この記事は発達障害のお子さんを育てている30代の女性に書いていただきました。
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◆乳幼児期の様子
娘は、サプライズが苦手です。乳幼児の頃、予防接種や健診などに連れて行く時に、あらかじめ話すと嫌がられるので、何も伝えずに連れて行くと、パニックを起こし、私を噛んだりしていました。
また、言葉が遅く、3歳児検診のときに「大きい・小さい」「長い・短い」「高い・低い」などを絵を見て答える質問があったのですが、すべて「大きい・小さい」で答えたりしていました。言葉が遅いことや呼んでも振り返らないこと、また聞き返しが多く、話のやりとりが難しいことを相談すると、まずは耳鼻科を紹介されました。
耳鼻科に行くと、とても酷い「滲出性(しんしゅつせい)中耳炎」だということが分かり、言葉が遅いことや話のやりとりが難しいことの一因になっているのでは、ということで手術と治療を受けました。
◆幼稚園の頃の様子
3歳半で中耳炎の手術を受けたこともあり、幼稚園には4歳から入りました。自宅でもそうだったのですが、幼稚園でも突拍子もないことを時々言っていたようです。お気に入りのアニメのDVDを繰り返し見ていることが多く、その中の好きなシーンの好きなフレーズを、授業中でもいきなり言います。娘の頭の中ではその好きなシーンが流れているので、好きなフレーズを言うことは自然なようです。私たち家族は、DVDのことも知っているし、いつものことなので何のことか分かるのですが、幼稚園など家以外のところでは、周りの人たちを困惑させていました。
また、年長になる頃には、グループで作業をすることがあり、そのときに仲間に入れてもらえなくても、困った様子が見られませんでした。つまり、一人で何かをすることが好きなので、仲間外れにされても本人にはその認識がないため、何のダメージもないのです。
◆小学校に入学してから
小学校入学後ほどなく、お友達とのトラブルが起こりました。自分の思い通りにならなかったときに、パニックになりお友達のものを壊してしまったのです。なんとなく他の子どもたちと違うな、変わっているな、と思ってはいましたが、娘が小学生になり、私が発達支援機関で療育指導員として働くようになり、発達が気になる子どもたちに関わるようになってから、それがつながり始めました。私が娘に感じていた違和感は、発達障害が原因ではないか、と。
すぐに職場の上司に相談し、検査と診察の段取りを入れてもらいました。検査と検査を受けた結果、そこでついた診断名は「発達障害の中の自閉症スペクトラムの疑い」でした。診断名につく「疑い」というものは、他の病気のようにその後「疑い」がなくなるというわけではなく、「限りなくその要素がある」という意味だそうです。診断がついたことで、実際に私がショックだったという記憶はありません。むしろ、娘の育てにくさはそういうことだったんだと妙にホッとしたことを覚えています。理由が分かったことで、関わり方の道すじが見えるのではないかと。
できれば、もう少し早い段階(幼児期)で発達障害に気づいてあげて、療育を始められたら良かったと後悔もしましたが、「後悔先に立たず」。
◆診断を受けてから
発達障害であることの診断書を小学校に提出するとともに、担任の先生と面談していただき、関わり方を話し合いました。その後も、登校できない日があったり、パニックを起こしたり、固まってしまったりする場面がありましたが、小学校生活に慣れていくにつれ、そういうことは減っていきました。
娘の小学校には通級がなかったのですが、その後、近くにある大学の教育学部に「支援スペース」が設置されたので、当時の担任の先生にも相談して、そちらを利用させていただくことになり、現在に至っています。
[参考記事]
「3歳児検診で初めて指摘された発達障害」
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