この記事は30代の女性に書いていただきました。息子さんの発達障害の診断を決心したきっかけは自傷行為という危うい状況でした。自閉症などの発達障害児は自分の思いが伝わらないなどの理由で自傷行為をすることがあります。それだけ追い詰められている状況です。
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「次男に何か障害があるかもしれない」と思い始めたのは、1歳半の時に母が言った一言からでした。
「この子、物が欲しい時に人の手を持ち上げて取ろうとするのね。自閉症の子もするのよ」
私の母親は30年以上養護幼稚園の教師をやっていたため、知識も経験も豊富で、たくさんの自閉症などの発達障害児たちを見てきました。その時の私は「何言ってるの。うちの息子は大丈夫だよ」と言い返したのを覚えています。母親も「クレーン現象もあるけど、目は合うし、呼べばちゃんと振り向くし、今は発達障害かどうか何とも言えないね」とも言っていました。
しかし、長男と比べて次男が育てにくかったのは確かに事実でした。
〇散歩に行けば、後に私がいるかどうかなんて御構い無しにどんどん一人で先に進んでいってしまう。
〇公園では一つの遊具で遊ぶことが出来ず、次々と遊具を変えて、勝手に公園を出て行こうとする。
〇家に帰ろうとしても目の前に興味のあるものがあれば、ずーっとそればかりを見て動こうとしない。無理に帰ろうとすると癇癪を起こしてギャン泣き。
次男一人だったら私が我慢して付き合えばいいのですが、まだ幼い長男も一緒でしたから、息子二人と一緒に外出するのは本当に大変で家に籠る事が多くなりました。
周りの人に相談しても
「この年の子どもなんて、言う事が聞けなくて当たり前」
「子どもなんてみんな違うんだから、それも性格だよ」
と言われ、子どもたちの寝顔を見ながら「他のお母さんはちゃんと子育て出来てるのに、どうして私の息子はこんなに言う事聞いてくれないのかな。私はダメな母親なんだ」といつも思っていました。
自傷行為がきっかけで発達障害かどうかの診察を決める
ある日、癇癪を起こして泣いていた次男がいきなりおでこを壁にぶつける自傷行為を始めたのです。我が家はコンクリートの壁なので少しぶつけただけで、たんこぶができ、内出血していました。
この時、母親が言っていた「自閉症」「発達障害」をいう言葉を思い出しました。自傷行為は、癇癪を起こした時必ずあったわけではないですが、「やっぱりこの子はちょっと違う」という疑問がどんどん私の心の中で大きくなっていきました。
そして言葉ですが、日伊バイリンガルでしたので、他の子よりも遅くてもあまり心配していなかったのですが、1歳の時にはちゃんと言えていたパパ、ママ、バイバイなどが、いつの間にかママしか言えなくなっていたので、益々疑心暗鬼に。母に自閉症児は言葉が後退すると言われたからです。
毎日ネットや育児書を見ては悶々とする毎日でした。自傷行為により取り返しがつかないことになりかねないので、専門家に診断してもらうしかないと決心。主人に相談したら、主人も長男と違う育てにくさを段段と理解しているようでしたので、まずは小児科の担当医に相談することに。しかし、小児科の先生は子供の様子を診ながら、「うーん、みた感じ自閉症だとは思えないけど….他のADHDなどの発達障害にも当てはまらない。でも心配するなら専門医を紹介するよ」とのこと、早速発達障害の専門医がいる病院を予約しました。この時息子はちょうど2歳になったばかりでした。
専門医の診断は
予約してから1ヶ月ほどで専門医の診察を受けることに。診察は4日間に渡って行われ、「自閉症スペクトラムという発達障害です。自傷行為は言いたいことを分かってくれないイライラから来ています」との診断を受けました。よく診断を受けた親の「はっきり発達障害だということが分かってほっとした」という意見を聞いていましたが、私はほっとするどころか「息子は発達障害という障害なんだ。これからどうなるんだろう。良くなる希望はあるのかしら?」と不安しかありませんでした。
そして先生に「彼はイタリアで暮らしているのだからイタリア語で話しかけて、バイリンガルはやめてください」と言われ目の前が真っ暗に。私には夢がありました。それは息子と日本語で話すこと。それが自閉症スペクトラムということで叶わなくなってしまったのが悲しくて寂しくて。
しかし先生に言われたのは「子供にとって一番大事なことはバイリンガルということではなく、コミュニケーション能力を持つということですよね。もっと言葉が出てきやすい環境にするためにも、今はイタリア語だけにして、大きくなったら日本語を教えてあげることもできるかもしれませんよ。」そして次の日からすぐに療育が始まりましたが、まだまだ日本語が話せるのは先の話になりそうです。