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ADHDの性質により勉強も仕事も苦手。ストレスで顎関節症へ

この記事は20代の女性に書いていただきました。

………

私は、社会福祉士と精神保健福祉士という国家資格を持ったソーシャルワーカーです。これら二つの資格を生かして、知的障害や精神障害という、見た目ではわかりずらい障害を持っている人の支援をしています。

現在の職場は、就労継続支援B型事業所です。作業所の職員として、支援計画を作ったり、生活上の相談、各種制度についての相談に応じています。

実は私は24歳の時にADHDと診断された当事者でもあるのです。

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診断を受けるまで~高校時代

高校の1年生が終わる頃には、「県立大学の社会福祉学部で社会福祉を学びたい」と担任教師に話していたくらい、早くから進路が定まっていました。

しかし、志があるにもかかわらず、毎週行われる英単語テストでは散々でした。英単語のようにただ覚えるだけの「暗記もの」が苦手でした。ですが作文や論文、英作文など、自分で自由に発想するものについては、かなり高い評価を受けていました(後から分かったのですが、言語系のIQは高いです)。発達障害の人によく見られる、出来る事と出来ない事の差が大きいのです。

また、今から思うとADHDの「不注意性」や「多動性」の影響だと思うのですが、定期テストや模試などのテスト用紙と向き合って時間を過ごすことが苦痛で仕方ありませんでした。さらに答案用紙が帰ってきて気づくのは、ケアレスミスの多さでした。

ですが、勉強の量は決して少なくありません。学校から帰宅してからずっと勉強していたのですから。ですが、高校時代の成績は、下から数えたほうが早いくらいでした。

親は「どうしてこんなに勉強しているのに、一向に成績が伸びないのか」と話していました。先生は「勉強時間をとっているのはよくわかる。お前の場合は詰めが甘かったり、要領が悪いんじゃないだろうか」と言ったことがありました。

さらに先生はこう言いました。「今の成績じゃあ、たぶん志望大学は落ちるだろう。でも、落ちて『くそぉ!』と思って他の大学で合格するんだ!」と言いました。確かに模試では1年次からずっとE判定…しかし私はその志望大学以外全く考えていませんでした。「大好きなこの地元で、社会福祉を学びたい」という理由からでした。

この思いがあったことで、ADHDという障害があったとしても、私は志望大学を合格しました。

診断を受けるまで~大学時代~

大学時代は新たな気づきがありました。それは、隣に座った友人が授業中にメールのやり取りをする動作や、その通知のバイブレーションで、集中力が切れてしまうことです。ADHDの人にとってはただでさえ集中しずらいのに、こういう環境にいるとさらに気が散るのです。

私にとって、この大学はずっとあこがれていた場所でした。だから、友人も大切だったけど、私は真面目に学ぶことを決意し、「一緒にいると集中ができないので、私は先生の話だけに集中できる席に座ることにするから」と告げて、その友人との距離を徐々に開けていくことにしました。

また、大学時代、身体的な不調が続きました。ある日、保健室の先生に原因不明の頭痛が続いていることを話したところ、脳神経外科への受診を勧められました。しかし、CTにもMRIにも異常は見られませんでした。

先生は「脳神経外科的には異常はないけど、頭痛がするっていることは、おそらく精神的なものが原因だと思う。僕の知っている病院で、よく話を聞いてくれるところがあるから、紹介状を持ってそこに行ってみたらどうだろうか」と言われて紹介されたのが、現在も通い続けている心療内科です。20歳の時でした。すぐにADHDという診断が出たわけではありません。しばらくは、「心身症的なもの」という無難な診断です。

就職したが……

そして、無事に大学を卒業し、精神科病院のソーシャルワーカーとして勤務をスタートさせました。しかし、事務的作業の多さに、ケアレスミスを繰り返す毎日。書類の作成についても誤字脱字が多く、そのうち上司の監視の下での仕事になり、威圧感を感じるようになりました。

上司は私に言いました。「どうしてそれだけ知識があるのに、こんなこともできないの」と。それは私が一番知りたかったことでした。

結局、半年経過した頃にはDrストップがかかり、1か月の休職期間を経て、退職することになりました。

診断

退職して余裕が生まれたとき、大学時代に勉強した「発達障害」という言葉が、自分に当てはまるのではないだろうかと思うようになりました。そして、主治医に自ら「発達障害のテストを受けたい」と申し出たのが、24歳になったばかりの頃でした。

結果は、ADHDでした。確かに今までの人生を振り返っても、テストの時、じっとしていられないこと、ミスが多い事などが一致しました。

ADHDの特性が分かったことで対処法も見つかりました。それは注意散漫になってしまうことを防ぐため、再就職した就労継続支援B型事業所の研修では必ず一番前の位置を選びます。また、ケアレスミスが多いことがわかっているので、書類を作るときにはWチェックをお願いしています。

自分の性質が分かっても生きやすくなる訳ではありません。私のここまで生きてきての持論は、「医療は何もしてくれない~それでも生きていかなければならないんだ~」という思いです。精神的にも身体的にも辛いのです。

身体的な事といえば、今も顎関節症による開口障害で口が少ししか開きません。指が縦に1本も入らないのです。顎は歯を噛みしめているときに負担がかかるのです。恐らく発達障害によるストレスにより、歯を噛みしめる癖が付いているのです。それにより顎に影響が出たのではないかと思っています。口が開かなくて仕事ができないと思ったら、仕事を休みます。

以上のように発達障害の診断を受けたからと言って、すべてが解決するわけではないです。

最後に

私は、なんて自分は不器用なんだろうって自分を責めていた時に診断を受け、自分の一部を理解できました。今ではそんな自分を「よくここまで頑張った」と受け入れています。

ですので、自分の特性を知るために診断を受けることをお勧めします。なぜなら、そうすることで対処法が見つかるかもしれないからです。

たくさんの人が正しい知識を持ち、発達障害を抱えた人々が伸び伸びと暮らせる社会を目指して、ソーシャルワーカーとして、そして、当事者として、私は日々戦っていたいと思います。

[参考記事]
「発達障害の私が首つり自殺を決行するまでの経緯」

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