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発達障害の感覚過敏の実際と克服するための工夫

この記事は50代の女性に書いていただきました。

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発達障害当事者が悩みがちな障害特性のひとつに「感覚過敏」というものがあります。昨今の“発達障害ブーム”によって「感覚過敏」なる障害特性があること自体は、広く世間に知られるようになったものの、現実には健常者の皆さんにとっては、それがどのようなものかよくは分からない「感覚に対する異常」でしかないでしょう。

発達障害当事者同士の間でも「感覚過敏」に関しては共通理解というものが持てずに、一人ひとりが余計に苦しむ部分も大きい気がしている私です。誰にも理解されない生きづらさを常々感じている発達障害当事者は私に限らないだろうと思います。

今回は、最重度の発達障害(精神障害者保健福祉手帳1級)を有する私が、これまで実際に悩み続けてきた①触覚過敏②味覚過敏③視覚過敏について説明します。

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触覚過敏がコミュニケーションにも影響

私は幼児期から自身の手に触れる物の感触がとても気になりました。例えば、小学校の運動会のフォークダンスで同級生の男の子と手を繋ぐのが本当にイヤでした。

異性と手を繋ぐのが恥ずかしいとかいう感傷的な理由ではありません。相手の掌の感触が自分にとって心地よいと思えなかったのです。同性である女の子に触れるのも不快でした。

不快になる理由というのは説明出来ません。五十歳を過ぎた現在、当時のことを想い起こしてみても、やはり「不快に感じたから」としか説明出来ない自分がいます。発達障害者の触覚過敏と一口にいっても不快に感じる対象は色々あるでしょうが、その理由については「説明出来ない」という部分が大きいです。

ところが、大人になってからは逆に、触れることで快感が得られるようになりました。一般的な女性であれば絶対に「感じない」ような触覚ですが、なぜか私はものすごく性的な快感を憶えた経験は一度二度ではありませんでした。

お話しできる範囲で一例を挙げるなら、単に異性に手を握られただけでエロティックな興奮を得られるので、相手男性に恋愛感情を抱いているような錯覚を憶えがちでした。加えて、俗っぽい表現ではありますが「匂いフェチ」な私は、相手の匂いによって好意を抱いているような勘違いをしてしまいます。

私の特定の触覚によって快感を得すぎることに端を発する、異性とのトラブルや失敗を次の章で説明します。

交際相手に障害特性を打ち明ける

異性との交際におけるトラブルは、私をひたすら男性恐怖症に追い込み、失敗を繰り返す自分に対してのトラウマと嫌悪感が残りました。そのため、他者に触れられることは今では相当に不快になりました。

頭を撫でられる、髪の毛に触れられる、肩に手を置かれる、ハグやキスをされる…一般的な感覚で捉えるならば、親愛の情を伝えるような所作も、過去のトラウマが心に残る私にはパニックをもたらす以外の何物でもありません。

だから、お付き合いをする際には今後のお互いの関係性を占う意味でも、私は自分の障害特性や過去のトラウマについて事細かく打ち明け、理解してもらえるような努力を怠りません。「触れる、触れられる」というその感覚に異常ともいえる特異性があることは、相手とのよい関係を構築する上でかなりのハンディとなり得ます。ハンディになるからこそ今後の人生において深い関係を作っていくパートナーに対しては、私をきちんと理解いただきたいのです。例え理解に多大な時間を必要とするにしても、です。

こちらが真摯に自分のディープな部分を打ち明けているにも拘らず、発達障害という「傷み」を抱える私自身の生きづらさをわかろうともしない男性に対しては、恐れずにお別れを申し上げることに決めました。

触覚過敏と衣類の問題、女性ならではの悩みと工夫

触角が鋭すぎる私にはまた、着られる衣類にも制限があります。直接肌に触れる下着や肌着は綿素材のものでないと、ものすごい違和感を覚えてじっとしていられなくなります。

私は子どもの時から「多動」傾向が強いとされ、大人になった今でも多動が消失しない理由の一つは衣類です。成人の女性としてTPOに合わせてどうしても身に着けなければいけない化繊のストッキングの、素肌に感じる違和感など、衣類に対する不快感が原因になっている部分もとても多いように自分でも感じています。肌に触れる衣類の感触が不快だと、イライラしてきて落ち着かなくなります。

