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典型的なADHDの症状が出ている33歳の女性(実例)

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今回の記事はADHDの33歳の女性に書いていただきました。
ADHDの特徴がよく現れている内容ですので、参考にしてみてください。
彼女はその症状に対して一生懸命克服しようとしています。
その努力の軌跡も必見です。
黄色いマーカーで線が引いてある箇所が典型的なAHDHの例です。
以下の参考記事と合わせて読むとよく理解できます。
[参考記事]

「ADHD(注意欠陥・多動性障害)とLD(学習障害)の特徴について」
…………………..

私のAHDHの症状

私は昔から忘れ物が多く、空想が好きでよく考え事をしてぼーっとしている事が多い子供でした。
部屋もどうしても片付ける事が出来ず、母に何度も怒られていましたが改善はされませんでした。

友達を呼ぶ事も出来ない汚い部屋を見て、「自分はだらしない人間なんだ」「性格が大雑把で不器用だから」と思って落ち込んだり、たまに頑張ってみるものの片付けに集中出来なくて殆ど片付かなかったり、片付けても数日で元通りになったりの繰り返し。
今思えば他にも正直にものを言って仲間外れにされたり、先生が怒っている顔が何故か面白くなってきて笑ってしまったり、不思議な挙動をする子供だったと思います。
勿論それらをやらかしてしまった後は平気だったという訳ではありません。
「何故自分はあの時あんな行動をしてしまったんだろう」「あの時こう言えば良かったのに」と後悔や反省で頭がいっぱいで、時には自己嫌悪で泣いてしまう夜もありました。

幸い友人や周囲の人には恵まれ、学生生活は自分の中ではそれ程問題なく(友人達にはきっと色々迷惑をかけていたかもしれませんが)過ごす事が出来たと思います。

仕事が続かない

その後特に目標も思い付かなかった私は高校の時から続けていたアルバイトを続けていたのですが、本当にいきなりでした。

「飽きたな」

その感情のままに4年近く続けたアルバイトをぱっと辞めてしまいました。
うっかりミスやど忘れが多かった私を「長く勤めてくれてるから」と時給を上げるように掛け合ってみる。と店長が話してくれた矢先でした。
今考えれば「なんて恩知らずな!」と思いますがその時はもう「辞めたい!辞める!絶対辞める!」とそれしか思えなかったんです。

その後はやってみたいアルバイト、パートなどを色々転々としましたが最終的には「飽きた!辞めたい!」となってしまうか、なんとなく職場の人と上手く打ち解けることが出来ず長くて1年で全ての仕事を辞めてしまいました。
20代の内はそれでも良かったのですが、30手前になってふと友人を見ると5年10年正社員として勤めている友達が殆ど。
私は履歴書を書く時に職歴の欄が明らかに足りない。

正社員の職に就いたが…

これはもしかしたら私はダメな人間なのでは?とここでやっと気付き、急いで正社員の職を探し出し、小さな会社の事務員として就職が決まりました。
初めての事務、同期で20歳の子も入りました。
その子も事務は初めてで、「初めて同士だね」と言い合って最初は仲良くやっていたのですが2か月、3か月経つ頃には同期の子と比べて明らかに自分の方が劣っている点が目立つようになってきたのです。

電話番も同期の子はきちんとメモを取って用件を伝えつつ担当者に渡しますが、私は電話をしながらメモがきちんと取れない。
どちらかに集中するとどちらかがおろそかになってしまう。

来客があった時も同僚の子はさっと自然に席に案内し、お茶を出しますが、私はどのタイミングで声をかけていいか分からずオロオロしお茶を出すのも忘れる。
パート・アルバイトの時は電話や来客対応はなんとなく自分は苦手かなと思ったので社員に全てお任せし、自分はパソコン業務など得意な事をやってきました。
「こういう事(電話や来客対応)をやるのは初めてだから私はまだ慣れてないんだ。一生懸命やってるつもりだけど不器用だから仕方ないのかな」と言い聞かせて仕事をしてきたのですがある日同僚の子から「ちゃんと仕事をして下さい!私ばっかり動いてるじゃないですか!」と注意され、他の社員の人たちからも「ちゃんとやった方がいいよ」と注意されてしまったのです。
自分でもよく分かっています。
でもどう動いていいか分からない。
次々とやらなきゃいけない事は浮かんでくるのにどれを優先していいか分からない。
動こうとすると頭が真っ白になってしまう。
動きたいのに動けない。どうしたらいいか分からない。

「辞めたい」

また思いました。
けどこれ以上辞めたらもうどんどん居場所がなくなってしまう。
職場だって厳しい面もあるけれど優しい人たちばかりなのに。
もう辞めちゃダメだ。
辞めたいけど辞めたくない。

なんで私はこんなにも情けないダメな人間なんだろう。

その後、同僚の子とは仲直りはしましたが評価は変わらずで「気が利かない人」という印象は付いてまわりました。
私もなるべく動こうと頑張ってはいましたが空回りしっぱなしでどんどん焦り、益々自分の首を絞めてたように思います。
唯一大好きなパソコンの作業だけは褒めてもらい、これのお陰でギリギリこの職場に留まれるような、そんな感じでした。

