この記事はADHDのお子さんを育てている30代の女性に書いていただきました。
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赤ちゃんの頃から「頭を打ち付ける」などの行為があり色んな施設に相談に行っていました。ですが、時期が早すぎて判断できない・・・との事で幼稚園に上がるまでは様子を見る事になりました。
■小児鬱から注意欠如・多動性障害へ
幼稚園の上がる頃にはこの様な症状がありました。
〇言葉のどもり
〇水への異常な執着
〇マイナス思考
〇先の見通しが立たないと不安で体調が悪くなる
カウンセリングやテストを受けて診断されたのは小児鬱でした。小児鬱と診断されたまま1年が経ちましたが、クラスが変わり新しい先生になった事で状態が悪化。
先生と相性が合わなかったのか、息子の行動も変わって行きました。
〇一人でフラッと居なくなる
〇水への執着が更に酷くなった
〇死にたいと言うようになった
〇服へのこだわりが強い
〇名前を間違われるのに異常な反応を示す
幼稚園では何度、注意しても外の水道で水を出してずっと触っているそうです。さらに名前をよく間違える先生だったので、息子は「名前を間違われるのは自分に価値がないからだ」と言い出したそうです。
それが理由なのか家では幼稚園に行きたくないと異常なほど暴れる事も多くなり、総合的にみて小児鬱に加え、注意欠如・多動性障害(ADHD)と診断されました。個人的にはこだわりが強いなどを考えると自閉症スペクトラムの性質も入っていると感じています。
精神面、身体面での考慮点を書いた意見書と診断書を頂き、園側に提出しましたが、「多動性は愛情不足からなるもので私のクラスでは考慮はしません!」と担任の先生にハッキリ言われました。初めての行事は体調不良で休む事も多く、その度に「お母さんが甘いから我儘なんですよ!」と注意されました。
幼稚園の最後の年には今までの先生とは違い息子を理解してくれる先生に出会い、先の見通しがないと不安な時には時計を使って説明をしてくれ、初めての行事は前の日に写真などで説明をしてくれました。この先生のお陰で休みも少なくなり普通の子供と変わらずに生活する事が出来ました。
■コンサータで感情のコントロール、学業でのつまずき
初めて行う行事があると体調を崩す、幼稚園で静かな分、家では感情が爆発する・・・。小学校入学に向けて感情を一定にするためにコンサータ錠の処方が始まりました。薬が切れる頃に少し暴れはありますが、朝の大暴れがなくなったのは助かりました。しかし、ADHDの薬は副作用が強く、親としては複雑な気持ちです。薬で行動を抑えている気がしているからです。
症状は安定はしているのですが、小学校では手先の不器用さからなのか、また問題が・・・。
〇字を書きにくい
〇定規を使っても真っすぐ線を書けない
〇集中力が持たず文章が長いとどこを読んでいるか分からなくなる
〇登校拒否・脱走
〇平仮名を覚えてカタカナを覚えると平仮名が書けなくなる。
漢字では全てが記号の集まりに見えるようで書き順通りに書いても書けない状態が続きました。発達障害には学習障害もありますが、息子もその性質を持っている気がします。
漢字は読めるので問題がないしIQは普通との判断で、学校には知的障害のクラスはありましたが息子は漢字が書きにくいだけなので入る事は出来ず普通クラスにいました。
2年生後半からは周りと自分が違う事や出来ない事が多すぎる状態にショックを受けて登校拒否になりました。休みがちな息子に「出席日数が足りないので無理やり連れて来てください」そう言われて暴れる息子を無理やり連れて行った事もありました。
■校長先生に掛け合い新しいクラスが出来た!
泣き叫ぶ息子の姿は見たくない。何度も校長先生に掛け合い学校に行きたくない理由を説明し続けて、4年生から支援学級へ行ける事になりました。
校長先生は「わが校には情緒のクラスがないので〇〇君の様に知的障害のクラスに入れないけど、苦手が多い子が元気に登校できるように」と校長先生が教育委員会に働きかけ4年生から新しい情緒のクラスが出来る事になりました。3年生の1年間は週に一度、違う学校の支援学級で1年間を過ごし、4年生になった時に新しいクラスに入ることができました。息子と同じADHDの子もクラスにはいます。
現在は社会や理科、体育などは普通のクラスで受け、苦手な国語や算数は情緒のクラスで受ける事で落ち着いています。暴れる事もありますが、情緒のクラスの先生がフォローしてくれるので安心しています。
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