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発達障害の私が首つり自殺を決行するまでの経緯

この記事は20代の男性に書いていただきました。

………..

私(20代男)はADHDです。自分が周りとは違うと気づくまでに20年以上かかりました。

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改めて見直すと問題児でした

 私は発達障害当事者の男性です。21歳の時にADHD(注意欠陥多動性障害)と診断されました。小さい頃から落ち着きがなく、協調性のない子供でした。小学生の頃はよく学校に親を呼びだされていました。授業中に座っていることができず、教室の窓から学校を抜け出すこともあったそうです。

 小学三年生の頃には、当時の担任に発達障害があることを疑われ、支援学級に入るのを勧められたこともあったそうです。発達障害かどうか確かめるために病院に連れて行かされたのですが、その時には診断は出ませんでした。

自身の発達障害特性に振り回される……

 中学生に入ると特性ゆえにトラウマになる出来事が続きます。私の中学校は多数の小学校から生徒が入ってくるので、周りは初対面の人間ばかりでした。初対面なのに人との距離感が分からずに馴れ馴れしく話しかけていました。

 また、友達との関係性において自分の思い通りにいかないと衝動的に癇癪(かんしゃく)を起してしまうことがありました。そのせいで入学して早々にイジメの標的にされるようになりました。イジメは中学2年生になり少し治まります。話しかけてくれる子もできたのですが、思ったことをすぐに言ってしまったり、冗談が分からず怒ることもあり、3年生のころにはまた一人ぼっちになっていました。

 学習面では、ノートを上手くとれず、興味のないものはなかなか集中できないせいで勉強にもついていけなかったです。家庭教師に勉強を教わっていた時期があったのですが、上手く覚えられず癇癪を起してしまうので、すぐに先生から断られてしまいました。成績がまずいと思い、自主勉強をしようとしますが、なかなか始めることができず先延ばしにしてしまい、成績は上がらなかったです。

 このような状態でしたが私は自分が変とは思っていなかったのです。自分が変なのではなく、周りが変と感じていました。自分を守るために現実をみないようにしていたのか、それとも自分のことを客観視できていなかったのか、今でも分かりません。

間違ったコミュニケーション

 高校生になるとイジメのトラウマからかあまり話せなくなりました。寂しかった私は「人数の多い部活動に入れば、友人ができるのは?」と思い、運動部に入ります。その部活では明るい子が多く、自分から話しかけなくても輪に入れてくれました。

 しかし過去の経験から「また無視されてしまうのではないか?」という不安からか、馬鹿にされても笑って誤魔化すようになります。そのせいで傷つき、ストレスを抱えていましたが、また一人になるよりはいいと、むしろ自分から馬鹿にされるような行動にでるようになりました。この頃から自虐的になります。

就職するもうまくいかない日々

 学力が低く、入れる大学がなかったので、卒業してすぐに県外の建築会社に入社しました。母親と仲があまりよくなく、1人暮らしに憧れていた私はワクワクしていたのを思い出します。

 しかし研修のときから上手くいかなかったです。先輩が説明してくれている途中、居眠りをしてしまったことや(建築に興味がないため)、質問されても聞かれたことと違う答えを返してしまいました。現場見学の際は注意力散漫なせいか危険な場所に近づいてしまうこともありました。それでもなんとか研修を終え、現場の配属先が決まります。そこから本格的にダメになってしまいました。 

 与えられた指示がよく理解できず、何度も怒鳴られました。そのせいで、理解できなくても質問することができなくなりました。こんな状態ですので当然仕事の段取りが上手くいかず、衝動的にあれこれ違うものに手をつけてしまうので、どれも中途半端になってしまいました。同期は皆、定時に帰っていましたが、要領が悪い私は残業することが多かったです。

 物覚えが悪く、仕事が遅いので上司からはやる気がないように思われるようになりました。自分なりにメモやノートをとり、工夫しましたが、それでも上手くいかなかったです。むしろ「もっと努力しろ」と上司から注意を受けていました。ほぼ毎日叱責を受け、上手くいかない自分へのストレスのせいか睡眠障害になってしまった私は入社4か月程度で退社することになります。

失敗が続き、自殺未遂

 地元に帰った私は母親の勧めで心療内科に診察を受けました。抑うつの診断が出ましたが、当時そういった病院に偏見をもっていたので、処方された薬も飲まず通院もしなくなります。1か月程度の自宅療養の後に父親の紹介で県外の建築会社に入社しました。

