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私が発達障害当事者として取り組んでいる草の根的な当事者運動

 

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アラフィフを機に当事者として始めた草の根的な活動

私は今年五十歳を迎えた発達障害当事者です。身体障害や知的な面での遅れも併せ持っているため、判定的には最重度とされる精神障害者保健福祉手帳1級を所持しています。

知命を機に、発達障害当事者の私ならではの目線を活かしつつ、障害その他の理由で同じような生きづらさを抱える人たちにとって、少しでも多く社会に受け容れられている実感を得てもらえるようなコミュニティ作りを目指し始めました。

自ら抱える生まれつきの発達障害、そこから派生した二次障害による多くの苦痛や挫折の経験が、逆に「障害があっても生きられる社会を構築したい」という希望に形を変えて、私の心を突き動かしたのです。

障害者として生まれたことによって味わい続けた口惜しさを、しかし私は行動するためのエネルギーに昇華させました。

私の中のエネルギーはさらに「非生産的なポジションに就かざるを得ない」私たち障害者という存在を、何かにつけ排除しがちな社会に対して「障害当事者としてありのままの姿で生きていける場所へ変化させたい」という強い想いへと駆り立てていったのです。

そんなアラフィフの私が自ら行動し始めた経緯や背景をまずはお話しします。

発達障害当事者の私が行動開始したくなった背景

判定的に重い障害であることが逆に功を奏し、私は現在バリアフリー設計の公営住宅に極めて安価な家賃で入居、床面積58㎡のひとり暮らしには極めて広すぎるような自室でライティングを中心とした在宅の仕事で生計を立てています。

家賃と物価がとても安く、自身の原稿料(月10万円の報酬が自身のなかでの一定ラインとしての目安であり目標)の不足分を、発達障害を事由にした障害年金で賄うことで、私は余裕こそないまでも、それなりに恵まれた自立生活が実現できています。

身体的にも相当に不自由で、常時車椅子を必要とする状況ながら、もともと結婚していた私は家事などの生活スキルもある程度身についています。

離婚後の単身生活において特別不便を感じるような場面は今のところ殆んどありません。

どうにか身辺自立を図れているため、現状の私は障害年金受給や重度障害者としての医療費助成などの経済的支援制度を活用する以外、各種の障害福祉サービスは全く利用せずにがんばれています。

かつては養育者からの虐待や元夫からの暴力、それらの苦痛から逃げる唯一の手段としての33回に亘る精神科病院への入退院など、本当につらいことが多々ありましたが、他人の力を借りずに完全自立生活を図り、マイペースで生きられる五十歳の現在が、私はこれまでの人生で一番幸せだと心から感じています。

当事者にとって使い勝手が悪い制度や福祉サービスの実例

しかしながら、実際に地域でひとり暮らししてみると、障害者が「当り前」に自立するのは相当ハードルが高いというか、見えない壁にしょっちゅうぶつかってばかりです。

私が発達障害当事者としていつも感じるのは、役所が謳っている福祉サービスというのは、現実には微妙な条件の狭間に落っこちる感じで使えないもの、利用できたとしても大変使い勝手が悪いものばかりだなあということです。

例えば、発達障害を事由に精神障害者手帳を所持する場合、コミュニーションが苦手な当事者の通院そのほかの便宜を図るために、障害者総合支援法に基づく「行動援護」サービスというものがあります。

しかし、この「行動援護」サービスが適応になるのは、利用者たる障害者本人が住民票を置いている自治体の中だけと決まっています。つまり、町田市に住んでいる私であれば「行動援護」でヘルパーさんに同行してもらえるのは町田市内だけに限られてしまうということです。

極めて稀な自己免疫疾患に罹患し、町田市内の病院では効果的な治療ができないために、現在23区内の医療機関への通院を要する私は、本来障害上の不便を解消するために受けられるべきせっかくの「行動援護」ではありながら、結果的には単なる「使えない」サービスになっています。

あるいは、発達障害のみならず、身体の障害も有して常に車椅子を必要としている私は、同じく障害者総合支援法に基づく「居宅介護(ホームヘルプ)サービス」を受ければいいじゃん、というアドバイスも周囲からよくいただきます。

