この記事は発達障害のお子さんを育てている30代の女性に書いていただきました。
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・なかなか話さない子でした
私には四歳になる息子がいます。一歳を過ぎても喃語らしい言葉はなく、同世代の子と比べると少し成長が遅いなと思っていました。しかし、私の親戚の子は四歳まで話さなかったのですが、幼稚園に通うようになると話をし出したので、「うちもそのうち話すだろう。ちょっと言葉が遅い家系なのだろう。」と、特に心配もしていませんでした。
一歳半検診ではできない事の方が多く、数々の項目にチェックを入れられました。指差しもせず、喃語も話さない、保健師さんの指示も通らない我が子は発達が遅いと判断されました。月に2回の市の教室に通うことと、正式な発達検査を行うよう言われました。
・あれ?っと思った発達検査
発達検査は一歳半検診と同じ様に絵をみてニャーニャー、ワンワン等が言えるか、同じ形のパズルを入れられるか、検査士の真似ができるかなど行われました。それに加えて母親への聞き取りがありました。そこで、「おもちゃを一列に並べたり、こだわりが強かったり、極端な偏食はありませんか ?」と聞かれました。
私は教職についていたので発達障害児の特徴についてある程度理解していました。なのでその質問を受けたとき、「うちの子が発達障害(自閉症)だっていいたいんですか?」と怒鳴るように声を荒げ、「そんなはずはない」と否定しました。
いつ誰が発達障害児の親になるか分からない、どんな子でも愛情もって育てようとそう思ってたにも関わらず、いざ自分の子の事となるとムキになり、反論したことは今でも反省しています。でもこの時は自分の子が発達障害(自閉症)だと微塵も思っていませんでした。
・診断がおりた日
療育センターに通うことを進められたため、診断書をもらいに病院に行きました。先生は市の検査結果をみて、少し子どもに話しかけた後、私たちに「はっきり申し上げます。自閉症のお子さんです。つまり発達障害です」と言いました。
最初は先生の言葉が信じられず、「そんなわけない。こんな短い診察で何が分かるんだ。」と思い、受け入れられませんでした。しかしインターネット等で調べると該当することがいくつかあり、認めざるをえませんでした。
子供の取っている行動がすべて発達障害のせいに思え、私自身冷たい目で子供を見るようになりました。
「一生この子に苦しめられる。」そう感じていました。
その状況から救ってくれたのは、私がかかっている精神科の先生でした。子どものことを話すと、「実は発達障害じゃないかと思っていた。」とおっしゃっいました。しかし、「発達障害という診断名にこだわってはいけない。療育すれば大丈夫。」と励まされました。頑なに閉ざしてしまっていた私の心はスッと楽になり、子どもと向き合う決心ができました。
・受け入れられない祖父母
発達障害の診断がおりたとき、一緒に病院に行った祖母は、自閉症ということを受け入れられず、1ヶ月ほどほとんど食事が摂れなくなり、みるみる痩せてしまいました。厳格な祖父は、しつけさえすればしっかりすると思い込み、急に息子に厳しくするようになりました。
「今まで優しかったじいじが急に怖くなった。自分はなぜ怒られているのか分からない。」
息子はそう感じたのでしょう。泣くことが多くなり、家族はギスギスしました。息子にとってストレスになることは避けてあげたい。そう思った私は祖父に本をあげて、発達障害について勉強するよう言いました。8冊の本を読み終えた祖父は息子に叱ることは減りました。家族で話し合い、接し方を統一しました。この子には叱るのではなく褒める、そして子供に「できた」という達成感を味あわせ、自己肯定感を持たせてあげよう。そういう接し方に変わりました。
・大人が変われば子どもも変わる
うちの子は食事の途中で動いてしまうことが多く、途中遊んでしまうこともありました。そんなときは「座ります。」とできるだけ分かりやすい言葉で伝え、戻って椅子に座ったら「できたね。」と、褒めました。
周りの大人が伝える言葉を統一することで、子どもに分かりやすくしました。些細なことや、一般的に見れば当たり前のようなことでも大袈裟に褒めました。徐々に褒め方のテンションを下げていき、普段の習慣を身につけていきました。
今では「ごはんです。」と伝えると、自分で椅子を運び座ります。最近はお手伝いも進んでするようになり、箸をならべ、ごはんを運びます。食事の間じっと座っていられるようになり、ごちそうさまの合図も覚えました。些細な成長を見つけては家族で報告し笑うことが増えました。少しの成長も見逃さず喜びをかみしめています。今では家族全員が前を向き、発達障害の我が子の健やかな成長のために手を取り合っています。