私の友達にも精神疾患の既往症がある人が何人かいます。その人達の中で、近頃「発達障害の診断がついた」という人が数人、現れました。1人が「診断を受けてきた」と話したら、次々と「実は私も…」という人が出てきました。発達障害という概念が、最近話題にもぼるようになった新しい概念なので、理解がされづらく話しづらいという面があってのことでしょう。みんな、秘密にしていたことを、周りが理解してくれるかもと思えるようになってやっと語り始めたのです。

 例えば、ある友達は、事務の仕事で大企業に就労している際、「つくづくあなたは仕事ができないね」「空気が読めないね」と言われたことがあるそうです。彼女はより頑張ることを諦め、「私はこういった仕事には向いていないな…」と退職しました。実は、彼女なりに必死で頑張ってきたのですが、どうやっても「暗黙のルール」が分からなかったそうです。なぜか要領が悪くなってしまう彼女はその理由が分からずにいました。物静かでおとなしい彼女からは必死さが伝わってこないのですが、とても辛い思いをしていたそうです。やがて心療内科に通うようになり、発達障害の一種であるADHD(注意欠陥・多動性障害)と診断されました。

 彼女達は、怠けているわけではなく、むしろ必死でうまくやろうとしていました。ただ、仕事で彼女達と関わった人達は、彼女達のことを「努力不足」「自分勝手」と評していました。診断を受けたのち、彼女達は自分の生き方を見直しました。例にあげた、大企業の事務に泣いていた友達は、フリーランスで仕事をするようになり、生き生きと活動しています。挫折をした発達障害のみんなが私みたいに高齢ニートであるわけではありません。彼女たちに刺激されたことで勇気づけられました。私にも何かできるのではないかと。

自分の生きづらさと向かい合って

 私は、元気な時は、仕事に熱中するタイプです。何かができると達成感が楽しくて、次から次へと推し進めていってしまいます。ただ、優先順位をつけたり、整理をしたりするのが苦手で、全て同じ重要性のある物事として捉えてしまうために手抜きが出来ないで疲れてしまいます。

 そんな私のことを、発達障害の診断がついた友達がみんなで、主治医に相談することを勧めてくれました。「あなたにも私達と同じような不便さを感じる。診断をつけてもらうことは逃げ道をもらうことではなく、自分を見つめ直すこと。だから、主治医に相談してごらん」と。

 結果、私もADHD(注意欠陥・多動性障害)の傾向が強いという診断をもらい、投薬が開始されました。私の場合、あまり薬の効きがいいとは言えないようで、やはり家事をやろうとすると頭が混乱します。「薬に頼る」という言い方は、まるで辛いものから逃げて薬という快楽に浸る中毒者に向けられた言葉みたいで嫌いです。薬は生きることを助けてくれるものの、ただ、薬だけで解決できる問題でもないのだな、と認識はできています。

 本を読んだり、インターネットで情報を得たりして、少しでも自分で工夫はできないものかと試行錯誤をしました。いつまでも高齢ニートで居続けるわけにはいかないからです。

高齢ニートからの脱出を図る

 やらなくてはならないことを整理し、忘れないようにするために、スマートフォンのアラームやスケジュール機能を多用するようにしました。「それに書いてあることがやらなくてはならないことの全て」というルールを作ったら、気持ちが楽になりました。漠然と「やらなくちゃならないことがある」と思うと不安になったり焦ったりしていましたが、目で確認できるようになったら焦らずに済むようになりました。

 また、体調の関係でどうしてもできないことは、夫に頼んでも良いのだと自分に言い聞かせるようにしました。夕食を作る元気が無い、洗濯機を回すやる気が出ない…まだうつ病が完全に良くなったわけではないので、時折こういうことがあります。ただ、その時はもう人に頼ることも人生だと思うようにしました。意外と難しかったその割り切りで、生活の支障がだいぶなくなりました。

 私には今、少しずつ形にしている夢があります。私の大好きな手芸の作品を販売することです。手芸で稼ぎが増えるとか、生活が楽になる、豊かになるということではないでしょう。趣味の領域を超えるのはなかなかに難しいという認識はあります。ただ、発達障害による「過集中」を生かして何かを作り、それが誰かの手に渡り、喜んでもらえるという循環を作りたくて、販売に耐えうる作品を作るべく練習を重ねています(AHDHには注意欠陥多動性障害という名前が付いていますが、逆に過集中の症状を持つ人もいます)。これが今の私が考える「発達障害との共生」です

 今では注文を受けて作らせていただけるようになりました。暮らしが楽なわけではないので、元気になったらまた職を得て働きに出なくてはいけないと思っています。今は、うつ病の療養をしながら、「高齢ニート」と自分を罵った可哀想な自尊心を回復させていきたいと思います。

[参考記事]
「発達障害の「二次障害」とは何か。放置すると大変なことに」

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