しかし、この「居宅介護」も、運用上「常に毎週同じ時間に在宅している障害者」を想定しているサービスです。

家でライティングに従事しているといっても、私は仕事の打ち合わせや取材などで、頻繁に自宅を空けています。

そういった意味で「毎週同じ曜日の同じ時間に在宅している」という条件が、せっかくサービスとして存在してはいても現実には障害当事者にとって活用しづらいものでしかないのです。

余談ですが、障害によるサービスとしての「居宅介護」は、介護保険によるヘルパーさんのサービスとは全く似て異なる性質のものでもあります。

健常者の皆さんは「障害があるんだからヘルパーさんに来てもらって、家事で苦手なことは全部やってもらっている間、あなたは原稿を書けばいいじゃない」と安易におっしゃいます。

しかし「利用者の出来ないことをヘルパーが代行して行う」介護保険によるホームヘルプとは違い、障害の制度におけるそれは「障害当事者の自立訓練のために、当事者とヘルパーが一緒に家事を行い、障害者の生活技能能力を上げる」ためのサービスです。

平たくいうと、ヘルパーさんがお見えの間は、障害当事者もヘルパーさんと一緒に「家事の練習」に当たらなければなりません。

わかりやすく表現するなら、障害の制度による居宅介護サービスとは、ヘルパーさんがひとりで溜まった家事を片付けるのではなく、ヘルパーさんが訪問されている時間は障害当事者も一緒に洗濯をし、掃除に励み、調理の練習をする…というノリのものです。

ヘルパーさんがお見えの間私は溜まった原稿をライティング…なんていうことは一切できません。

むしろヘルパーさんたちの多くは私の発達障害というハンディキャップの本質を理解できない場面が多いため(単に車椅子に乗っている障害者だと思われて)うまくやり取りができずに、結果的に私は(特にメンタル的な部分で)傷つけられてしまうことが多いのが現実です(これは私以外の発達障害当事者の方もよく口にされる悩みです)。

発達障害者の生きづらさへの支援は少ないから当事者として自ら行動

上記は私たち(発達)障害者が意外と制度の枠からはみ出てしまう例のほんの一部でしかありません。

善かれと思って作られた各制度ではあっても、結局「障害者として生きる苦痛」を想像でしか感じ得ない健常者が、私たち当事者の生の願望を充分にヒアリングすることなく考えて作った以上、私たち障害者が望む現実や実態とは大きくかけ離れていることはやむを得ないといえばそうかもわかりません。

また、障害の各制度は「保護者(主に両親)の庇護のもと在宅で暮らす障害者」を想定して作られています。

現状の支給額ではとてもひとり暮らしなど不可能な障害基礎年金はじめ、制度は家族に扶養される障害者の日常を補助的に「助成」「支援」するものでしかありません。

手当や支援としての各サービスを利用して障害者が「自立できる」ようには、そもそも考えられていないのです。

――しかしながら障害者の置かれた現状に文句を言ってるばかりじゃどうしようもないじゃない。

役所がエンジンを掛けるの待っているだけじゃ何も変わらないじゃない。

不満があるなら、まずは問題点を洗い出せ。そして障害当事者として少しでも社会を「生きていけるようなもの」へ変えるべく自ら行動しよう…。

そんな想いから、五十歳になった私は発達障害当事者として、社会でもがく他の当事者と「繋がって生きる」途を模索し始め、居場所としてのコミュニティ作りをメインに「障害があっても自分らしく生きられる」ための活動を開始しました。

私が発達障害当事者として社会を動かすべく取り組んだ三つの挑戦

前置きが非常に長くなりましたが、今日は私が発達障害当事者として少しでも社会を動かすべく行動したこと、そして現在も取り組み続けているささやかな活動について、三点ほどお話させていただければと思います。

  • SNSで繋がる、実際にお会いして話してみる

一口に発達障害者と知り合う、といっても障害者にもいろんな背景、様々な状況下に置かれているのは当然です。

環境が異なれば必然的に自分らしく生きるために必要とするものや、障害があっても人生を全うでき得るための「今後の目標」みたいなものもそれぞれ違ってくることでしょう。

まずはいろんな障害当事者と知り合い、発達障害者の生活のリアルや彼らの置かれた背景を知るために、私は自身のブログを開設し、TwitterやFacebookを始めることにしました。

プロフィールに私自身も障害があること、障害はあってもそれなりに自立した生活を実現させていることなどを載せてみたところ、多くの同じような障害をお持ちのフォロワーさんと繋がることができました。