ですので基本はソックスだけで過ごし、冠婚葬祭など生足ではどうしてもダメな時には、多少値が張りますが、綿のメリヤス素材でタイツ風に作られた「足付レギンス」の上にロングスカートなど長めのボトムスを組み合わせることで誤魔化しています。「足付レギンスについて」は現在、カタログ通販各社で販売されているほか、冬場は「しまむら」などでも販売しています。

また私は女性なので、ブラジャーが必要となりますが、大人用のナイロンやポリウレタン製のそれは着けるとじっとしていられなくなってしまうため、子ども用の胸当てのある木綿のキャミソールやハーフトップなどで普段は凌いでいます。

下着や肌着だけではなく、上着も天然素材、特に綿素材のものを選んでいます。着心地が気に入った服は色違いで何枚も購入することもよくあり「何で同じものばかり買うの?」といわれることも多いのですが、たまたま私はぽっちゃりした体形でもあるので「デブあるあるだよ」と、現在人気のユーチューバー・たすくこまさんのネタを使って笑いを取っています。

女性なので確かにいろんな服を着ておしゃれを楽しみたいなとは思います。できることなら下着などの見えない部分にも気を配り、女ならではの楽しみ方ができればなと憧れこそあります。しかし、触感の善し悪しによって気分が日々左右されることのほうがより生活の質に影響する気がするので、おしゃれは二の次です。

「女性ならではの楽しみ」を楽しめないということも大きいストレスにはなります。ただ、こういうことをいい始めると本当にきりがありません。当事者が「発達障害者ならではのストレスがあるのだ」という主張をすればするほど「障害者特有の甘えだ」と、社会から切り捨てられ無視されることそのものが、実はすでにものすごくストレスです。

このようなメンタル的な問題についても、発達障害当事者の立場から、また機会を改めてお話しできればと願っています。

触覚が過敏な発達障害当事者と周囲の理解の実例

私自身はあくまでも「肌触り」だけが問題なのですが、同じ発達障害者でも、人によって触覚の「異常」には違いや差があるらしく、別の当事者の方は「肌に触れるものよりアウターのごわごわ感で不快感を覚える」と語っていました。

その人の話によれば「自分は下着の触感にこだわりはないので、化繊でも天然素材でも大丈夫だけど、むしろスーツやコートのあのごわごわした感じのせいで、特に冬場は一日中気分が悪くて仕事に集中できない」とのこと。

例えば、ごわごわ感が少ないレーヨンジーンズなら問題なく穿ける彼も、これが普通のデニムだと途端に違和感を覚えて落ち着かなくなるため、長時間着用していると不快で仕方なくなり、集中力やパフォーマンスの低下まで生じてくるというのです。

結局彼は、制服の必要な学生時代には生徒部に「異装届」を提出して、ごわごわした着用感を覚える学生服やブレザーの代わりにスクールセーターでクリア。

大人になった今は、ドレスコードの緩い職場に就職、何かのイベント事以外の席では周囲の理解も得て、オフィスでもトレーナーやパーカーで毎日の仕事をこなしているそうです。仕事によってはどうしてもスーツ着用で、という場もないわけではないらしいのですが「そんな時は着替え持参」だとか。

基本的には「スーツは職場のロッカーに入れっぱなしだよ、普段はTシャツとかでも上司に大目に見ていただいているのでね」と語る彼の言葉に、今後の発達障害者の雇用拡大のヒントを少しだけ見た思いがしました。

触覚はじめ感覚の過敏によりパフォーマンスの低下などの適応の悪さを示す障害当事者ですが、周囲の理解やちょっとした工夫さえあれば「苦労して職を得ても三ヶ月以内に半数が退職する」といわれる発達障害者の職場定着率の悪さは、もう少し改善の兆しを見せるのかも知れません。

「好き嫌い」と間違われやすい味覚過敏

発達障害者のなかには、味覚に対して一般の方とは遥かに優れた(もしくは劣った)感覚をお持ちの方も多くいらっしゃいます。
健常者とは大きく違うその感覚が、私たち発達障害当事者を、特定の食べものへの強いこだわりへ結びつけてしまうことも多々あります。

幼少期から私は「非常に好き嫌いの多い子ども」だと言われていました。好き嫌いという域を超えて、当時は食べられるものが三~四種類(食べられるものは時期によって流動的に変化)といった体たらくだった私は、常に大人から叱られてばかりなので、食事の時間が苦痛で仕方ありませんでした。

