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発達障害の私は職場でいじめを受け、後に自殺を図りました

 

 この記事は長い間、発達障害で苦しんできた女性に書いていただきました。職場でのいじめがきっかけで自殺を図るくらい苦しんできた経緯です。

…………..

 私は、半世紀をもうすぐ生きようとする年寄りの自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)ですが、判定を受けたのは5年前です。診断を受けるまでずっと統合失調症と言われていました。診断を境に、私は発達障害者だったと分かったのです。

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1.職場でのいじめ

 昔々の話になりますが、大学を卒業した若かりし頃、私は国家公務員として奉職しました。しかし私は社会人になって初めて、「人は何においてもストレートに話すということがない」ことを知ったのです。すべての会話が遠まわしであったり、他のものに例えて言ったり。誉めるのも、けなすのも全てがそうでした。

 例えばこんな風でした。
Aさん「○○さん (私のこと)、差し入れに持ってきた果物を剥いてほしいのだけど」
Bさん「あっこれは○○さん (私のこと)に似ているね」(と果物をさして言う)
Cさん「洋梨か。私は好きではないから、いらないよ」(と私の顔をじっと見つめる)
一同爆笑。

 これは「洋梨」と「用無し」をかけて、私を嘲笑していたのです。強烈ないじめです。こんなことが積み重なって、次第に私は言葉に過敏になるようになり、すべての言葉が私への嫌がらせに聞こえるようになっていきました。慣れない地方の職場で、また初めて実家からから出ての一人暮らしで友もなく、次第に私は心を病んでいきました。自殺を考えたほどですので、相当苦しみました。これはいわゆる発達障害による二次障害です。

 そうなると仕事も手に付かなくなり、休んでばかりいるとさらに嫌がらせはエスカレートしました。結局、追い出されるようしてたった半年で私は職場を去らざるを得なかったのでした。

 当時、私が嫌がらせを受けていたという訴えを、誰も医師でさえも信じてはくれませんでした。妄想で片づけられました。しかし退職した数年後に、同期だった女性職員から寿退職の報告と共に、私への嫌がらせは実際にあったことで「嫌だったけど、いじめをするように命令され加担せざるを得なくて、良心が傷んだ」という長い謝罪の手紙を受け取ったのです。

 アスペルガー症候群(発達障害のひとつ)は物事を言葉通りにとらえる傾向が強いと言われています。微妙な言葉のニュアンスを読み取ることや、言葉の背景を読み取ったりすることは大変苦手なことなのです。

 就職してやっと発達障害だったと知るケースが近年は多いですが、私の若いころは発達障害という言葉さえありませんでした。

2.意思を伝えられない

 公務員を辞めた私は、しばらくはアルバイトを転々としましたが、気持ちが安定せず(うつ傾向)、どこにいても長続きしませんでした。アルバイトの現場でも言葉のいじめを受けました。「邪魔だから何もしないでいいよ」など。だんだん人生に絶望した私は自殺を図り、精神病院の入院を経験することとなりました(発達障害の二次障害が限界まで達しました)。

 そこで精神病患者がどんな劣悪な状態に置かれているかを知り、強い憤りを覚えた私は福祉の道へ進むことになります。社会福祉士資格を数年かかってとり、小さな精神障害者の作業所のワーカーになりました。

 私の勤務していた作業所は、パソコンを使って主に作業をしていました。利用者のほとんどが男性で、女性はDさん(当時30代前半)しかいませんでした。Dさんはパソコンのスキルは高かったのですが、人見知りが激しくて、積極的に前に出てゆくタイプではありませんでした。

 私がワーカーになって間もなく、作業所に大きな仕事が舞い込んできました。それは障害者の支援の一環として県からの依頼で、在宅の精神障害者にパソコンを教えてワード・エクセル3級の資格を取れるくらいのスキルを身につけさせるという事業でした。所長は大喜びし快諾。まだ私がワーカーになって3か月目のことでした。

 もともと作業所の訓練として、個人でパソコン教室を開いている講師の方(所長の知り合い)のアシスタントとして、区民センターで区民にパソコンを教える事業は行っていました。アシスタントは作業所の利用者の中でも精神的に安定し、高いスキルを持った精鋭達でした。