フォロワーさん各位とは、個別にSNSに付いているDM機能やフリーメールアドレスを活用し、事前にある程度の理解を深めるべくお互いの現状をやり取りし続けました。

そのうえで、メールでかなりの内情をやり取りできた当事者のフォロワーさんとは、予想外のトラブルに巻き込まれることがないように充分な注意を払いつつも、実際にお会いしてみるよう努めました。

東京都下に住んでいることから、首都圏にお住まいの方だけに限られてはしまったものの、私は半年間で20人超の当事者の方とお目にかかることができました。

お茶代や交通費こそ必要になりましたが障害者デイケアなどの公的、医療的支援による(表面的な交流だけの)コミュニティでは絶対に聞くことができないような、生々しさを交えた当事者ゆえのリアルな悩みや生きづらさ、そこから派生する僅かな希望などをお聞かせいただくことができました。

皆さんにお会いし、本音をお聞かせいただくという本当に貴重な経験を積ませていただきました。

私がお会いした発達障害者のリアルな人物像とは

実際に同じ発達障害当事者のフォロワーさんたちとたびたびお会いしてみたことで、以下のような「成人後の発達障害者のリアル」が浮かび上がってきました。

・ひとり暮らしの発達障害者は、私がお会いした限り圧倒的に男性が多い(女性とはお一人しかお目にかかれませんでした)。

※私のフォロワーさんのうち、実際に発達障害の診断を受けたという方は男性の数のほうが女性の数より遥かに多い実態があります

・経済的基盤としては生活保護を受給している人(もしくは障害基礎年金に生活保護を併給するケース)が殆んどであり、私がお会いした二十数名の方のうち一般就労できている人はたった一名しかいなかった。

・私がお会いした当事者の方は全員二次障害としての精神障害を併発していた。

・お会いした全員が発達障害を有するために学校でうまく人間関係を構築できずにイジメに遭った経験をお持ちだった。なかには義務教育から不登校、引きこもりを経験された方も少なくなかった。

・発達障害から派生するものに限らずいろいろな理由はあったが、お会いした方はみんな何かしら家族との問題や軋轢に悩んでいた。成人後の現在も家族とはうまくいかずに疎遠になっている状況の方も数人いた。

単純にエピソードを羅列しましたがこれらから「義務教育時代から社会参加がうまく果たせず、就労の機会を失って成人後は生活保護で暮らさざるを得ず、経済的な余裕がないために働いている健常者(と呼ばれる人々)とは疎遠になってしまった」孤独な発達障害者(の男性)という人物像が浮かび上がってきます。

日本においては未だに「男性は働いて妻子を養うべき立場」だとする価値観しか求められないことが遠因なのか、コミュニケーションの拙さ以外の問題として、女性と交際した経験が一度もないとお話された男性当事者もかなり多くいらっしゃいました。

  • できる範囲で居場所としての当事者コミュニティを作ってみる

SNSでお知り合いになれた発達障害当事者の皆さんとお話するなかで、私が一番問題だと感じた点は、社会のなかに障害当事者同士が「緩く繋がって生きるための」コミュニティが全く存在しない現実でした。

私が住んでいる地域にも、自治体や精神科病院が運営する発達障害者のためのサロンやデイケアというものはあります。

ただ、行政や医療機関が置いているそれらの「居場所」は安心できるコミュニティというよりむしろ「通うことによって」例えな生活保護のケースワーカーの心証がよくなるよね、という理由や「病院デイケアだし、きちんと通えば主治医が障害年金の診断者に多少便宜を図ってくれるよね」といった理由のもと、障害当事者が(内心はいやいやながら)参加する性質のものばかりです(実際にはそういった効果はないものだと私は思うのですが、僭越ながらそういうふうに当事者に思わせている時点で、発達障害当事者のための「居場所」としては失敗しているのではないかと個人的には感じます)。

当事者のための緩い居場所として自宅を開放する試み

考えた結果、まずは月に数回、私がひとり暮らしするには広すぎる自室を親しくなった障害当事者のために開放することにしました。

男性の当事者メンバーが圧倒的に多いことから正直、女性である私には自宅を開放することには躊躇いもありました。

ですが、このような取り組みをしたいと行政に相談したところで、いい返事ももらえず、さらには公民館などを使いたいと思っても「周辺の治安が悪くなる」といった地域住民からの反対も少なからずありました。

