この記事は20代の女性に書いていただきました。
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数年前、発達障害の一種であるADHDと診断されました。今までの仕事のミス、日常生活の抜け、そして二次障害である鬱や不安障害と戦ってきましたが、診断されたことや症状と向き合ってきたことで自分の生き方をやっと見つけることができました。そして夢を持つことができたのです。
この記事では発達障害の私が夢を描くまでの経緯、紆余曲折、今の状況までを伝えていきます。
障害を持つ方との関わり
私は昔から障害のある方に対してあまり差別はありませんでした。小学校2年生まで家が隣だった知的障害を持つ男の子とは、その子が転校するまで仲良しでしたし、小学校3、4年生の時、同じクラスだった緘黙症がある男の子に対しては「笑うと笑顔が可愛い」と必死に笑わせようとしていました。
ですので勤務している乗馬クラブの障害者乗馬会に職員として参加した時も「利用してくれた方が喜んでくれて嬉しい」と純粋にそう思えたのです。しかし、普段は明るい障害のある子供を持つ保護者の方も、その子供が誰かを叩いてしまったり、どこかへ走り出してしまったりすると、今にも泣き出しそうな顔で謝ったり、「迷惑がかかるので会を利用するのは控えます」とその場を去られてしまうのです。どんなにこちらが「迷惑じゃないですよ」と言っても、です。
そのことに対していつも私は「この人たちが心から笑える場所を提供しなければな」と決意を胸にしていました。障害者乗馬会を企画実行したのは私の上司である係長です。会が発足して15年、以前は1ヶ月に1回だった乗馬会も今や月に5回に増え、利用者数も多くなってきました。今年度から障害者雇用も実施し、昨年度特別支援学校を卒業した女の子が乗馬クラブで働いています。その子も元々障害者乗馬会の利用者で、知的障害と広汎性発達障害を持っています。
係長自身も社会福祉士の資格を取り、さらなる障害者雇用や、学校や作業所を終えて家に帰るまでの間のデイケアサービスなどの事業展開のために行動しています。ただ、係長以外の職員は障害者乗馬に賛同的でなく、否定はしていないもののもっと乗馬会を発展させていこうという意志や、新しい事業の発案をするなどもなく、指示のまま日々の業務をこなすだけ、といった具合でした。
どうしてそんな勤務態度でいられるかというと、勤務する乗馬クラブは市営のため売り上げに必死になることもなければ、実績で評価が変わるわけでもない。さらに企画も局長(園長)や理事長(市長)のOKがでなければ実行することができないため(大体は新しい事業は却下されています)、「頑張っても変わらないからこのままでいいや」という環境にあったからだと思います。
かくいう私は意識は高かったものの、具体的には動いてはいませんでしたし、何より日々の業務ですら未だにミスがある中で「もっと障害者乗馬会を盛り上げていきませんか?」と他の職員に働きかけられる立場ではないと思っていたからです。そんな中で10年間も気持ちがくすぶるだけの毎日を送っていました。
私を変えたひとつの出会い
そんな生き詰まり状態の私を変えたのは銀行マンの男友達です。彼は起業するという夢を抱えていました。初めは恋愛に関する相談話をしていたのですが、夢やそのために起こしている行動の話を主にするようになり、そのことに興味を持つようになったのです。もちろん彼に対して邪な感情があったので、「仲良くなりたい」という想いから話を聞いていたのですが、そこからある思いが生まれました。
彼は銀行で働きながら、副業をしており夢に向けて行動を起こしていました。副業で仕事をしないで済むぐらい稼げるようになったら仕事を辞め、夢に向けて事業構想を練っていくと言っていました。そんな彼を見て「障害のある人とその家族を救いたい」という気持ちが膨らんでいるのに何も行動できていない自分に嫌気がさしていたので、彼に「私にもやりたい事があるんだけどどうすればいいかな」と相談してみました。
そうしましたら、「やりたい事があるなら自分でやればいいじゃん」と言われ、目からウロコでした。そこで初めてフリーランス(個人事業主)という働き方を知ったのです。ですので、「副業教えようか?」という彼の話に乗らない手はなかったのです。副業は最初は全く上手くいかず、彼を責めることもありました。お金も減らし、「私にはやっぱりできないんだ」と落ち込むこともありました。
しかし今まで仕事で失敗すると誰かに怒られるという働き方から、自分が起こした行動が全部自分の結果になるという働き方に変わることで、人の目を気にすることなく作業に没頭でき、そして結果が出た時の達成感は今まで仕事で味わったことのない感覚でした。
身内や友達の反対
