「軽度」ゆえに立ちはだかる学業の問題
私には、就学直前にアスペルガー症候群と診断された息子がいます。主治医の方針で本人に告知していません。
その理由は2つあります。1つは「障害」という言葉が重すぎることです。もう1つは、現状、「障害児」と名乗ったところで、息子程度の「軽度」な子供までフォローするような特別支援教育がないからです。もっと深刻なお子さんにも行き届いていないのに、息子が利用できるような特別支援教育は特にないのです。
小学校の先生には診断名を伝えましたが、本人に告知していない以上、他のお友達も知りません。障害があることを伏せて「普通級」での生活です。
そこで、問題になるのが学業です。学校は勉強だけをする場所ではありませんが、基本は勉強する場所です。
小学校1年の夏ごろから教科学習が始まって程なくして、息子は普通に学校の授業を聞いているだけでは、どうもちゃんと学習できないようだと分かってきました。
こういう状況ですが、それを医療関係者に相談しても話がかみ合いません。主治医は「勉強なんて二の次でいいではないですか。大事なのは自己肯定感を育むことですよ」とおっしゃるばかりです。
しかし、普通教育の中で普通に学校に通うなら、学校生活の中心となる勉強がある程度できなければ、自己肯定感も育たないのではないでしょうか。
発達障害の子供の「困り感」は、「言葉の分からない外国の中で生活するようなもの」と例えられることがあります。私自身、昔、英語が母国語でない国で生活していたことがあり、そのしんどさはよく分かります。本当、その国の言葉が分からないとコミュニケーションは辛いです。
ただ、その場合に対策として最初に考えるのは、単語レベルからでもその国の言葉を習得することですよね。私も片言くらいは頑張り、お陰でそれなりに楽しい思い出になりました。
発達障害の学業も同じでしょう。優秀な成績でなくてもいいので、学校に通うのが嫌にならない程度に、いわば「嗜み(たしなみ)程度」の学力を身につけなければ、不登校にだってなりかねません。集団教育で健康な自己肯定感を育むにも「嗜み程度の学力」は必要だと思うのです。
書字との格闘開始
小学1年生で困難となり、そして6年生までずっと問題だったのが「書字」でした。「ひらがな」の「あ」は「十字架に『の』が斜めにからみついている」という独特の形でしたし、漢字の四角は一筆書きで書くので乱雑なときは丸に見えることも。一筆で角を書くべきところも、二画に分けて書き、しかもその2直線が交差しているので、全く何を書いているのか分かりません。
小学校2年の担任の先生は、特別支援教育に関心の高い先生で、漢字テストで×をつけるにも「〇君の自己肯定感を傷つけたくないのですが……」と恐縮して下さいましたが、私の方から「どう見ても間違っている漢字は×にしていただいて全く構いません」と申し上げました。
家庭での工夫として、学校の課題で間違えた漢字を盛り込んで、私が手作りの漢字問題カードを用意し、朝に書き取りをさせてみました。市販の学習ドリルでは、息子の出来なさにピンポイントで対応できません。
学校の先生に手作りカードをお見せする機会があり、「ご家庭でも一生懸命取り組んでいらっしゃる」とのご理解をいただけました。私が所属する親の会では「学校と協力関係が上手くいかない」というケースがよく話題になります。家庭で工夫していることがあれば、どんどん学校の先生に報告した方が、学校にも家庭の熱意が伝わって良いと思います。
もっとも、この時期の我が家の場合、親の努力は褒めて頂けても、肝心の息子の漢字の習得はそれほど改善しませんでした。だいたい「惜しい」ぐらいの字は書けるのですが、「正解」とするには微妙な感じ……。
「パーツの組合せだ」と思えば親も子も楽に
ただ、この小学校低学年の時期に漢字学習について息子に言い聞かせたことは後々まで役に立ったと思います。それは「漢字はいくつかのパーツで出来ている」と教えたことです。
ある程度漢字学習が進んだ時点で、「木」偏や「手」偏のグループ、「寺」など旁(右側の部分)が同じグループを集めて、「ほら。同じパーツで出来ているでしょう?」と教えました。そして、「今、パーツを覚えておいたら、後はパーツの組合せだからね。いつまでもこのしんどさが続く訳じゃないよ」と教えたのです。この時点では、息子が勉強嫌いにならないよう「いつかは楽になるよ」と明るい見通しをもって欲しいという程度の気持ちでした。
しかし、後で分かったことですが、発達障害で漢字学習に困ってしまうお子さんの中には、このようにパーツに分けても認識できない子も多いそうです。新しく習う漢字を一つ一つ丸ごと全体を別のものとして認識してしまい、その結果、必要以上の負担になってしまうそうなのです。
「発達障害」という概念が登場する以前の温故知新
私の息子程度の「軽度」な障害では、特別支援教育の対象にもなりにくいと書きました。では、このようなお子さんは今までどうしていたのでしょう。
発達検査の心理士さんに「こういうお子さん、昔からちょくちょく居たんですけどねえ」と言われたことがあります。軽度なお子さんについては「昔は『ちょっと変な子』で済んだのが、今では『障害』と呼ばれるようになった」という側面があると思います。
ということは、昔の「ちょっと変な子」向けの教育方法に何か解決策があるかもしれません。
唱えて覚える漢字学習
Amazonで漢字学習の教材を探していると、「漢字の本(小学1年生)新版 となえておぼえる [ 下村昇 ]」という教材が見つかりました。口で唱えながら書き順を覚えられる「口唱法」を紹介したものです。
