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イジメにより発達障害の二次障害が発症し家庭環境により重症化

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この記事は20代の男性に書いていただきました。

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イジメにより二次障害が発症し、家庭環境により重症化

二次障害が出てきたのは、中学の頃でした。
きっかけは学校でのいじめですが、発達障害の性質によりコミュニケーションが上手くできず、絶えずいじめの対象になっていました。
それにより結局は不登校になりました。

二次障害により、イライラするようになったり、不安になったり落ち込んだりと気持ちが不安定になりました。
この時には家庭の問題もあり、そのことで私の二次障害は入院するまでにも至ってしまいました(入院については後ほど)。
僕には兄がいるのですが、その頃は丁度、兄の暴力や暴言が酷いときだったので、二次障害の症状に加えて、だんだんと精神的に壊れていくようになりました。
不登校で家に居ることも多くなってしまったので、兄からすれば感情をぶつける相手が僕しか居なかった為、毎日のように暴言や暴力が続きました。
色々な頼み事をしてくるようになり、だんだんと命令のようになり、断れば蹴られたり腕や足を殴られたり、物を投げられたりとそのたびに僕は号泣していました。
就寝中も兄が勝手に部屋に入ってきたりすることもあったので、睡眠もだんだんおかしくなってしまい、睡眠障害を引き起こしてしまいました。
脅してくるようなこともあり、包丁を見せながら「逆らうなよ」と言われ、家でも気が休まらない日々が続き、僕は睡眠障害だけではなく、強迫性障害の症状(手洗い、過剰な潔癖、異常なこだわり)まで出てしまい、更に、不安障害の症状まで出て、引きこもりのような状態になってしまいました。
ですが、兄の暴力や暴言も収まらず、私の症状が重く酷くなっても続いていたので、家から飛び出すことも多く、真っ暗な闇の中にいるかのような生活でした(こんな生活が一年ほど続きました)。
それゆえ、精神的にも不安定ですので、感情の抑制など出来ず、家で問題行動ばかり起こしていました。
中学一年生の冬に、パソコンに水をかけた時があって、それがきっかけで母親はさすがに「これは変だ」と思い、精神科病院に僕を入院させました。
二次障害+家庭問題により、とうとう精神病院に入院です。

入院してからの生活

初日は、僕もまだ中学生ということもあって大泣きしました。
ただ、優しい看護師さんに話を聞いてもらえて少し安心しました。
ですが、入院生活はとても極楽とは言えず、とても過酷なものでした。
まず初日から一週間程は、個室に鍵がかけられ、窓も鍵がかかっていて完全に密室生活でした。
トイレは室内にあったものの便器がぽつんと置いてあるだけ(拘置所みたいな感じ笑)。

その他は敷布団があるだけなので毎日が暇になってしまい、家のことを考える時間も出来てしまったので毎日泣いてしまい,とても辛かったです。
ご飯は部屋で食べる形だったのですが食欲などは当然無く、あまり食べれず。
さらに寝たくても不安で眠れない日々が続きました。
一週間経ってやっと大部屋に移り、食事も食堂のようなところで食べれるようにはなったのですが、今度は人間関係で疲れることも多く、気も使うようになってしまい、とても休める環境ではありませんでした。
毎日、日課というものもあって、みんなで何かを作ったり、コミュニケーションの練習をしたりしました。
一応、病院の中にある学校にも行きました。
兄からは解放され、抗不安薬や安定剤、睡眠薬のおかげで少しずつ落ち着きを取り戻しました。

二度目の入院

そんなような生活が続き、4ヶ月ほど経ってようやく外泊があり、それを何回か繰り返していくうちに、主治医から「家族と問題も起きていないようなので退院して大丈夫です」と許可をもらい、半年経ってようやく退院することができました
退院した後は僕は支援学級に行くことになったのですが、再び、兄の暴言地獄が始まり、その影響でまた不登校になってしまい、二度目の入院になってしまいました。
二度目の入院も同じ病院だったので安心感はあったのですが、家族に騙されて入院するという形だったので気持ちの準備も出来ないまま、とてもキツイ入院生活になりました。
やはりまた個室に入れられ、今度はカメラがあり、窓は鍵が閉められ、監視密室生活になってしまいました。
一回目の時と違っていたのは、初日からご飯はみんなと同じところで食べるということぐらいでした。
一回目と同じく少し経ってから大部屋に移ったのですが、一回目と同じように人間関係で問題が起きてしまい、僕にとってはストレスだらけの生活になってしまいました。
ただ、兄から解放されたおかげで再び落ち着きを取り戻せました。
なんとか頑張って4か月ほどで退院できました。

退院した後はデイケアへ

退院後はデイケアという社会復帰の施設(同じ病院内)へ、定期的に毎週行きました。
そこでは、手芸、音楽、料理、ゲーム、スポーツ、畑仕事、ゲーム、買い物などをやりました。
その中で仲間も出来て、トラブルも何度かあったんですが、
上手く切り抜けてやりました。
中学3年生の冬、高校の見学に行き、入学の手続きも済ました所であの大きな地震がありました。

いよいよ高校へ

高校に入って人と話す機会も増え、学校にいる時間も増えたので、中学の時に出ていた症状はだいぶ無くなりました。
充実した高校生活を送りながら、まだ出ている症状の治療に励み、なんとか落ち着きを取り戻しました。
ちなみに治療というのは、錠剤のお薬を飲んだり、
心理士の方にお話聞いてもらったり、認知行動療法というのを試したりしました。
兄も精神的に少し落ち着き始めていたので、僕も一安心して高校に行くことができました。
友達も出来ましたし皆でお祭りや修学旅行にも行きました。
本当に楽しく安心できる高校1年生の学校生活でした。
やっとすべてが終わったと安心しきっていました。

もう安心かと思ったら最後の試練が待っていた

もう大丈夫だろうと安心していたのですが、高校2年生になって校舎、教室、クラス、担任、全てが変わってしまい、また不登校になってしまいました。
新たなクラスメートや先生との関係などの環境の変化について行けなかったのです(発達障害の人によくあること)。
そのあと、すぐに三回目の入院になってしまいました。

三回目も同じ病院だったので、少し慣れもあったせいか、安心感があったのを覚えています。
毎日のようにプログラムがありましたが、短い時間だったので、仮眠できる時間もありました。
余裕が出来たことで二次障害の症状自体も、かなり軽くなっていたので
完治に近いほどまで治りました。
そんな感じで三回目の入院は、さほど長くは続かず、2か月ほどで退院できました。
今残っているのは社会不安、対人恐怖、つまり極度の人見知りだけです。
ですがこの人見知りもいずれは治るのかなと思っています。
短い入院生活でしたが、二次障害の治療、兄との距離という意味では良かったのかなと今になってそう思います。

[参考記事]
「発達障害の「二次障害」とは何か。放置すると大変なことに」

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