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かんしゃくが激しい発達障害の息子。特別支援学級で大きく成長

この記事は40代の女性に書いていただきました。

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今から5年前、当時年長だった息子を預け入れている保育園での出来事。園長先生と担任の先生に呼び出され、息子についてのお話をすることになりました。息子は生まれてから本当に他の赤ちゃんのように泣いたり悪戯したり、そういう「赤ちゃんらしさ」がない大人しい子でした。

下の子の出産後、旦那は家庭を棄てて行方不明になり、私自身はうつ病になりながら、幼い子供たちを連れて同じ市内の安いアパートに引っ越しをしました。シングルマザーになってからは幼い子供たちを常に連れて買い物や散歩などに出掛けては、家事や育児をしキリモミしていた当時は、うつ病で人と会話するだけでも泣いてしまい外にも出られず、食事も喉を通らないくらいの状態でしたが、やはり子供たちのことを励みにがむしゃらに頑張っていたと思います。

そんなある日、息子をいつものように連れて外にいる時、手を引いて横断歩道を渡ろうとした時、あんなに大人しかった息子が突然、横断歩道のど真ん中で仰向けになりながら癇癪を起し始めました。あまりにも突然のことと信号が点滅してることに動揺しながらもどうにかその場を離れることができましたが、母親である自分でも驚いてしまい混乱したのも鮮明に思い出されます。

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保育園では癇癪が当たり前、手の付けようがない

下の子がようやく保育園に預け入れられるくらいになったので申請をし、運良く兄弟揃って保育園に入園することができました。保育園では、先生方が一生懸命優しく子供たちに遊びながら勉強を教えてくれました。

息子は夢中になると周りのことも気にならないくらい集中してしまいます。しかし保育園では、遊びの時間も歌の時間も学校のように「時間ごと」の区切りをつけて生活をしています。先生が遊びに夢中になっている息子に『Rちゃん、次は○○の時間だからもう遊ぶのは終わりだよ』と優しく声をかけてくれますが、息子は自分の楽しみを奪われたかのように癇癪をおこし、泣きわめきながら教室を飛び出し園内を走って脱走しようとします。

そんな息子を同じ年の子たちが幼いながら冷ややかな視線を投げかけ、息子も友達の輪には入りづらかったようです。それでも先生が優しく子供たちに指導してくださって、同級生の子がまるで弟や妹のように息子のお世話をしてくれました。

帰宅時間になってお迎えにいっても遊びに夢中で帰りたがらないので、本人が納得するまで保育園で待つという毎日が続きました。

発達障害ってなんですか?

年長の時に園長先生と担任の先生に呼ばれた時、正直私自身はなぜ呼ばれたのかが全く解からずお約束していた日時に職員室へ。

『Rちゃんについてなんですが。。』先生が口を開きます。先生曰く、『Rちゃんがもうすぐ小学校に上がるから、上がる前に一度病院へ行って調べてもらったほうがいいですよ?』と。

正直、【なんで小学校に上がる前に病院に行くことを薦めるのだろう?】疑問しか出てこなかったです。ただ、園長先生は甥が小さい頃に通っていた保育園でもお世話になった先生で、うちの家系では何人もお世話になってる信頼のある先生ですので【先生がこう言うことは何かあるんだろう】と思い、素直に「解りました」と受け入れるしかありませんでした。

そうとはいえ、診てもらえる病院を先生から教えて頂いて問い合わせても『今、予約がいっぱいですので早くて一年待ちです』と電話口で言われ、とりあえず予約キャンセルが出るのを待つ方向でお願いし、別の市の病院にも予約の連絡・・・。ここでも一年以上キャンセル待ちでした。何かあるにしても病院でキャンセル待ちするしかないので、「もしかしたら小学校へ入れないのか?」気持ちだけが焦りました。

そうしてるうちに、病院で一年待ちと言われていたのが約3か月ほどした頃『キャンセルが出たので』と病院から連絡が。早速、その日に予約をし息子と一緒に病院へ。

病院で『チェックシートになっているので、こちらをご記入してお待ちください』と受け取った用紙、恐らく3枚ほどあったかと思います。項目も、生後の状態から単語を話し始めたりハイハイや歩き出した時期から始まり、日常生活の様子などが色々書かれていて必死に記憶を辿りながら記入。書き終わった後、しばらくして呼ばれて息子と一緒に診察室へ。

ちょっと気難しそうな年配の先生だったので、私自身かなりオドオドしてしまいました。先生が先程記入したチェックシートを見て、本当にすぐだったと思います。

『ADHDです。自閉症スペクトラム障害の傾向もあります』

初めてこの言葉を聞いた時、先生が何を言ってるのか全く理解できず、「ADHD?自閉症スペクトラム障害ってなんですか?」と聞き返している私がいました。

薬も色々、なかなか合うものが見つからず苦戦・・

発達障害と診断されて、お薬を使う方向で治療を進めることになったのですが、これ、という効く薬はないとのことで、色んな”効果があるであろう”という薬を提案されたのですが、「どの薬を使ってみますか?」と言われても薬の知識がない私はただ困るだけで・・。