考案されたのはずいぶん古く(1970~80年代)、親子で楽しんでいるというブックレビューもあります。今でいう発達障害に限らず「漢字が苦手な子ども」というのは一定数いて、そういった子ども向けに工夫がされてきたのだと思います。
私の息子の場合は、残念ながらこの口唱法を取り入れたからと言って、大きく改善されたわけではありませんでした。
ただ、この本は、
「識字欲を刺激する『漢字ファミリー』によるページ構成、また、絵本作家・まついのりこ氏による、ストーリーを持って楽しく展開する絵などの特徴」
が昔から好評なのだそうで、そちらは我が家にも役に立ちました。漢字が決まったパーツの組合せであることを繰り返し説き、そしてこの本の絵を見せながら、「こういう意味だからこういう組み合わせなんだって」と説明することができました。
公文式「かきかた」教室
4年生になるとき、「周りのお子さんが行くから」という程度の理由で学習塾に通うようになりました。そこで、子供の発達障害を全く知らせていなかった学習塾の先生が、息子のあまりの字の汚さに「これ、どうにかした方がいいですよ!お習字か何かさせた方がいいです!」と驚かれました。
習字はそれまでも考えなくもなかったのですが、毛筆を習わせて硬筆の文字がきれいになるのか効果に疑問があって習わせないままになっていました。
全体に学校の先生が良く言えば優しい(悪く言えば「ヌルい」)ご対応でしたので、書字の改善は先延ばしになっていました。
この塾の一件で、「書写教室」を探すことにしました。すると、意外にも、公文式に「かきかた」という教室がありました(私には昔ながらの「計算問題専門」という印象が強く、最近は英語や国語も教えているらしいとは小耳にはさんでいましたが、「かきかた」も教えているとは初めて知りました)。
公文式の「かきかた」の教材を見て「へえ」と驚いたのは、一番初めの教材が「点と点を線で結べるか」というレベルから始まることです。
発達障害のお子さんには、手先が不器用なために字が汚いというタイプのお子さんもいます。さすがは公文式。発達障害に発達障害という名前がついていない時代から、この手のお子さんの面倒をみてきたのでしょう。
私の息子はこの辺りは大丈夫でしたが、やはり「ひらがな」からのスタートでした。先生は「4年生さんなのに退屈でしょう?ごめんなさいね」とのことでしたが、1回あたりの課題もそれほど多くなく、また、同じ教室に学校で一番仲良しのお子さんが通っていたのもあって比較的楽しく通っていました。
小学5年になって中学受験のための塾が忙しくなるまでの1年間だけでしたが、ある程度効果はありました。一字一字の「美しい形」を教えて頂き、息子もそれは分かったようです。時間をかけて一字を書くならば、それなりにきれいな字が書けるようになりました。
ただ、普通に文章を書くのには追いつかず、テストの答案などは相変わらず汚いままで、中学受験でも問題は残りました。もう少し早い時点で始めておけばよかったのかもしれません。
中学受験を乗り越えて
小学5年生以降は、行きたい私立中学校が見つかり、熱血指導な学習塾に変わったこともあって「入試で通用する字を書く」ということが目標となりました。
小学校の先生も、低学年の時ほど甘くはなくなり、漢字テストで×をつけられてくることも増えました。もちろん我が家の望むところです。
塾はもちろん、小学校も中学受験をするお子さんが多く、体育会系のノリで「○○中学目指して頑張るぞー」「おー頑張れよー」という雰囲気がありました。他の受験科目と一緒に、書字についても「こんな字は入試では通用しない!」と激を飛ばされながら、本人も頑張れました。
受験の日、塾の先生方が会場に応援に来られていました。国語の先生が息子の顔を見るや否や、挨拶もすっとばして「〇!お前は字!とにかく字!」と胸倉をつかむ勢いで渇を入れて下さいました。おかげさまで、入試で読んでいただける字が書けた模様で合格できました。
合格発表の後、お礼に塾に伺いました。私が「教科学習だけではなく、字の汚さもご指導いただきまして……」と口にしたとたん、スタッフ全員からどっと「ああ!」と苦笑いが一斉に起こりました。
代表して算数の先生から「いやあ、君の字が汚いから×にしたことが何回あったことか!」とのお言葉がありました(数字も汚かったのです)。「中学に入っても字は丁寧にね」と改めて「全教科の」先生から念を押されて帰宅しました。
中学生の現在は……。先日文化祭に行ってきました。偏差値が同じくらいだと精神年齢も似通ってくるようです。男子生徒たちの作品の中では、息子の悪筆もそれほど目立たずに済んでいます。
大学受験までに「あれ?俺の字ヤバくね?」と気づいて、もうひと頑張りしてくれればと思います。その前に入試も電子デバイスになって欲しいと、親の私は願っているのですが……。
まとめ
「軽度」だと、学業面での特別支援教育のフォローはあまりありません。漢字学習に躓く原因に「漢字をパーツで認識できない」ケースがあり、それについては研究されているようです。学校や教育委員会に問い合わせると情報があるかもしれません。
他には「発達障害」という概念が生まれる前から、「漢字・書字が苦手な子」向けに教材や教育法があり、今でも公文式のように民間の教育サービスに受け継がれているかもしれません。
私の息子の場合は、家庭で「パーツの組合せと思えば後が楽」と明るい見通しを持たせつつ、「かきかた」教室でベースを作って、最終的には中学受験塾で何とかなった……ということになります。