一例を挙げます。

高校を卒業する直前、十八歳の私は①白ごはん②納豆③梅干④しそ味の昆布の佃煮に異様にこだわっていました。その頃、私は半年間くらい「①白いごはん」に、「③梅干と④昆布の佃煮」を混ぜた「②納豆」ばかりをヘビロテで食べ続けていました。それこそ毎日三食、昆布の佃煮と梅干のみじん切りが入った納豆を添えたごはんを食べ続けていた記憶があります。

他のおかず、例えば味噌汁だとか卵焼きだとかお浸しだとかは要りませんでした。おそらく、当時の私には味噌汁があったとしても、卵焼きやお浸しがあったとしても、きっと「納豆と同じ味」だとしか感じ得なかったことでしょう。こだわりが強すぎるせいで、食材の味の違い、食感の違いに対して極めて鈍感だった私には、他の食べものを味わう「必要がなかった」のです。

つまり、私には、特有のこだわりの強さのために、それら以外の食材や献立の味が「理解できなかった」とでも表現すれば、健常者の皆さんにも発達障害を有する私の、偏食の本質が多少はイメージしていただけるのでしょうか。

異様に「こだわっている」がゆえに、私はこだわりのある食べ物に対しても、一定期間が過ぎると飽きました。あれほど毎食同じものを食べ続けられるほどハマっていた私のはずなのに、十九歳の誕生日を迎える頃には、これらのうち白いごはん以外には全て飽きていたみたいな感じです。

また、飽きてしまってから以降は、主食であるごはん以外の納豆や梅干や昆布の佃煮は、出されれば今でもちゃんと食べますが…。当時あれほどハマっていたにも拘らず、現在はわざわざ買ってまでは食べない、という点も特徴的だといわれればそうかも知れません。

成人後の今も残る給食時間の苦しみの記憶

子どもの頃は給食の時間は食べられないことと、先生に叱られることとで私は毎日ギャン泣きしていました。最後は「食べ終わるまで教室に入れません!」と先生から廊下に出され、小学生の私は午後の授業も殆んど参加できませんでした。

余談ですが、生まれつきのアレルギー体質で元から食べられないものも多かった私は「イヤな子ども、育てにくい子ども」だと大人から散々言われ続け、それがのちの激しい自己否定に繋がりました。

私が子どもだった昭和四十~五十年代は「健康優良児を育てよう」「ひ弱な現代っ子を無くす」というスローガンのもと、現代では想像もつかないような育児理念や教育方法が謳われていた時代でもありました。

当時はアレルギー体質やアトピー体質でさえも「親の育て方が悪い」「我儘な子ども特有の病気」だと批判されがちだったこともあって、虚弱体質だった私は周囲の大人が発する自分の身体に対するセルフイメージがずっと悪いまま成人しました。それは成人後の現在も、やめられない自傷行為や軽微なケガや病気をしやすいという何となくネガティブな形に姿を変えて、私の心身に憑りついています。

結婚後、偏食を減らす努力

当時は「ある特定の食べ物にこだわっていて」他の食べ物に興味が湧かないといったほうが自分の気持ちにしっくりくる感じでした。ただ、このように自分の感覚を私自身の言葉で説明できるようになったのは二十歳を過ぎてからです。

ちょうどその頃、私は職場で知り合ったある男性と結婚しました。仕事はそのまま辞めずに続けてはいましたが、結婚したということで必然的に台所に立つようになった私は、日々料理しながら意図的に自身の「特定の食べ物に対するこだわり」を減らす努力を試みました。

料理をし、食事が出来上がっていくプロセスを自分の目で確認する経験は、決まった食べ物に対する強いこだわりを逸らし、料理が完成するまでの過程を見ることへの興味にシフトしました。障害の有無関係なく、子どもが「自分で作った食べ物はおいしいといって喜んで食べる」という話はあちこちで見聞きします。二十歳で結婚した私が、自分で料理する立場になったことで、食事が完成していく過程を毎日自らの目で見、調理への興味が深まることによって著しい偏食が次第に直されていった感覚は、これらよく見聞きする子どもの体験に似通っていました。

決して食べもの自体の味や食感が苦手だったというのではなく、単に特定の食べものへのこだわりが強すぎて、他のものに興味が移らなかっただけなので幼少期からひどかった私の「好き嫌い」は、殆んど時間もかからずに改善できました。

今でも強いアレルギーの症状が残っているため、例えば花粉症の季節は症状を悪化させないように生野菜や果物を控え、極力加熱した食材を摂るといったシチュエーションは多々ありますが、単に「嫌いだから食べられない」食材というのは、現在の私には一つもありません。