また、実際に私は普段は他の仕事をしていて、自らの日常生活も決して疎かにはできない立場です。

高い理想ばかりを求めて無理し過ぎた結果、私自身が苦しくなってしまっては本末転倒です。

あくまでも月に数回「お友達として(当事者の皆さんに)自宅に遊びに来てもらう」というスタンスからスタートさせました。

また。回避できるトラブルは最初から避けたいものですし、障害者だけの集まりでは別の意味合いでの単なる「隔離」でしかないでしょう。

障害当事者だけの狭い世界に留めるのではなく、私の考えに共感してくださる健常者の皆さんや、近所にお住まいのお年寄りなどにも広く呼びかけて「多様性のあるコミュニティ作り」を目指しました。

あくまで女性のひとり暮らしの自宅を開放しているため、トラブルによって私がつらくなってしまわないよう、基本的には古くからの仲よしのボーイフレンドやらお姉さんポジションの女友達なども必ず集まりの場に交えることにしています。

また、近隣にご迷惑をかけることは絶対にあってはならないので、自宅のテラスでの喫煙は禁止、大声で騒がない、現状は飲酒及び男性メンバーの宿泊はNGとしています。

詳しくは後述しますが、家族とも疎遠になっている当事者が多いこともあり、現在は他の精神疾患をお持ちの女性やDV被害者の女性も含めて、女の子のメンバーには一泊千円で宿泊もオッケーとしました。

特に家族との問題を抱える当事者が孤独を憶える機会が多い年末やお盆、ゴールディンウイークについては、去年から「女子会」として発達障害当事者のみならず、生きにくさを感じる女の子のためにお泊まりもオッケーの場を提供し、私の手料理を振舞っています。

敢えて会費を設定、徴収している私なりの理由

本来であればあくまでもボランティアですので食費などは求めない方針でした。

しかし、前々からお泊まりします!といって日時を約束しておきながら、当日の午後になっていきなりドタキャンというケースも少なくありませんでした。

お泊まりだよ、ということで聞いていれば、私は事前から相当の準備をし、ちょっと手の込んだ食事なども用意して待っているわけです。

だけど、安易に「ボランティアだし、別にキャンセルでも平気だよね」という態度を繰り返されれば、私も不愉快になります。

余りにもそういうことが続くため、現在はお茶は一回300円、昼食(食事)は一食500円、宿泊は一泊1000円という均一価格ルールを設定しました。

お金の問題ではないのです。

「別にドタキャンなんて平気だ」という感覚は障害者でもおかしいと感じる私は、自分たちのハンディキャップを言い訳にはせずに、きちんと改めるべきだと思うからです。

それでも「別に食事を食べたわけじゃないし、ドタキャンしたって問題ないじゃん」と主張するメンバーも一定数いました。

そういう方については以降参加をお断りさせていただくことにしました。

あくまでもお金の問題ではなく、事前に準備して待っている人の都合や想いに配慮できない人は障害の有無に関わらず、社会の秩序から余りにもはみ出ていると感じるからです。

そういう行動に問題がある人にこそ居場所を用意しなければならないのではないかという指摘もいただきます。

私も人間関係を構築する上での様々な困難をお持ちの方に対する支援の必要性は常々感じます。

しかし、難し過ぎるケースに対してはそれこそ専門家の出番であり、今は私が素人として適当に触れるべき課題では決してないと捉えています。

少しずつ集まりの対象を広げて真の多様性ある居場所を目指す

他にもトラブルは少なくはなく、私も苦しむ場面が多くありましたがある程度軌道に乗せられた現在は、私自身に無理のない範囲での「居場所の提供」のほかに、同じような発達障害をお持ちの方とメールによる相談の対応。

役所や福祉事務所、年金事務所などへの同行など、かつて私自身が苦手だったことをお力添えすべく、発達障害者の先輩のひとりとしてお手伝いしています。

今は発達障害に限らず(発達障害が疑われていながらも)まだ確定診断がついていない方にも対象に広げています。

さらに、かつて非行や犯罪行為に走って矯正施設を経験された方、障害のために罪自体は問われなかったにしても、そのまま精神科病院に措置入院扱いとなって、社会復帰後も行き場のない方や、あるいは私自身が虐待やDVを経験したことから、やはり毒親育ちのお若い方に対しても緩く居場所を提供させていただいています。

