この記事は30代の女性に書いていただきました。
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20歳の時、大学でたまたまADHD(注意欠陥多動性障害)を研究している先生の講義を受講し、「お前は典型的なADHDだな」と言われたのをきっかけに、病院でADHDと診断されました。ADHDと診断された瞬間、それまで普通の人と同じようにできない自分に苦しんでいた私は、心の中で「私のせじゃなかったんだ!」と叫びました。心に重くのしかかっていたプレッシャーが一気に吹き飛んだような解放感で涙が溢れました。
ところが、母に報告すると「今の人は何でも障害って言えば良いと思ってる。言い訳して逃げたいだけでしょ。」と突っぱねられてしまいました。その言葉に、ようやく見つかった逃げ道が閉ざされてしまったようで、私の心は今まで以上に暗い暗い闇に引きずり込まれていきました。
当時、ADHDの診断を受けるきっかけを作ってくださった先生が、唯一「逃げても良いんだよ」と言ってくださり、心の支えになってくださいました。自分の障害について知りたいという思いから大学院に進み、その先生の元でADHDについて勉強し、少しずつADHDとうまく付き合えるようになってきました。
それでも、一番身近で支えてほしい母親に理解してもらえず、私がADHDについて理解してもらおうと頑張れば頑張るほど溝は深まる一方でした。その後23歳の時に薬を大量に飲み、車で壁に激突して自殺未遂を図ったり、26歳くらいからアームカットがやめられなくなってしまったり、暗黒時代が続きました。
27歳の時にストレスからか潰瘍性大腸炎を患い、難病患者になったことでようやく「出来ない自分」を許せるようになり、暗黒時代から抜け出すことが出来ました。
今では障害という言葉に頓着がなく、ありのままの私を受け入れてくれる旦那に支えられ、幸せな日々を送っています。
「問題児」と言われた小学生時代
今から30年ほど前、ADHDはあまり知られていませんでした。なので、LD(学習障害)を伴わないADHD児は「問題児」のくくりに入れられてしまうことが多かったように思います。私も問題児とくくられてしまったうちの1人でした。
毎日のように忘れ物をし、遅刻も日常茶飯事。机の中はいつもぎゅうぎゅうパンパンで、掃除の時間、私の机だけは先生が運んでいました。思ったことをすぐに口に出してしまうので友達や先輩との喧嘩が絶えず、絵に描いたような問題児といった具合でした。
乱暴者でだらしない女の子。もちろんクラスの嫌われ者です。子供の素直さは時に残酷で、嫌われ者には容赦なく嫌われている事実を突きつけてきます。
小学校中学年の頃から私の夢は「普通の子になりたい」でした。
理想の自分を演じてみたものの、あえなく失敗
小学校と違う学区の中学に進学することになり、今までの自分を変えたいと思っていた私に絶好のチャンスが訪れました。知り合いが誰もいないのを良いことに、必死におとなしくて奥ゆかしい女の子を演じました。しかし、あっという間に仮面は剥がれ、いつの間にかまた嫌われ者。
高校に入り自分も周りも大人になったのか、始めのうちは自然になじむことができました。男の子と普通に話せるのが嬉しくて男友達に囲まれていたら、女の子に嫌われ始め、結局またいつの間にかクラスで浮いた存在に…。
小学校の時ほど露骨ないじめはなかったものの、周りの目に敏感になっていた私は周囲の冷たい視線をびんびん感じて、心を閉ざすようになっていきました。
ADHDと向き合った大学時代
大学は集団行動が少なく、気の合う人とだけ一緒にいられるのでそれほど目立つことなく、初めて普通に友達ができました。
大学時代、初めてADHDと診断され、普通のことが普通にできないのは障害があったせいだと知りました。それまで、普通のことが普通にできない自分を責め続けて生きてきた私にとって「ADHD」は諸悪の根源ではなく、救いの手のように感じられました。今まで嫌われ続けてきたのは自分の性格が悪いせいじゃなかったんだ。いつも遅刻や忘れ物をしてしまったり、部屋の整理整頓が出来なかったりしたのは私がだらしないからじゃなかったんだ!ぼろぼろになっていた私の心に一筋の明るい光が差し込みました。
ところが、母親の「障害を言い訳にして逃げるな」という言葉に、その光は一瞬にして遮られてしまいました。今までこんなに苦しんできたのに、私は逃げることさえ許されない。そう思うと、今までよりもより一層深い闇に迷い込んでしまいました。「逃げさせてよ!こんなに苦しいんだよ!」心の中で何度も何度も叫びました。
ADHDを研究しているゼミの先生に、何度も何度も「逃げて良いんだよ」と言ってもらい、私はやっと見つけた一筋の光を見失うまいと必死にADHDについて、自分を苦しめ続けてきた障害について勉強しました。
ADHDについて勉強していくうちに、自分を苦しめてきたのはADHDそのものではなく、自分の特性を理解せずにもがいていたことだと気づくことが出来ました。
苦手なことも対策次第!
今では自分の苦手なことを受け入れ、うまく付き合うことが出来るようになってきました。
時間を守るのが苦手なのは、いくら早く起きても同じこと。時間があると他のことをして結局遅れてしまうので、家の時計を進ませて自分を騙しています。
幼稚園に勤めていた時、短期記憶が弱くて子供たちの顔と名前を覚えるのが苦手だったので、名簿に子供の特徴を書き込み、家に帰ってから何度も復習してどの先生よりも早く名前を覚えることに成功しました。
職場の帰りにスーパーに寄ろうと思っていても、いつの間にか家に着いていてスーパーに行けないなんてこともよくありました。そんな時は焦らずもう一度トライします。そして家からスーパーに向かったはずが、またまたいつの間にか職場に…。そのままもう一度スーパーに向かい、それでも家についてしまった時は「今日はスーパーにたどり着けない日」と諦めます。自分の中で「3回通り過ぎてしまったら諦める」とルール決め、そんな日もあるさ、と気にしないようにしています。
どうしてもどうしても苦手なのは部屋の片づけです。これはもう諦めて優しい旦那にお任せしちゃいます。ADHDだから、とは言わず「苦手だから…」とお任せしています。出来ないことをフォローしてもらうことで、常に「ありがとう」という気持ちになれるし、旦那のために自分の出来ることはやってあげたいという気持ちにもなり、家庭円満の秘訣くらいに思っています。
できないことにとらわれすぎず、自分を許してあげること。フォローしてくれる周りの人たちに感謝し、その気持ちをちゃんと伝えること。この2つが私の思う「ADHDとうまく付き合うコツ」です。
私の経験が少しでもADHDに苦しんでいるみなさんのお役に立てたら幸いです。