発達障害をお持ちの子どもさんがひどい偏食をする話はよく聞きますが、食感が苦手ということ以外にも特定の食材へのこだわりを見せている状態にあるかもしれないという事をご理解いただければと思います。

発達障害当事者として私が自炊で意識した点と日々の工夫

私が偏食に関して個人的に工夫した点があるとすれば、出汁の取り方、食材の特徴に合わせた包丁の入れ方、食材それぞれに必要な下ごしらえなど、調理の基本だけはプロ顔負けのこだわりで取り組みました。そういう工夫や学び自体に「こだわりを移したこと」が、私にとって偏食の改善にプラスに働いたかと思います。

焼く、煮る、茹でる、蒸すといった調理法による「食材そのものの味」を愉しむメニューが必然的に多くなり、私自身の「激し過ぎる偏食」を改善するための一助になりました。

ですのでカレールーやシチューのルー、簡単に作れる中華の合わせ調味料などの使用も意図的に控えました。そのテのものがどうしても食べたい時には休日、時間の取れる時にベシャメルソースから手作りするなどしました。元来、興味を持った事柄に対してはものすごく「ハマる」私だったので、充分な時間さえあればそのような手間をかける作業は全然苦痛ではありませんでした。

厄介な障害特性、視覚過敏

私たち発達障害当事者は、視覚についても一般の方とはかなり違う感覚を持っています。
私個人としては、大多数の発達障害者は健常者と呼ばれる皆さんよりも「優れた視覚」を持っている印象があります。

私は視覚の鋭さにプラスして記憶力も良かったおかげで学業成績は優秀。例えば、私自身は記憶力の高さとセットになって、見たものを一瞬にして暗記してしまうことができます。内容を理解しているというよりむしろ、見たものをそのまま「形」として記憶してしまうと表現すればわかりやすいでしょうか。

この能力(?)をフルに活かすことで、私は義務教育期間や高校での学習、そしてのちに社会人入学した大学で、とにかく日々授業や講義の内容を暗記しては、テストで高得点に結びつけていました。

日本史や世界史の教科書はそれこそベッドでごろ寝し、教科書のページを左斜め上から右に眺めることによって、太ゴシック体で記載された年号や出来事、人物名を暗記してしまいます。

あくまでも太ゴシック体になった言葉を見えたまま暗記しているだけに過ぎず、教科書の内容を理解できているわけでは決してなかったため、前後の脈略はほぼ分からないままでした。でも、私は少なくとも高校の定期考査くらいまでは、学年トップクラスの成績を収められていました。

それぞれの出来事の詳細なエピソードは一切理解できていないので、学校を卒業後、自身より日本史や世界史の成績が良くはなかった友人知人から振られる「戦国武将と結婚した誰それの…」「明治維新の立役者であった誰それが暗殺された…」みたいな話題に、現在の私は一切ついていけません。

それでも高校を出るまでの私は、その視覚過敏と記憶力を駆使した暗記のおかげで、周囲から「歴史好きな生徒」だと思われていました。

数式ごと丸暗記する私の受験対策

暗記メインで対応できる社会や理科とは違い、思考力を要する数学などは、正直、授業についていけていたとはとても言えない状況でした。

しかしながら、内容は全くわからなかったものの、私は数式そのものを見たままに暗記し、そこに適当に数字を当てはめる手法?を駆使。派手な赤点をとる事態にも陥らずに高校三年間をやり過ごすことができました。

ただ、授業の中身は高校入学直後から何も理解できていなかった私は、今のセンター試験に当たる「共通一次」の数学の試験で、設問すら何を述べているのか理解できず、200点満点の57点というものすごく惨めな結果を残しました。

学習障害の一種の空間把握の拙さから、四十歳過ぎるまで横書きのテキストが殆んど読めないハンディを有していたことも併せて大きく影響しました。

ちなみに共通一次は現在のセンター試験が導入される1989年まで(1988年)10年間に亘り実施されましたが、共通一次の数学の成績でこの57点という私の数学の点数は、自身が通っていた高校でまさかのワースト記録だそうです。

おかげさまで?今は傘寿を迎えられた高校時代の数学の先生が、未だに出来の悪すぎる教え子の私を案じて「ちゃんと生きているのか?」と季節ごとお便りをくださいます。

私自身、今でも雪の降る寒い試験当日、100分間という数学の解答時間のあいだ(横書きの)問題文すら読めず、なすすべもなくマークシートを適当に塗りつぶす十八歳の自分の姿をしっかり思い出します。

ところが同じ日に行われた理科の試験は、選択したのが生物という自身の記憶力を発揮出来得るセレクトだったことも功を奏したのでしょうか。誤答はたった一問、100点満点中の96点というハイスコアを収めることができました。

私の共通一次の成績にまつわるエピソードははあくまで一例ですが、「視覚過敏の特性と記憶力の良さが合わさっている人も潜在的に多い」という発達障害当事者の特徴をよく表しているよな…と三十年以上が経過した今も思っています。

視界から入る刺激が強すぎてパニック!