「それじゃあ、とりあえずはコンサータから試してみましょうか?」と1ヵ月ペースで診察に行き、薬を変えながら調整をしていました。

薬もコンサータから始まり、「漢方も効果があるみたいです」と漢方薬(癖が強いので、ココアなどに混ぜて飲ませていました)、エビリファイ、別の漢方薬、ストラテラ・・・この後は、元に戻したりを繰り返し、同時に臨床心理士のドクターにもカウンセリングをしてもらうことになりました。

いざ入学、学校生活では

ADHD・自閉症スペクトラム障害と診断されて、色々薬を使いながらも無事に保育園も卒業し、小学校にも入学することができました。しかし、やはり保育園とは違う学校生活。今まで自分のペースで保育園生活をしていただけに、小学校の規則正しい生活・しかも授業中は座ってじっとしているなんてことができません。

1年生の頃は通常級にいたのですが、毎回のように椅子に座らず床に寝そべったり、勉強しなければならない・時間が来たら今やっていることを止めて次の事をやらなくてはいけないことに癇癪を起す。そしてとうとう登校拒否をしはじめ、校門で待っていた校長先生に手を引かれて学校に入れようとした時には、校長先生を殴る始末・・そんな一年生でした。

でも酷かったのは学校だけでなく、学童保育はもっと大変でした。家庭の事情で下校後は学童に入れてもらっていたのですが、どうやら学童の先生との相性がとても悪く、よく学童を脱走して車の前に飛び出したりするようになりました。その度に職場に呼び出しがかかり、毎日のように早退して迎えに行っていました。

運動会も生徒席に座っていられないのと、担任の先生も付きっきりにはできないことから、私が生徒席で息子と付きっきりで見張っている役目をしていました。

この頃でもちょくちょく何か問題を起こしては、同校の特別支援学級のクラスに遊びにいくような形で一年間は過ごしていて、二年生に上がる前には個人面談で『特別支援学級に移りますか?』と提案され、なるべくなら通常級で頑張ってほしかったけれど、本人が通常級に居るのが辛く特別支援学級で頑張れるのであれば、と思い、二年生から正式に特別支援学級に移動しました。

特別支援学級で良かった

二年生になって特別支援学級へ移ったけれど、一年生の時にお世話になった先生が別の学校に移動されていて、当時補助だった先生が担任になりました。

「これでようやく学校に行ってくれるかな?」なんて考えもあったのですが、やはりそう上手くはいくものではありませんでした。特別支援学級に移ったからといっても、やはり時間の区切りもしなければならない・学校のルールを守ることも教えていくので、納得いかなく癇癪をおこして教室のものを壊したり、先生に八つ当たりしてみたり、酷い時には床や壁に自ら頭を打ち受けるなどの”自傷行為”もするようになりました。それでも先生や特別支援学級の上級生の子がなだめてお世話をしてくれました。

そんな山あり谷ありな学校生活も、明らかに変わったのが三年生。嫌々行ってた学童も三年生になって、学童を辞める代わりとしての約束事(帰宅したら一人で出ていかない、宿題はやっておく、など)を”条件”として提案し、納得させた上で学童は辞めました。

三年生の時には特別支援学級の生徒数も増えてきたので二クラスになり、新しい先生が赴任されました。その先生とは本当に相性が良かったみたいで、今までのように『暴れました、癇癪おこしました、物に八つ当たりしました』などという話が全くないくらいで、逆に面談で”アレコレやってませんか?”と聞かれるくらい、まさに人が変わったようでした。

関わる人によって、いくらでも変わっていく

それからというもの、息子は学校に行くことも嫌がることなく(朝が眠くて嫌がることはありますが)自分から登校できるようになり、運動会なども私が一緒じゃなくても普通の子たちと一緒に活動もできました。心配だった無事林間学校にも参加することができました。兄弟ケンカやゲームなどで納得いかず暴れてしまうこともありますが、本当に心も体も成長した、そう感じます。

その変わるきっかけになったのは、私としてはやはり三年生の時の担任の先生だったと思います。自分の息子のように可愛がってくださり、食べることが好き=料理にも興味ある息子に、一緒に調理実習をして、息子の興味の幅をいっぱい広げてくれました。どんな子でも関わる人によって、大きく成長していくこと、本当に実感しました。

最後に

【発達障害】・・私がそうだったように、まだまだこの障害を知らない人、理解してくれない人が世の中には沢山います。好きで障害になったわけではない、好きで多動で落ち着きがなかったり暴れたりするわけではない・・、本人たちは本当に苦しんでいると思います。

どうにか少しでも多くの人にこのことを知ってもらって、理解と助け合いをしてほしいです。

たった一言「危ないよ」とかでもいいんです。障害を理解できなくても、【障害だから】とか偏見の目で見ないでください。立派な同じ人間なんです。同じように接してくれるだけで成長できます。そんな暖かい世の中になれることを、願うばかりです。

[参考記事]
「発達障害のグレーゾーンの長女の性質。小学校から顕著に」

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