この記事はADHDのお子さんを育てている40代の女性に書いていただきました。
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現在10歳10ヶ月の息子はADHDです(参考記事「ADHD(注意欠陥・多動性障害)とLD(学習障害)の特徴について」)。そして、私自身も8歳の娘もADHD、もっと言うと診断は下りていませんが、私の姉や兄、甥姪、そして私の親もADHDの特徴を強く持つ家系です。息子が産まれてから診断が下りるまでを振り返らせて頂こうと思います。
息子は2歳の時に妹が産まれる事がきっかけで保育所に入所しました。その頃には、親族友人などみんなに「ヤンチャ坊主」って呼ばれる男の子に成長していました。
しかし、その一方で
「落ち着きがなく、よく怪我をする。」
「ご飯を食べる事が大嫌い。」
「好き嫌いが強くでトマトは口にいれただけで吐く。」
そんな特徴が2歳から3歳にかけての息子の保育所手帳(保育士と保護者との連絡ノート)に記載されることが多かったです。今でこそ分かりますが、食べ物の好き嫌いに関しては感覚過敏の傾向が強いからです。口触りと味に対しての感覚が普通の子供と比べると強いのです。
これらの特徴は今も続いていますが、特に足元を注意して歩く事が全くできないところがすごく気になります。段差に引っかかり転び、すぐに起き上がって歩きますが、また段差は気にせず引っかかる。3歳の時には園庭で遊んでいて3m近い高さの大型遊具の滑り台から転落し、緊急病院に運ばれたこともありました。幸いレントゲンやCTでの検査でも異常がなく大事には至りませんでしたが、心臓が止まりかけるくらい驚きました。
発達障害を疑い始め、相談をする
その頃から送迎時や参観日で他の子どもと遊ぶ息子を見ていると、良く言えば「人一倍活動的、人に目配りできる」、悪く言えば「落ち着きがない、自分のことをしっかりとせず自分がままなってないのに、人の事や周りばかり見ている」そんな子でした。
お迎えの時に、思い切って年少の担任に「先生、うちの子、多動症じゃない?」って聞いたのを覚えています。担任は「大丈夫!目も合うし、ただのヤンチャ坊主!」と答えてくれましたが、今思うとそれは担任の認識不足だったと思います。
年中、年長でも懇談のたびにADHDを知らない私は「多動じゃない?」と担任に問い「大丈夫!友達と遊べるし、座ってお絵かき出来るし、理解もしっかりしているから、ただのヤンチャな子!」と答えてもらっていましたし、旦那や身内に相談しても「昔はこんな子ばっかりだった、なんの心配もいらない!」「男の子はこんなもの」と言われ、腑に落ちないまま納得していました。
小学校へ入学しても変わらず
小学校へ入学しても相変わらず小さな怪我をよくしていました。お勉強は幸い問題なく追いていけていました。小1の夏休みに私が離婚、そして転校しましたが、もともと人見知りをせず、人懐っこい息子は、すぐに学校に馴染みました。懇談でも「やんちゃですが、優しく、人と違う発想があり良い子です」と言われていました。
小2の担任は大変規律正しい方で、息子の落ち着きのなさを厳しく指摘して下さる方でした。授業中に立ち歩いたりはしないものの、目に余る授業態度で先生から
「上靴の踵を踏むなと言っても踏む」
「椅子をガタガタと動かすことを止めない」
「片付けが出来ない」
と連絡帳に毎日赤ペンで書き込みがあります。
その度に私も息子に注意しますが直らず、赤ペンの注意書きされる状態が続きました。そんな中、息子が椅子をガタガタと動かした時に後ろに倒れ、後頭部が裂け縫うほどの大怪我をしたことがありました。なのに、翌日も白い包帯を巻いたまま、椅子をぎっこんばったん。
その他にも学校に行くのに慌ててランドセルを持たずに行ってしまい電話が来たり、慌てていて制服の短パンを履き忘れ、トランクスのままで「行ってきまーす」と家を出て途中で引き返してきたり…。そんな2年生でしたが、「個性的だね〜」「普通にないもの持ってるよね!」「昔はこんな子多かったけど、今は珍しいよ」なんて他の保護者の方に言われる子になりました。
人懐っこい性格で、可愛がっていただいていたのですが、やはり普通じゃないのかな?と思って調べていて、この頃に私はネットで「ADHD」を知り、担任に聞きました。担任は「気を付けて見て見ます、巡回カウンセラーにも見るよう伝えます」との事でした。
そして、3年生。自転車で飛び出しをして車にはねられ、大怪我はなかったものの事故を起こしてしまいました。翌日は学校で友達と掴み合いのケンカ。先生に呼ばれ、「お母さん、2年生の時にADHDを気になさっていましたよね?お母さんが引っかかる部分があるならば、診察を受けてみるのも1つの手ですよ」と言われました。
私は、学校の駐車場からすぐにこの地域では有名な小児心療内科へ電話して、2週間後に診察予約をとりました。