しかし一方で視覚の過敏さは、私たち発達障害当事者を時折激しい不安に陥れます。私は成人した今もバスで同じ席に着かないと不穏になりがちです。車窓から見える風景が違うと、言葉では説明できない不安に胸が抑えつけられそうな気持ちになります。

五十歳になった今はさすがにそこまでのひどい状況はなくなりましたが子どもの時の私は車窓から見えるものが普段と違うだけで、たちまち落ち着かなくなってしまっては、パニックを起こして泣き叫んでいました。

よく発達障害のお子さんについて「バスに乗るたびに同じ席に着きたがる」「いつもの席につけなかっただけで子どもがパニックになるので他の乗客に対して申し訳ない気持ちになる」とおっしゃる親御さんとお会いします。

子どもさんが不穏になってしまう原因のひとつとして、視覚過敏による「車窓からの風景の違い」が、発達障害特有のこだわりとセットになって、子どもをどうしようもない不安に陥らせてしまうこと。

子どもも「見えるものがいつもと違う」ことによる不安を子どもなりに理解はしているため、不安を回避する意味で毎回同じ席に「こだわってしまう」点をご理解いただければなと、私は自身の経験を通じて願っています。

職場定着が困難な理由は目から入る強い刺激

発達障害当事者の「見えるものがいつもと違う」ことからくる不安は、健常者が想像する以上に強いものがあります。

かつて障害者雇用制度を活用し、健常者に混じってオフィスで働いていた頃の私は、社内の人事異動やオフィスでの席替え、そして室内の模様替えが本当に苦手でした。

人事異動によって部署のメンバーが変わることそのものがストレスだというよりもむしろ、自分の席から見えている上司や先輩の顔がいつもと違っている状態が、私にはとても怖くて気分が落ち着かなかったのです。

普段どんなに皆さんに親切にしていただいても、私には異動や配置換え、あるいは単純なオフィス内での席替えによって、自分の定位置(席)から見えている範囲のメンバーの顔が変わったということが怖く、恐怖感から最悪うつ状態を呈することになります。

この点については、障害者枠で採用されている私が、社内で幾ら繰り返し説明しても、ハローワークや就労支援から派遣されるジョブコーチに伝えても、誰にも全く理解されない部分でした。

オフィス内で自身の視界に映る人物が変わることだけが怖いのではありません。新しいパソコンへの機種替え、コピー機の位置の移動、机の上のブックエンドの有る無し…室内の些細な変化でも私は落ち着かなくなり、仕事に集中できなくなりました。

今さらながらの結果論ではありますが仮に私の机の周辺だけでも、仕切りで覆うなど視覚の変化を最小限にすべく、オフィス内で何らかの工夫がされていたとしたら、私はもう少し自分の力を発揮できていたのかも知れません。

逆に捉えるなら、もし、ほんのちょっとした受け入れの工夫と障害特性への理解が事業所にあれば、現在、非常に困難だといわれている発達障害者の就労は、もっと一般的になり、且つ職場定着率も上がる可能性を示唆している気が私はしています。

まとめ

以上、さまざまな発達障害者の感覚過敏のうち、三つの例を挙げてお話ししました。

障害特性としての感覚過敏に、これまた発達障害者特有の「こだわりの強さ」が複雑に絡み合って、当事者を生きづらくさせていることが実は一番問題なのだともいえるでしょう。

ただ「視覚の鋭さ」に「記憶力」が相まって、学生時代いい成績が保てたなどの例を鑑みれば、これら感覚の過敏さも、もしかしたら本当は活かし方ひとつなのかも知れません。

マジョリティ向きの社会からはみ出してばかりであろうとも、障害は「個性」なのだと正しい意味で証明して生きていける私だといいな。そんな視点で見つめる時、感覚の過敏さは決して欠点なんかではなく、個性としての発達障害を証明するためのひとつのツールに過ぎないんだよと。願わくばこれからもそのくらいポジティブに強く生きられる私でありますように。

[参考記事]
「発達障害の子供に多い感覚過敏とは」

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