 そこでも上手くいかなかったです。業務の内容は前社より簡単なものが多かったのですが、覚えることが多く、どれも身に付きませんでした。そこの会社では車を運転することが多かったのですが、不注意のせいかあちこちにぶつけてしまい、運転が嫌で仕方がなかったです。ミスが多いせいか叱責の他に暴力を受けるようになりました。

 父に相談することも考えたのですが、父に何か不利益があるかもしれない、前の会社はすぐに辞めてしまったから我慢しなくちゃいけないと思い、相談することができませんでした。当時は上司と寮の部屋をシェアして暮らしていたので、仕事が終わっても心休まるときがなかったです。

 悩みに悩んだ私は「もう死んだ方がいいのではないか」と考えるようになります。自分には生きている価値がないと遺書を書き、飛び降り自殺を決意しました。中学生のころからぼんやりと自殺という選択肢が頭にあったのですが、行動に出たのはこれが初めてです。計画していた場所には行きましたが、途中で怖くなり未遂で済みました。これがきっかけで会社にいることができなくなり、辞めることになります。

 1年未満でまた地元に帰った私は前とは別の心療内科でPTSDと適応障害と診断を受けました。ただその頃未だに偏見を持っていた私は数回の通院でいかなくなり、薬も飲むのを拒みます。自分が精神疾患だと認めたくなかったのです。

 自宅療養と品出しのアルバイトをしながら、今度は地元で就職活動に励みました。そして自宅から少し離れた食品会社に入社します。業務内容は「誰にでもできる」とのことでしたが、それでも上手く仕事ができません。手先が不器用なせいでパック詰めやシールを貼るのにも人の倍時間がかかります。正社員なので管理業務もあったのですが、ミスが目立ち毎回注意を受けていました。何度確認しても同じミスを繰り返す私は半年程度で部署を異動させられてしまいます。

 個室での作業になり、これならできると思いましたが、段取りが悪くノルマの時間に間に合いません。常に叱責受け、いつもビクビクしていました。またパワハラのトラウマからかフラッシュバックにも悩まされます。監視カメラで常に見られているので社長に呼び出されることもありました。

 簡単な業務も覚えられず、過去のトラウマにも悩まされ体調がどんどん悪くなっていきました。「死にたい」という気持ちが日に日に大きくなり、自分が人より劣っているとようやく気づいた私はまた自殺決意します。

入院がきっかけで発達障害があるのが分かる

 公園のジャングルジムで首つり自殺をしようとしました。実際に首を吊ったので首には跡が残っていたそうです。夜遅い時間だったのですが、その時にたまたま同じ公園に人がいて、助けられました。いきなり人が集まり、救急車がきたのでパニック状態になり、当時の記憶はあまり記憶がありません。病院には母と警察官がいました。

 自殺未遂をしたということで閉鎖病棟に入りました。いたのは1週間ぐらいです。その時に「発達障害があるのではないか?」と先生にいわれ検査を受けました。他にも心理検査を受けました。結果はADHDでした。診断をした先生からはIQの様子をみると自閉症スペクトラム障害の傾向もあるかもしれないと言われました。薬はストラテラを処方されました。コンサータも試しましたが、私には合わなかったです。

診断を受けたことで自分をよく見直すようなる

 診断を受けたことで「自分に原因があったのでは?」と客観視するようになりました。先生と診察のおかげで多動性と衝動性が強いことが分かりました。多動性は大人になると体の多動は治まる傾向があるのですが、脳の特性はそのまま残るそうです。会話がよくかみ合わないのは、その多動性ゆえに色々なことを連想しすぎてしまうことが原因だと分かりました。一つの言葉から連想しすぎてしまう結果、違う内容になってしまうのです。

 ストラテラで特性が抑えられているので少し整理ができるようになりました。私は特に副作用もないと思います。ただ体調が悪いことが多く、薬の副作用かよく分からないところがあるので注意が必要です。

 発達障害特性は治るものではありません。何かしらのトレーニングが必要になります。現在の私はネガティブな思考をやめることができず、悪い面にのみ考えがいきがちです。それをどうにかするために若者サポートセンターに通い、自己理解と職業訓練をしています。ハローワークで専門援助も受けることにしました。社会復帰の準備中です。

[参考記事]
「自殺未遂を図ったほど苦しんだADHDと上手く付き合うコツ」

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