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発達障害の子供が学校に行けるかどうかは先生次第

この記事は10代の女性に書いていただきました。

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診断のきっかけ

私は、3歳の時にアスペルガー症候群(発達障害)と診断されました。診断のきっかけは、3歳児検診で、保健師さんに病院へいくように勧められたことです。病院へ行って発達検査を受けた結果、アスペルガー症候群と診断されました(私自身が診断名を聞かされたのは12歳の時病院の先生が分かりやすく説明してくれました)

その時まだ3歳だった私は何故体調が悪いわけでもないのに病院へ来たのか、この先生は誰なのか、など不安が一杯で、検査途中に我慢できなくなり、病院で号泣してしまったので、最後の方は検査できなかったそうですが、私の人見知り異常、こだわりの強さ、途中までの検査結果などのことからアスペルガー症候群の診断を受けました。

診断を受けてからは、OT(作業療法)やST(言語聴覚療法)に通って運動機能・コミュニケーションのリハビリが始まりました。ですが、人見知りが強かったので最初の数カ月は病院へ行くことが精一杯でリハビリどころではありませんでした(STは小学4年、OTは小学6年まで続きました)

幼稚園は不登校の始まり

幼稚園では病院の先生の勧めで3年間加配の先生をつけてもらっていました。病院の先生や・幼稚園の先生の配慮で、入園前に幼稚園の見学へ行かせていただきました。入園前に担任の先生に会い、幼稚園での過ごしたかなどを詳しく分かりやすく説明してもらいました。

でも入学式当日、大勢の中が苦手な私が行けるわけもなく結局欠席、それからも幼稚園に通うのは週に1度くらいで、行ったとしても加配の先生としか過ごさないような感じでした。

幼稚園に行かないことに対して母親はとても傷付いて、普通の子供は皆と遊ぶのに、何故この子は誰とも遊ばないのか、なぜ幼稚園に行きたがらないのか、など色々考えていたことが原因で母が精神疾患になってしまいました。母は寝込んでしまい、私は自分が幼稚園へ行かないのが原因で母親が倒れたんだと察知して無理やりにでも幼稚園へ通うになりました。母も苦しかったと思うけど私はもっと苦しかったよ・・・

そんなお互いが苦しんだ3年間が終わると次はもっと大変な小学校生活の始まりだと思っていたが・・・

小学校で救世主登場

幼稚園と同じく、小学校の入学式には参加していません。小学1・2年の時は幼稚園の延長のような感じで母親のために通っていたようなものでした。学校へ行って授業を受けて皆と一緒に過ごす。そんな生活を続けていたけど遂に限界が来て、もう学校へ行かないと決心をしました。もちろん両親には毎日のように怒られました。

しかし遂に救世主登場です!!3年の担任の先生は私の事をよく理解してくれて、「教室へ入るのが嫌だったら別室を使っていいよ」と言ってくれました。その一言から私の人生は少しずつ変わっていきました。学校を休んで両親に怒られるよりは別室へ行こう!と思えるようになって、母親のためではなくて、自分のために学校へ通えるようになったのです。

それからは毎日楽しく学校へ行けるようになって、席を一番後ろにする約束で教室にも少しずつ入れるようになっていました。3年の時の先生が4年の先生にもちゃんと伝えておいてくれたので4年も別室と教室を上手く使うことで学校へ通っていました。4年の時の先生も5年の先生に伝えてくれて5・6年は同じ担任の先生だったので3年以降は楽しい小学校生活になりました。

卒業式には卒業証書をもらう場面だけの参加という約束で参加し、証書をもらってからは別室で卒業式終了を待っていました。小学校は楽しい思い出として今でも残っています・・・

中学校は2次障害の始まり

中学は入学と同時に支援級に入りました。段々とクラスで授業を受けられるようになったので中学校もそのままの勢いで通うことが出来ました。しかし、中学校は今までとは違い担任の先生がすべての教科を担当するわけではないのでもちろん先生によって考え方や理解の仕方は様々でした。

支援級の先生はあまり理解の無い先生で「教室で授業を受けなさい」と言って、通常級の先生は私の事を「甘えているだけ」といいました。つまり、私にとって別室という逃げ場所が無かったのです。それは、本当に苦しくて、苦しくて段々しんどくなって、夏休み初日に家で倒れてしまいました。原因はストレスからくる過労と重度の鬱病でした。結局夏休みは起き上がることすらできなくなってしまい、それ以降学校へ行くことはありませんでした。

先生や家族は心配して「無理しなくていいよ」というけれど、ここまで私を追い詰めたのはあなた達だよ、と言いたかったけど言えませんでした。薬を飲んでも、カウンセリングを受けても全く効果が無く、家に引きこもるようにもなりました。段々自分が分からなくなってきて自傷行為もしました。家引きこもっている間に早くも卒業式がやってきました。もちろん参加することは無く、後日卒業証書だけ貰いに行きました。

高校生活はENJOY!

高校は通信制高校へ進学しました。高校の先生はすごく理解のある先生たちで、友達も私と同じような経験した友達が沢山いたので共感してくれてお互い打ち解けて仲良くなれて、今まで全くよくならなかった鬱病も少しずつ良くなり始めていました。

勉強面は自分のペースで進められるし、学校へは好きなときに行って好きなときに帰るという通学方法だったので体調が不安定な私にとっては凄く合った学校でした。

でも、卒業後の進路を考えた時に過去の記憶がフラッシュバックしてしまい、今まで不登校や集団が苦手だった自分は就職も進学も自信が無い・・・とマイナス思考になってしまい、結局卒業後は、フリースクールで月に数回ボランティアをしています。

発達障害の子供が学校に行けるかどうかは、親も重要ですが、学校の先生の理解が一番重要です。

[参考記事]
「発達障害児にとって中学入学時の試練は入学式とプリントの整理」

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