 今回の事業にはアシスタントが足りないからとDさんもアシスタントになることになったのです。アシスタントに慣れるために区民センターにDさんも数度出かけていきましたが、心配になった私はDさんを含めほかのアシスタントをしている利用者の様子を見に行きました。するとDさんは無表情で愛想もなく、事務的に生徒の区民の方々に接していました。休憩時間も誰とも話す様子もありません。不安になった私は講師の方にDさんの今までの様子を尋ねました。すると「スキルは高いがねえ・・・。コミュニケーションをとってくれなくてね。一人では任せられないね・・・」ということでした。

 私はどうしたらいいのだろうと考え、せめて愛想笑いができれば、好感度も上がるのではないかと至りました。私もあまり表情が豊かな方ではなく、笑顔を作るのが苦手だったので、一緒に笑顔を作る練習をしたらどうかとも思ったのです。私はDさんに「早朝、笑顔特訓やらない?」と持ちかけました。すると「明日は休みます」という返事が返ってきました。が、翌日の早朝、彼女は一番にやってきて、いきなり「なんで笑顔なんて言うの!」と、キレたのです。そのあまりの剣幕に「解った!もう言わない!」と私もキレ気味に答え、この話は立ち消えてしまいました。

 この頃から彼女と私の間には溝が生まれはじめたのでした。私は、自分の意思をきちんと伝えることができていませんでした。もっと言葉を尽くして、笑顔は人間関係の円滑に進めるための方法の一つで絶対にこれから生きるのにメリットがあると冷静に優しく説明し、そして私も苦手だから一緒にやりたいのだという意思を説明すべきでした。アスペルガー症候群の人は自分の意思や感情を表現することが苦手です。Dさんに私の意思は全く伝わらなかったのです。Dさんはいじめられていると思ったかもしれません。

 もちろん、これらのこと全てを発達障害のせいにするのは間違えているかもしれませんが、大きなウエイトを占めているのは事実です。

3.相手の気持ちが想像できない

 それからしばらくして、事業をするにあたっては手狭であるという所長の意向で事業所を引っ越しすることになりました。利用者総出のお引越しです。その中で普段前に出ることのないDさんが、てきぱきと引っ越しの作業を仕切っているのを見て、私はDさんの意外な一面を頼もしく思いました。

 この時、私は他にもやらなくてはならないことがあり、「窓のブラインドの掃除をするのに、男性の利用者たちに指示をしてほしい」と思いました。彼女一人にやれというつもりではありませんでした。でも私の口から出た言葉は「ブラインドの掃除をして欲しい」でした。私はきちんと思っていたことを伝えた気でいました。が、彼女は「なぜ私が一人でやらないとならないのか」と激怒して、もちろんそれだけではない私へのもろもろの不満を所長に訴えて、まもなく作業所を移っていきました。

 のちに私は、Dさんはアシスタントになることが、大きなプレッシャーになっていたことを知りました。思い返せば彼女は心のSOSのサインを出していたように思います。彼女の無表情の様子にだけとらわれて、彼女の奥底の気持ちを知ろうとしなかったせいで、私はそれをくみ取ることができませんでした。また笑顔を拒否した彼女の心を推し量る想像力も持ち合わせていなかったし、そしてなぜそこまで嫌がるのかを傾聴すれば、また違った展開になったかもしれなかったのです。

 アスペルガー症候群は相手の気持ちを推し量ることや、想像することは苦手です。このコミュニケーション能力が弱いのは特性です。人間関係が困難でスムーズにいかない大きな要因のひとつともいえると思います。

4.発達障害を認める

 それから私は福祉業界も転々とし、精神保健福祉士の資格も取りましたが、どこでも長続きしませんでした。それは同僚ともうまく付き合っていけない、なにより利用者に信頼されない、端的に言えば誰からも嫌われる・・・。自分は「クズ」と思うようになりました。また自殺と言う文字が頭に浮かびます。

 主治医に悩みを相談したら、発達障害の診断を受けてみたらどうかと勧めてくれたのでした。物心ついた時から私は人間関係に苦しんでいました。人と上手くつきあえない、皆に嫌われる、どうして? 判定を受けるまで、それは性格が悪いせいだとずっと信じていました。診断を受けたことで性格が悪いからではなく、発達障害のせいなのだという安堵をやっと得たのでした。そのお陰で今では自殺をしたいという気持ちはありません。「今まで頑張ったね」とやっと自分を認めてあげられた気がしたからです。

[参考記事]
「発達障害の「二次障害」とは何か。放置すると大変なことに」

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