話し手:佐藤 真由美(仮名)/38歳/会社員(事務職)
私は38歳。東京都内で小さなIT企業の総務課に勤めている会社員です。3年前、35歳のときに「ADHD(注意欠如・多動症)」と診断されました。それは、私の人生のいろいろな“なぜ”が、ようやく一本の線でつながった瞬間でもありました。
子どもの頃から「普通」になれなかった
小学校の頃から私は「忘れ物が多い子」でした。宿題をやってもノートを家に忘れ、上履きを毎週持ち帰り忘れ、テストの名前欄を書き忘れる。先生にもよく怒られました。「真由美ちゃん、しっかりして!」と。
でも、自分なりには頑張っていたんです。忘れ物をしないようにメモをしても、そのメモ帳を忘れる。何かの手を打っても、その対策を管理する力が自分には決定的に欠けていました。
友達づきあいもうまくいきませんでした。相手の気持ちを読むのが苦手で、冗談が通じなかったり、無意識に話を遮ってしまったりすることがありました。あるとき仲のよかった子に言われました。「真由美って、ちょっと変わってるよね」——その一言が刺さって、私はどんどん自分を抑えるようになっていきました。
就職しても「困った人」扱いだった
大学を出てから一般企業に就職しました。最初は営業事務を担当していましたが、締め切りを守るのが難しかったり、電話の対応をしているうちに本来の作業を忘れてしまったり。効率よく仕事がこなせない私は、やがて「空気が読めない」「やる気がない」と評価されるようになりました。
何度も転職しました。でも、どの職場でも同じようなトラブルが繰り返されました。上司からは「注意力が足りない」「優先順位を考えろ」と言われます。でも、私の中ではすべてが同じ優先度に見えてしまうんです。緊急性を判断するのが苦手で、注意があちこちに飛んでしまう。まるで、頭の中に無数のタブが開いたまま、どれも閉じられずにいるような感覚。
「私は社会不適合者なのかもしれない」——そんな自己否定に毎晩苦しむようになりました。
診断と向き合う勇気
転機が訪れたのは、35歳のとき。たまたま見ていたSNSで「大人の発達障害」の特集記事を読んだことがきっかけでした。そこに書かれていた「いつも失くし物をする」「スケジュール管理が苦手」「会話がかみ合わない」などの特徴が、自分にぴったり当てはまりました。
勇気を出して精神科を受診すると、医師から「ADHDの傾向があります」と伝えられました。予想していた答えだったのに、涙が出ました。悲しいとかショックというより、「やっと名前がついた」という安堵感の涙でした。
診断されたことで、私の中で何かが変わりました。自己嫌悪ではなく、「脳の特性の違いなんだ」と受け入れることができるようになったのです。
サポートと工夫で変わる日常
今の職場では、診断を受けたことを上司に伝えました。とても理解のある方で、「じゃあ、どういう工夫をすればやりやすいか、一緒に考えよう」と言ってくださいました。以来、私は以下のような工夫を日常的に取り入れています。
-
タスク管理アプリ(リマインダー)を常用して、時間ごとに通知
-
曜日ごとのルーチンを色分けしたToDoリスト
-
話し合いの場では、事前に議題を書き出し、メモを取りながら会話
-
朝と夕方に「自分のやることを整理する時間」を15分ずつ確保
もちろん、すべてがうまくいくわけではありません。忘れることもあるし、パニックになる日もあります。でも、「なぜ自分はこうなるのか」を理解したことで、立ち直りが早くなりました。何より、「私はダメな人間じゃない」という実感が、少しずつ戻ってきたのです。
世の中の“普通”に合わせなくていい
世の中には、「当たり前」のように思われている行動や思考の枠があります。でも、その“当たり前”ができない私のような人間にとって、それはとても苦しいものです。
だから私は、無理に“普通”に合わせようとするのではなく、自分の「やり方」を見つけることが大切だと思っています。社会の側も、「みんな同じにする」ことを目指すのではなく、「違うことを前提にする」柔軟さがあっていいはずです。
発達障害は、病気というより“脳の配線の個性”だと私は考えています。誰かと比べるのではなく、「昨日の自分より少しでも生きやすくなること」を目指して、これからも自分なりのペースで生きていこうと思っています。
発達障害と生きる、それは「自分を知る旅」
もしこの記事を読んでいる方の中に、「自分はちょっと人と違うかも」と感じている方がいたら、どうかその感覚を否定しないでください。違っていいんです。違いは恥ではなく、理解の入り口です。
私は発達障害という言葉を知り、自分を知り、ようやくスタートラインに立てた気がします。
これからも私は、「できないことがあっても、自分を責めない」ことを心がけて、毎日を生きていきます。まだまだ試行錯誤の連続ですが、それでも——私は、私のままで、ちゃんと生きていけると信じています。