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発達障害の混合型と診断されたのは30代。上司から退職勧奨が

 この記事は30代の男性に書いていただきました。

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 私は30代に入ってからADHD、アスペルガー症候群、算数型学習障害の混合型と診断されました。

 発達障害の障害特性により、仕事をする上でとても苦労しています。発達障害があることが発覚する前と後で起きた出来事、置かれていた状況についてお話したいと思います。

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転職してからすべてがうまく行かなくなった

 30歳を間近にした私は今後のキャリアアップを考え、当時勤めていた会社を辞めて別の会社に転職しました。

 そこはベンチャー企業で任される仕事が多く、大変刺激的な環境でした。しばらくは自分ひとりで仕事をこなしていたのですが、あるときチーム作業が必要な大きなプロジェクトに参加するよう指示を受けました。

 当時の私はやる気に満ち溢れ、会社に貢献できるよう頑張るぞ、と息巻いていましたが、このプロジェクトに参加したことがきっかけとなり、問題が続出。

 チーム作業を上手くこなすことができないのです。チームメンバーの求めていることがわからない、こちらの言っていることがうまく伝わらない、会議での内容を覚えていられない、会話をする上で話に集中できないなどの問題が多々わき出てきました。

 コミュニケーションがうまく取れない。そのことに自分自身愕然とし、大変悩みました。
 
 コミュニケーションがうまくいかないことが問題となり、私はプロジェクトから外されました。これが起因となり、社内での立場が非常に悪いものとなっていきました。

 また、ケアレスミスが多く、毎日のように上司から激しく叱責されていました。ときには他の社員がいるなかで1時間以上説教をされたこともありました。しかし、そんな状況でも叱責されている内容から意識がそれ、話をちゃんと聞くことができませんでした。

 自分が情けなくて、いい年をしておきながら涙で枕を濡らす日々でした。なぜ自分はこんなに駄目な人間なのだろう、どうしてうまくいかないのだろうと自分を責めました。

 毎日会社に行くことがつらく、今すぐにでも逃げ出したい思いを押し殺しながらなんとか出社していました。あとからわかりましたが、この時点ですでに私は発達障害による二次障害で抑うつ状態になっていたのです。

 そんな状態で仕事をしても良い結果が出るはずがありません。失敗は更に多くなり、ある日上司から退職勧奨を受けました。

 相当ショックを受けましたが、心が疲弊しきっていた私は上司の言うとおり退職願を出し、会社を辞めました。

すべては発達障害が原因だった

 会社を辞めた私は抑うつ状態から抜け出すためメンタルクリニックに通いだしました。精神状態を改善するため、しばらくは療養の日々を送っていました。

 ある日、インターネットを見ていると発達障害の記事が目に止まりました。興味がわき、目を通してみると自分が悩んでいる症状とそっくりな内容がそこに記載してあるではありませんか。

 まさか、と思いました。自分は発達障害者なのではと疑い出しました。念のため試しにインターネット上にある発達障害診断テストを行ってみると「高確率で発達障害である可能性あり」との結果が出ました。
 
 私は居ても立っても居られなくなり、メンタルクリニックの主治医に相談し、心理検査を受けることにしました。

 数ヶ月に渡る検査の結果、「ADHDの不注意優勢型、アスペルガー症候群、算数型学習障害の混合型」との診断がくだりました。

 医師に告げられたときはショックでした。しかし、同時に「ああ、やっぱりそうだったのか」という納得感もありました。

 親には黙っていようと思いましたが、自分ひとりの問題ではないため伝えることにしました。

 父は事実を冷静に受け入れてくれましたが、母は事実を受け入れることができず、私が発達障害を持っているということを認めてはくれませんでした。「あなたが障害者のはずがない」と大変興奮した様子でいたのを強く覚えています。

 それはそうでしょう。まさか自分がお腹を痛めて産んだ子どもが障害者だったなんて。すぐに信じられるわけがありません。

 そのため、まず発達障害というものがどういうものなのかを理解してもらうため、障害について一から丁寧に伝わるよう説明しました。

 ADHDは一昔であればおっちょこちょいとか天然という言葉で済まされていたこと。アスペルガー症候群はコミュニケーションの難しさ。学習障害は学ぶことへの難易度が上がること。

 私の説明により、ようやく母は発達障害をきちんと理解し、冷静さを取戻して事実を受け入れてくれました。

障害特性をカバーしつつ新しい会社で再出発

 発達障害を持っていることが判明してからしばらくして、私は新しく会社に就職しました。

 しかし、このままでは発達障害が起因して前の会社で起きた問題を繰り返えしてしまいかねません。そこで障害をカバーできるよう対策を取るようにしました。

 短期記憶が持たないため、上司から口頭で指示をもらう際は、複数の内容を一気に伝えてもらうのではなく、1つずつ言ってもらえるように頼みました。メモを取る際も焦って走り書きやキーワードのみにしてしまうとあとから読んでもわからないため、しっかり内容を書き込むようにしました。

 また、相手の話に対しての理解力が乏しいため、齟齬が起きないよう頻繁に聞き返しを行うようになりました。

 他の社員に仕事上の話をする際は、自分の伝えたい事がしっかり伝わるようにあらかじめノートに話す内容を書き、いわゆる台本を作ってから会話を行うようにしました。

 ケアレスミスに対しては自分自身だけでは対応が難しいと考えましたので、他の社員に作成した書類等のダブルチェックをお願いするようにしました。

 現在も障害特性のカバーに努めながら働いています。いわゆる健常者に比べて随分とハードルが高い人生だな、と思いながらも今ではこれが自分であるのだから、と認めてあげることができるようになりました。

 発達障害者として精一杯自分の人生を生きてやる。発達障害になど負けてたまるか、という強い気持ちを持って日々生活しています。

[参考記事]
「発達障害に気が付くまで続いた仕事と人間関係での失敗」

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