悩み続けていた若い日の私が年上の先輩に助けてもらいたい、教えてもらいたいと願い続けていたことを、自身が「年上の先輩」になった今、生きづらさを感じる若い方々のために実践に移しています。

私の取り組みにご賛同くださる健常者の方も増えてきました。

時々私の催す当事者のための食事会に際し、余った食材などをお持ちくださる支援者の方もいます。

この社会には障害のある人、いろいろな意味で生きづらくてたまらない人も存在している現実を、ふんわりと受容いただいている点に深謝しています。

他者を支援するために一番大事だと私が考えているポイントとは

活動を続けるために一番大事なのは「私自身が疲弊しない」ことに尽きるでしょう。

ただでも重たい背景を背負っている方々ばかりです。

私自身がお一人お一人のペースに巻き込まれてしまうのが一番よくないので、ちょっと離れた立ち位置で捉えるように意識しています。

冷静さを失わないためにも、お互いに共依存して共倒れという結果を招かないためにも決して無理して疲れ切ってしまうほどに「マジに」ならないことこそが、このテのボランティアでは何より重視すべきポイントであると、活動を重ねるなかで私は改めて認識しました。

人間はひとりでは生きていけないんだし、まあ緩く繋がっていけるといいかな。

そんな感覚で、自分にできることを無理なくやってみる。

そのくらいの(緩い)取り組み方のほうが、使命感に支えられてやたら熱くなるのより、ずっと方向性としては正しい気がします。

他人の人生を自分が支えよう、変えよう、幸せにしようなどという意気込み過ぎた考え方のほうが、人間として「上から目線」の発想でしかなく、傲慢に過ぎないからです。

本来であれば生きづらさの問題は担当の役所(行政)が一番に音頭を取って行動すべきであり、現行法の縛りの中では、私たち素人には動かせない問題のほうが実際には遥かに多いのです。

だからこそ、いい意味合いで「お節介になろう」くらいのノリだと一番いいのかなと思います。

生きづらい人を支援したいとお考えの方に知っていただきたいこと

さらに補足すれば(かつて私自身もそうだったのですが)本当に困窮している場合ほど庶民は役所や福祉の制度の介入を避けがちになるものです。

みんな真に困窮するまでに、すでに何度も役所へ足を運び、自分の抱える問題を窓口の担当に自分の言葉で一生懸命訴えた経験をお持ちです。

なのに…心ある対応をされるどころか、さらに傷つく言葉をぶつけられたケースが大多数です。

障害者はじめ、生活上の問題を抱えた方はそういった役所での挫折経験を何度も繰り返していて、行政に対する不信感は想像を超えて半端ない場合が多いのです。

そのような挫折や役所に対する不満も含めて、人生の先輩として話をざっくり伺い、専門的な支援や行政の介入が必要だと思われた場合には窓口に繋ぐ。

そういう目標(ゲートキーパー)を見据えて、一人ひとりができる範囲のことをする。そんなスタンスであれば、誰もが誰かのための「居場所」になり得る可能性はあるのです。

※私自身は仕事の合間に、自治体主催の「ゲートキーパー研修」や「傾聴研修」を受講したほか、個人的に勉強を続けてメンタルヘルスマネジメント検定Ⅱ種ラインケアコース合格までを果たすことで、困難を抱える皆さんの話を聞くための最低限のスキルを培いました。

しかし、現状そういうことができる余裕こそなくても、周囲の人の言動などに注意して観察する習慣を身に着ければ、相手が本当に大変そうな場合には専門家に繋ぐ…等の対応は(知識の裏付けがなくても)可能かと思います。