そんなある日でした。私がやっている副業のひとつである「転売」の商品を仕入れ、発送手続きをしていたことです。転売がどういった仕組みかを知らない母は「個人で商品が売れるわけない、訴えられたらどうするの?知識もないのにそんな変なことはやめな!」と言いました。同様に友人達も反対しました。
「夢のためにはお金が必要」・・・そう周りに訴えかけても「そんなにお金にガツガツしてる子だった?」と友人達に反論され、挙げ句の果てには「彼に気に入られたくてやってるんでしょ?」と散々言われました。自分で事業を興すなんて大学で経済学などを学んでいないと無理、高卒のあなたにできるはずがない、自分の店を立ち上げた人がどれだけ努力をしてるか知ってるの?とも言われ、やりたいことを分かってもらえない、応援もされないことはとても辛いことでした。
そのことを彼の知り合いの起業をしている人に相談をすると、「人と違うことをするのに反対はつきものだし、起業に頭の良さは関係ない」とそう言われ、考えを改めてきました。しかしそんな私を見て友人達は「その手の人は口が上手いから乗せられてるだけ、騙されても知らないから」と依然として認めてはくれず、去っていく友人も出てきました。今まで「理解してくれる友達が少ない」と悩んできて、成人をしてようやく親しい友人もできてきたのに、自分の夢を追い続けたせいでそれすらもなくしてしまった。また孤独感に苛まれ、自分のしていることが本当に正しいのか間違っているのかが分からず、もがき苦しみました。その上、副業を教えてくれた彼も私の元から離れていったのです。
希望の光
友人も、副業を教えてくれた彼ももういない。今までの私ならここでまた落ち込み、うつを再発していたのかもしれません。しかしこれまでの傾向で人と比べてしまうから、その差を感じて落ち込むんだと気付いたのです。今の状態は比べる人がいない、却って落ち込ませる要素がなくなったと発想の切り替えができたのです。
それからはずっとパソコンの画面と向き合いました。そんな中、文章を書く「ライティング」の仕事に出会いました。学生時代から作文で表彰されたこともあり、国語の成績は良かったのですが、果たして仕事としてやっていけるのかと疑問でした。しかしやらない手はありませんでした。そのライティングの依頼の一つに「自身の発達障害の体験談」を書くという案件がありました。
最初の依頼では書きたいことがうまくまとまらない、依頼された文字数も足らない、何を伝えたいのか分からないような文章でクライアントさんにも指摘をされました。「私には文章を書くことも無理なんだろうか」と落ち込むこともありました。しかし「センスは悪くないです」とメッセージをいただき、何度も依頼を受けるうちに、「最初の頃と見違えるほど文章が良くなりましたね」とお褒めをいただくまでになりました。
このライティングの仕事をしていく中で気づいたことがあります。今まで言葉で想いを伝える時にうまく言いたいことをまとめることができず、自分の伝えたい事と相手に伝わる事に食い違いが生じることが多くありました(ADHDの性質のせいだと感じています)。上司にもその事から「お前は誤解されやすい」と言われたこともありました。しかし、文章だと書き直すことが可能です。「どう書いたら相手に伝わるだろうか」と考えながら、できた文を何度も修正することができます。
今まで頭の中でも考えがまとまらないところがあったのですが、文章を書くことでうまく整理され、結果話す言葉にも変化が現れてきました。そういったことを依頼のクライアントさんが教えてくださいました。
そしてそのことを起業仲間に報告すると、その人から「上手くいかないながらに自分で試行錯誤をして、とてもガッツがある人、そこら辺のビジネスマンより挑戦して、人生をどうにか変えたいと凄い頑張っている」と言ってもらえたのです。
このことから今まで下がっていた自己肯定感が上がっていき、自分に自信が持てるようになっていきました。そして自分の経験を文章で書くことでも同じく発達障害を持つ人に勇気を与えられるのではないかと思い始めました。
私の夢
今まで「障害がある人とその家族を救いたい」という思いから馬の仕事をしてきました。そして自分でもそのアプローチができると知った時、ある思いが生まれました。
そういった方向けに「カフェを作る」ということと、今までの馬の経験から「馬糞を使い畑を作る」、その畑で農作物を作り「障害のある人がそれを収穫し、販売やカフェで提供するという仕事を作る」ということをしたいと思ったのです。
そしてこのライティングの仕事からも新たな夢ができました。「障害のある方に向けてサイトを運営し、同じ悩みを持つ方のコミュニティーを作る」ということです。発達障害を持つことで仕事がうまくいかない方、人間関係で苦しんでいる方に対して、その現状を打破するための道を示してあげられたらと思っています。
このように発達障害の私でも自分に自信を持つことができ、大きな夢を描くまでになれたのです。
[参考記事]
「セックスフレンドであるアスペルガー症候群の男性の話」