この記事はADHDとアスペルガー症候群を抱える20代の女性に書いていただきました。
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私は、23歳で結婚して、結婚式を挙げたすぐ翌週に病院で発達障害があると告げられました。告げられた病名は、注意欠陥多動性障害(ADHD)とアスペルガー症候群(自閉症スペクトラム障害)という2つ発達障害の合併でした。軽く2つの発達障害について説明しますと、ADHDは多動性、不注意性、衝動性を特徴としていて、アスペルガー症候群を含む自閉症スペクトラム障害の人は人間関係が苦手です。
テレビの影響でどちらもやっと最近理解がされやすくなりましたが、ちょっと前の発達障害者はかなり肩身の狭い思いをしてきたようです。とはいったものの、まだまだ理解されがたいのが現状で、この障害が判明するまでにとても辛い思いをしてきました。
私の発達障害の症状やこの歳で発達障害を疑ったきっかけについてお話しようと思います。
なんで私は人と違うんだろう?
「なんで私は人との考え方がこんなにも違うんだろう?」
私はずっとこの問題に悩まされ続けてきました。幼少期の頃から他の子どもと少し(いや、かなり)違っていました。女の子なのにとても活発で、じっとしていられない性格でした。例えば保育園でのお遊戯では、本番でふざけて、垂れ幕の中に潜り込んでくるくる自分を巻き付けたり、スーパーではどこでも気になるものをみつけると夢中になってしまいどこかへ消えて行ってしまう子で、迷子の常習犯。
また、トイレに行きたかったことまで忘れて、遊具に夢中になり、うんちを漏らしたこともあります。やりたいことはものすごい集中力を発揮し、そして、やりたくないことはとことん拒否をする子でした。
小学校に上がってからは片付けができないことや、夢中になると人の話が聞こえなくなること以外は特に問題は起きませんでした。私は学習障害の無い発達障害だったので、勉強が好きだったこともあり、成績も優秀だったのです。学習能力の高さで発達障害のマイナス面をカバーしていたために、発見が今の今まで遅れてしまったのです。
ここまで振り返っても「じっとしていられない」「片付けができない」「過集中」などが発達障害の性質に当てはまる症状が多くあります。ただ、学習障害がないことは幸いでした。
人間関係が上手くいかない
中学校、高校と上がるにつれて、発達障害による苦しさがどんどん増して行きました。女の子達はどんどんオシャレに目覚めて行き、雑誌の記事や好きな芸能人、好きな歌の話、恋バナなどで自分たちの気の合うグループを作っていきました。
一方、私はというと女の子の輪に入ることはできたのですが、人の顔を覚えることができず、雑誌の読モや芸能人はおろか、友人の顔と名前すらなかなか一致しなかったのです。これらを相貌失認といい、自閉症スペクトラム障害の人はこの症状を持っている人もいます。米国の俳優のブラッドピットも相貌失認の症状を持っています。「人の顔が覚えられないので誤解を受けたことがある」と告白しています。私も必死で顔を覚えようと勉強をしたのですが、芸能人などは興味の無いことなので全く覚えることができませんでした。
このような性質であることから周りで楽しくおしゃべりしていても一人だけ理解が遅れているため、一段落したときに『何の話?』と聞く始末。次第に聞き直すことも面倒になっていき、自分からどんどん仲良しグループから離れていきました。
また、周りの子がちょっとでもずるをするととんでもなく腹が立ち、かんしゃくを起こしました。ルールから外れることに我慢ならなかったのです。正義感が強いと言ったらいいでしょうか。これは自閉症スペクトラム障害の特徴として知られています。そのストレートな性格ゆえどんどん煙たがられていじめられるようになったのです。こんなはずじゃなかったのに。どうしてこんなに人間関係が上手くいかないんだろう。頭の中はそんなことでいっぱいでした。
仕事でミス連発。自殺未遂を繰り返す
大人になると、ある程度の感情コントロールが利くようになり、持ち前の明るさや発想力を買われて医療機器の開発課に配属されました。仕事場では名札をつけているため、名前を覚えられなくても仕事場ではやり過ごすことができました。
しかし今度は、仕事でうっかりとは言えないレベルのミスを連発。興味のあることに関しての記憶力はずば抜けて良かった為、仕事には正直自信がありました。それだけにとてもショックでした。
先輩や上司に助けてもらってばかりいるのが申し訳なくてどんどん自信を無くして次第に仕事を休みがちになり、鬱の症状が現れてきました。そこからはどの仕事をやっても長続きしませんでした。同じミスを繰り返しては怒られ、自分の存在価値を見出せなくなっていました。
その頃一人暮らしをしていたのですが、払えるのにもかかわらず公共料金をの支払いを忘れたり、何度もゴミ出しの日を間違えたり、片付けができなかったり、約束を忘れたりと普通ではなかなかないような日常でも毎日のようにミスをしていました。だんだんこの世の中で生きていくには私には難しすぎる、死にたいと、自傷行為や自殺未遂を繰り返しました。
発達障害だったと発覚したきっかけ
私の結婚式の時、学生時代に親しかった友人と再会。その子は自分が発達障害であることを私に言いました。すると友達は『発達障害の人は引かれ合うらしい。あなたももしかしたら持っているかもよ。』と言われました。
もしそうだったら、私の悩んでたことは発達障害のせいだったかもしれないと希望が湧きました。いても立ってもいられず病院で検査を受けると、「ADHDとアスペルガー症候群の2つ発達障害を合併しています」との診断でした。人と違う考え方も、人の顔や名前が覚えられないのも、空気が読めないのも、夢中になって声が聞こえなくなるのも、期限を守れないのも、直そうとして頑張って直るものじゃなかったと分かった瞬間、涙で目の前が見えなくなりました。私がだらしないせいじゃなかった。心が解放された瞬間でした。
まとめ
見た目で判断できないADHDやアスペルガー症候群のような発達障害は、大人になるまで全く気づかないことが多いです。中にはできないことに対して自分を責め続け、鬱病という二次障害の症状を発症している人もいることでしょう。
もしかしたら、と思ったら勇気を出して検査に行くことをお勧めします。自分を知ることが、未来の幸せを掴むチャンスだと、私は思います(しかし、薬物で治療するかどうかは話は別です。ADHDの薬は副作用が多いからです)。
[参考記事]
「自閉症スペクトラムの特徴とは」