  • 生産的活動に繋げられる「職場」就労先としての在宅勤務の確立

障害者が働く、ということの意味は、単に経済的自立を図るためのものではなく、生きがいを作っていくことが目標である。

このような従来からの考え方を否定する気はありません。

本来であればこういった考え方は障害者の働き方に関するだけではなく、健常者の人生を考える上でも根幹とすべきところだと私は思います。

貧困化した障害者の労働はひたすら搾取と虐待に塗れる日本の現実

しかし実際にはこの優れた考え方を悪用されがちであり、日本の障害者の就労は本当に安く買い叩かれまくっています。

日本の障害者の貧困化について考える上で、ILO(国際労働機関)の改善要求さえも無視した我が国の障害者就労の実態を振り返ってみましょう。

昨年度公開の厚労省の資料によると、普通の就労と同じように雇用形態を結ぶ(最低賃金の適応がある)A型就労支援事業所に通所する通所者の月収平均71,000円です。

旧来の「作業所」であるB型就労支援事業所のそれは15,000円(時給換算で199円)を割っています。

この「障害者の仕事が安く買い叩かれる」という傾向は、障害者雇用制度を活用して一般企業などに就労した場合にも余り変わらないといえるでしょう。

しばらく前、Twitter上で炎上しましたが。

障害者枠で採用され、製造業に従事していた知的障害者の賃金が、時給換算で最低賃金額より200円も下回っていたという驚愕の事実を記憶されている方も多いかも知れません。

さらには先日中央官庁ほかで、障害者の雇用数が実際よりも水増ししてカウントされていたというニュースが流れ、私たち障害当事者の怒りの琴線に触れまくったばかりです。

厚労省発表によれば、一般の企業等で就労している障害者のうち、去年少なく見積もっても1308人が職場で虐待の被害に遭いました。過去最悪の記録だそうです。

1308人のうち84パーセントが「最低賃金を下回る」などの経済的虐待に遭ったというのです。

IT関連職に就くことが夢の射程内に入った若い障害者の希望

障害者、特にコミュニケーションの問題で悩む場面が多い私たち発達障害当事者の就労の可能性を鑑みる時、ITの潜在的な力はとても大きいのではないかと思います。

少し前までは知的な遅れがあったり、発達が定型児とは異なる障害児や障害当事者が、パソコンを操作して生産的活動にトライするというのは療育の現場では全くの想定外だとされてきました。

ところが、私たちアラフィフの障害者とは違い、ハンディキャップを持つ子どもでも、昨今はツールとしてごく普通にパソコンやタブレット、スマートフォンに触れつつ育ちます。

子どもたちにとって普段の遊び方もメインはコンピュータゲームであり、日常的に触れるメディアは今やテレビからYouTubeやニコニコ動画にシフトしつつあります。

そのテのものに苦手感を持つ私たちの世代以上の感覚とは異なり、子どもの時からインターネットに慣れ親しんできた若い世代にとって、ITは特別な存在ではなく、単なる生活のためのツールです。

だからこそ、現代を生きる若いハンディキャップドたちにとって、障害があってもインターネットを駆使して経済的活動をする、就労を果たすという夢が、決して無謀でも野望でもなく「想定内」の目標に変わりつつあります。

かつては知的障害者や発達障害者、精神障害者のための就労支援はクリーニングとパン製造が二大柱だとされてきました。

そのどちらも思うように収益が上がらなくなった現在の社会では、ネットが持つ潜在的な力は、障害者就労の可能性ともっと重ね合わせてもいいかと思うところです。

健常者には便利なクラウドソーシングが発達障害者には活用しにくい

ランサーズとクラウドワークスの二強を代表とするクラウドソーシングサービスは、しかしネットを介しているとはいえ、クライアントと直接やり取りをしなければいけないという面が、発達障害者には非常に使いにくいシステムになっています。

コミュニケーションに困難さを持つ発達障害者にとって基本的にメールだけでクライアントとやり取りせねばならないクラウドソーシングサービスのシステムは、言葉の行き違いや解釈の違いから取引先との考えの齟齬を招いてしまいかねないのです。

「メールとチャットだけでやり取りが完結する」というクラウドソーシングの一番魅力的な点が、そのじつ障害当事者にとってはメリットになるところか、想定外のトラブルに繋がりかねないのです。

クラウドソーシングは単に働きたい人と依頼したい人とを結ぶプラットホームでしかありません。

何かトラブったとしても当事者間で善処を以て解決を目指すと謳っている以上、実際に当事者間でトラブルが生じても、運営は調査をする(といっている)だけで、何も動かないのが現実です。

また、クラウドソーシングは玉石混交です。

たくさんの仕事で溢れてはいても、そこにある案件はピンキリであり、募集を掛けているクライアントのリテラシーも、集うクリエーターの能力もまさに玉石混交です。

必ずしもクラウドソーシング本来の目指すべき機能を果たせているかといえば、現実は違うだろうと思います。

私自身が障害者リモートワークのモデルケースを目指したいから

私自身、前出の二大クラウドソーシングに登録しています。

ランサーズでは殆んどログインすらしていないにも拘らず現在も「認定ランサー」になっています。

ライティングが私の生活の礎であるため、確実な収入は必須であり、私はほかにも数社の編集プロダクションと業務契約を結んでの活動を行っています。

それでも、発達障害を有する自身のコミュニケーション力の低さは自覚している私であり、それらのクラウドソーシングやプロダクションとは別に、障害者に特化したアウトソーシングサービス、ヴァルトジャパンにも併せて登録しています。

