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発達障害の息子を受け入れることができた思考法

この記事は40代の女性に書いていただきました。

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私の息子は自閉症スペクトラムと診断を受けました。現在はADHDの傾向も強く出ているという事で通院中です。

発達障害児にとって、やろうと思っても出来ない事、というものがあるそうです。努力で何とかできそうであるのに、本人にとってはとても難しいのだそうです。その説明を受ける中で、色々と納得できることがありました。

例えば、授業参観で学校での様子を見ていると、授業に身が入らずずっと机の上で遊んだり、不必要にはしゃいでいたり、話をしている最中もキョロキョロと目を動かし全然聞くことが出来ないのも、頭の中で何かが集中する事を邪魔しているからと知りました。字を書くことが苦手なのも、普通のテストに比べ聞き取りテストでは格段に点数が劣っているのも、発達障害児にある事だと知りました。

本人の努力でどうにかなるものではないとの説明を受けてようやく、精神論や根性論のような昔ながらの教育が全く向いていないとわかりました。

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本当に怒るべきことなのかを考える

発達障害だと分かってからも、よく怒っていました。字を綺麗に書けない事も「綺麗に書こうとする努力くらいしろ」とか、「ふざけ過ぎてはいけない、相手の迷惑になる」とか、本人の為と思いながら怒っていました。発達障害児だからと甘やかせない、ちゃんとさせたい、という想いがありました。

私自身、診断は受けていませんが息子に似たところが多々あり、苦労したことを知っているので、出来れば私のサポートを受け入れてくれる年齢の内にある程度できるようになってほしかったのです。

ところが、息子の発達障害が分かってから初めての授業参観の日、先生と息子の相変わらずの攻防戦を見ていて、ふと思ったのです。「あれはあれで良いのではないか」と。そう思った途端、不思議と攻防戦が面白いものに見えるようになりました。先生は息子の事をちゃんと見て対応してくれているな、でも息子も負けてないな、なんて思うと笑いが込み上げて来ました。それまで何度もあった授業参観では有り得ない感情の変化でした。

それから、「息子のなりたいものややりたい事の為に叱りはしても、他の事は放っておいても良いのではないか」と思うようになり、本当に怒るべきことなのかを都度考えてみたら、そうではない事が分かってきました。文字が綺麗に書けないのは怒る事ではないな、授業中に遊んでいても自分の机の上だけで人に迷惑をかけてないのだから気にしなくても良いな、はしゃぎ過ぎたって気が合う子はいるのだからとやかく言う事ではないな、と思うようになりました。すると、今までは欠点にしか思えなかった特徴も長所に見えてきて、肩の力が抜け、ほめる事が増えていきました。

受け入れると笑顔が増える

人はそれぞれ欠点があります。息子を怒っている私にも当然、出来ない事なんて山とあります。ではそれらの欠点を無くす為に現在頑張っているかというと、そんなに頑張ってはいません。苦手分野を無理にやらなくても何とかなるものだという事を学んでいるからです。勿論出来た方が良い事はわかっています。でも、出来るようになる事が必須かというと、そうではありません。出来ていない事があって人から嫌な目で見られる事はあるでしょう。だからといって無理に矯正することではないのです。

私は自分の理想を押し付けるような子育てはしないぞ、息子には真っすぐ育ってほしい、と思っていた筈なのに、どう思い返してもいつからか自分の理想を押し付けていました。

そういった心の整理がつくほど冷静になる事が出来たから、息子の行動が面白いものに見えてくるようになったのだろうと思います。周りの知り合いのママさん達が息子を褒めてくれると素直に受け取れるようになりました。

今では息子との会話が増え、笑い合う事も増えました。息子が恐る恐る私の顔を見る事があります。でも私が笑顔である事に安心し、可愛い笑顔を向けてくれます。反抗期という難しい時期を迎えましたが、心の整理が済んだからか、これもそんなに問題に感じず「親には反抗したいよね。わかるわかる」と流すことが出来ています。

これからは息子のやりたい事や興味のある事にもっと力を入れて付き合おうと思っています。息子の良いところは興味のあるもの、やりたいことが明確であることです。発達障害だから出来ないなんて思っていない息子を誇りに思います。それをやる為に努力すべきところにのみ、私は叱っていこうと思っています。

[参考記事]
「発達障害の子供が学校に行けるかどうかは先生次第」

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