私の職場は年に数か月間はとても忙しくなり、夜中に帰る人も多くなります。
職場の全員が毎日残業でヘロヘロになっており、イライラしている人も少なくはなかったです。
私も例に漏れず疲れ切っていて、ただでさえ回らない頭がさらに回っていないようで、何を仕上げて何をやっていないのか良く分からない、頭がパンパンになっているような状態でした。
毎日泣きそうになりながらもどうにか仕事をこなして他の仕事を確認しようとした時に、作って貰わないといけない書類が1件出て来たので上司に確認をしに行ったのですが「その書類は自分の仕事ではない」と言われ、ついでに他の用件も話して席に戻る時に「では書類、ゆっくりでいいので出来たらお願いします」と伝えてしまいました。
上司の顔色が変わった瞬間に「そういえば最初に自分の仕事ではないと言われた!」と思い出したのですが「俺の仕事じゃないと言っただろう!二回も言わせるな!!」と怒号が。
その瞬間、色々な辛くて我慢していたことやこれからの不安が一気にのしかかってきてパニックになり、私はトイレに駆け込み、息が荒くなり手足が痺れ動けなくなったのです。

その後、病院へ

その後、同僚に病院に連れて行かれましたが過呼吸だという事でした。
それから体調がおかしくなり、頻繁に仕事を休んでしまうようになってしまいました。
過呼吸が癖になって出やすくなったり突然泣き出してしまうせいです。

他の上司たちは「もうほぼ仕事も終わりだからゆっくり休みなさい」と言ってくださり、辛い時は有給を取らせてもらう事にしました。
また脳内で「辞める」という言葉がよぎりました。
もう苦しい辛い。でもこれでいいの?ここまで頑張ったのに。

もしかしたら、身体が楽になればまた職場に戻れるかもしれない。
思い立って即座、スマホで見つけた近くの心療内科で予約を取り、後日診てもらう事に決めました。

後日病院に出向き、叱られて過呼吸が出たことを話し、診察をして頂きました。
話が終わりそうになった時、事前にしっかり見ておいた病院のサイトを思い出しました。

そこには「片付けが苦手など気になる事があればお聞きします」の文字があったのです。
「先生、話は変わるんですけれども私、片付けも苦手で悩んでるんですが」
大人になって一人暮らしをしてからも片付けは大の苦手でした。
仕事も忙しかったので尚更片付けをする気が起きず、殆ど床が見えないような足の踏み場のない部屋になっていました。

先生は急に黙ってから暫くして「…お聞きしたいんですけれども忘れ物が多かったりしますか?」と質問してきました。
忘れ物なんて今まで生きていてしょっちゅうで、「何で分かったんですか?」と小さい頃からの経験を色々詳しく話したところ、

「貴方はADHDの可能性がありますね」

予想外の答えが先生から返ってきました。
なんとなく聞いたことはある名前でしたがどういったものなのかは分からず、先生の説明を詳しく聞いたところ、私がいつもやってしまう事が症状として紹介されたのです。

「えっだって皆これが普通じゃないの?」

まず一番に思ったのはそんな一言でした。

自分以外の普通の人は
「本当は凄く嫌だけどそれを乗り越えて嫌すぎて起こる吐き気など堪えながら必死になって片付けをやる」
「長話は殆ど聞き取れないけど、覚えている単語を繋げて話を聞いている」
と思っていました。
普通の人はそういうことをしていないと知って驚きました。

びっくりはしたものの、私の今までの行動の理由が分かった時は凄く嬉しかった。
正体不明の不安がやっと姿を現した瞬間でした。

嬉しかったのもつかの間、ずっと普通だと思っていた自分が「発達障害者」だという事実とこれからそれに向き合って一生を生きていかなければいけないというプレッシャーが身体にのしかかってきました。
病院に通い、何度も主治医に相談し、自分をもっと良く知るためにIQテストを受け、結果的に私は

「動作性優位の不注意型ADHD」

という事が分かりました。
目から見る情報には強いが耳から入る情報は長ければ長い程殆ど覚えられない。
今まで電話が苦手、そしてパソコンが得意な理由が分かり納得できる結果となったのです。
臨床心理士の方からも話を聞き、何にでもメモを取るように、得意な事を伸ばしましょうなどアドバイスを頂いてそれを日々実践するようにしました。
主治医から薬も頂き、今はストラテラを試したところで次はコンサータを試して、生活しやすい環境を作っているところです(もちろん、副作用を考えると一生飲む気はありませんが)。

職場の方も、親しい上司に発達障害だった事と辞めたくない事を伝え、理解をしてくださりなるべく得意な物で仕事を進められるように掛け合って下さいました。
自分の仕事を同僚と一緒に見返していたら、ポロポロとやりかけで忘れられている仕事や期日がまだまだ先のものが仕上げられているのに期限間近のものに全く手を付けていないような物が出てきました。
ちょっとでも目に見えなくなるとその書類の存在を忘れてしまうのです。
なので対策として今はカレンダーとふせんを使い、預かっている伝票の期限をふせんに書いてカレンダーに貼るようにして今預かっている伝票と期日が目視できるよう工夫をしています。
上司も周りの職員も声をかけてくれるようになって今仕事がとてもしやすくなりました。
薬のお陰もあるのか「飽きた。面倒くさい」という感覚も今のところは気になるほど感じなくなりもうすぐ、ここの職場に勤めて4年目になります。
一番最初にアルバイトで勤めていた4年が最長だったのでそれを越す目標だったのですが今のところ、難なく達成出来そうです。
4年とは言わず、なるべくなら定年までここに居られたらいいなと思っているところです。

片付けは今のところあまり改善されてはいないため支援センターに出向き、片付けを指導してくれる機関を探してもらっています。
病院や周りの人の支えのお陰で、今やっと不安と生き辛さから解放されつつあります。
発達障害はまだ解明されてない事も多く、これからどうなっていくか予想もつきませんが1人じゃない!と思えばどうにかやっていけるような気がします。
ちょっとでも支えてくれる人に恩返しが出来るよう、出来る限りの事はして生きていきたいです。
ここまで読んでくださってありがとうございました。

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