ヴァルトジャパン株式会社

http://valt-japan.com/

ヴァルトジャパンでは、在宅勤務(在宅ワーク)でそれなりの収益を目指している障害者のために、大変手厚いフォローがなされています。

残念ながら、障害のあるメンバー同士どうしても力の差があり、やはり誰もが同じく活躍できて…というわけではありませんが。

既存のクラウドソーシングサービスではうまくいかなかった発達障害当事者であっても、もしかしたらもっと力を伸ばせるチャンスはあるかも知れません。

元々ランサーズやクラウドワークスといった健常者を想定したサービスでもある程度力を活かしてこられた私は、ヴァルトジャパンに登録後、すぐにメインメンバーとして主要なお仕事を任せていただけるようになりました。

そんな私は、重い障害があっても在宅勤務でそれなりに収益を上げられるライターを目指し、障害者のリモートワークのモデルケースを構築する目標に挑み続けています。

さらにこの目標を可視化するべく、ヴァルトジャパンを通じて、現在「働き方の多様性」や「障害があっても自分らしく活かせる社会」というコンセプトのもと、以下のサイトを任されています。

ウィズパラ

https://wizpara.com/

障害者の在宅勤務を豊かにさせるべく始めた私の取り組み

最後に私は今後の自身の目標とすべく、新たな取り組みを開始しました。

新しい取り組みとは、私と同じく発達障害を抱えながらもいつかは在宅勤務で…という目標をお持ちの当事者の方々に対し「ちょっとだけうまくいった先輩」としての立場から、「きちんと収益に繋がるパソコン技能とネットリテラシー」について、自身の体験談や実際の仕事のコツなどを交えながらお伝えするというものです。

現時点は実際にA型就労支援事業所に通所されている方を主な対象に、スケジュールや時間、そして自らの健康状態が許す限り、私は精力的に出向いてはお話を差し上げています。

私自身はあくまでモデルケースであり、いわば叩き台です。

私の取り組みをごらんになった方々が「あんなことができるんだ」「これだったら自分にもできそうだな」と思われて、各々が出来そうなことから少しずつ実践して頂ければ理想だなと考えています。

失敗も多かったけれど自ら当事者として動いていく希望は捨てない

実はここに挙げた取り組みの他にもいろんなアイディアを実践してはきました。

残念ながら現実にはうまくいかなかったことのほうが多いのが正直なところです。

まあ、百試してみて、どれかひとつでも形になればいいや。

うまくいかなかったとしても、心折れずに取り組みを続けていくための秘訣は「無理しないこと、緩いこと、自分自身が愉しめる状態に置いておくこと」です。

無理せず、緩く、楽しく。だけど志はきわめて真摯に明確に私自身、発達障害その他のハンディキャップを抱えて悩み続けて生きてきました。

若い時に発達障害当事者の私自身が悩み続けてきたテーマに対して、五十歳になった今の私が応答する。

それが今、私が動き続けている様々な挑戦のベースであり原点です。

世の中はどんどん変化しています。既存の福祉サービスや支援が、今の障害当事者の悩みに追いつかないのです。それは私が若い時も同じでした。

発達障害当事者にとって、使える制度は常に現実の一歩二歩後ろです。

だからこそ、私たちが当事者としても視点を活かしつつ動き、声を挙げていかなくてはならないでしょう。

私たち素人には変えられなかったことも、活動を通じて社会に示していくことによって、動かしていける可能性だけはいつだってあると思います。

でも、社会を変えていくための活動には細く長く続けていく継続力も併せて必要だから心に楽しめる余裕があるかどうかが確認する上でポイントになります。

崇高な理想だけに突っ走ってしまわず、冷静さを保つためにも苦しまずに、むしろ社会を変えていくという究極の目標を楽しみながら、当事者だからこそできる草の根運動をこれからも自身のライフワークとして楽しんでいけたらと願っています。

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