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双子の1人が自閉症と知的障害、1人は健常。その苦労を語ります

この記事は50代の男性に書いていただきました。

………..

 男の子の双子を授かったのは2005年7月。今年の春、それぞれ中学生になります。長かったような、あっという間だったような…..長い忍耐の日々だったことは、正直に言って否定できません。一人は健常者、もう一人は障害者。

 知的な障害と自閉症、運動障害もある長男、そして健常者の次男。同じ日同じ時刻に妻から産まれた2人は、最初から別々の道を歩んでいますが、普通の兄弟として仲良く遊んでいます。

 私たち夫婦は30代後半で結婚し、3年間子供ができなかったので、婦人科通院の末、排卵促進剤を選択しました。排卵促進剤を使うと複数排卵されることもあり、多胎妊娠になりやすいと言われています。

 長男の障害の原因が高齢出産のせいなのか、多胎妊娠のせいなのか。それとも、臨月が近づくにつれ妻の腹は縦に長くなり、医師の判断で、1か月早く帝王切開で出すことになったのも一因でしょうか。腹の中にいる内から、2人には動きの活発さに差があり、なぜかな?と思ったものです。

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『目を合わせない赤ちゃん』

 2人は二卵性双生児でした。排卵促進剤を使えばありがちなことで、兄弟が同時に産まれたようなもの。手術室から元気な産声が聞こえたものの、次男はすぐに抱かせてもらえたのに、長男はチラっと見れただけで、すぐICUに運ばれていきました。

 『何があったんだろう。。』とすごく不安でしたが、医師の話では過呼吸の症状が見られる、とのこと。単純に双子と聞いて喜んでいた私は、多胎児では障害のリスクが高まることに思いが至っていませんでした。

 保育器の中の長男を見てすぐ目についたのは、右足の膝から下が黒いこと。異所性蒙古斑でした。そして、頭の形が斜め後ろに尖っていること。

「なんでだ。。」

 その後も、次男の成長は正常ペースなのに、長男はお座りも立つのも遅い。なにより、親と目を合わせません。また、立ち上がるのがしんどいのか、あまり立ちたがらないように見え、それだけに、初めて独りで歩いた時、目頭が熱くなったのを覚えています。

『ひとりごと、ひとり回転』

 1歳越えても親と目が合わず、話しかけても振り向かなかったり、表情が変わらないので、気持ちが通ってないな、と憂鬱な気分にもなりましたが、次男が愛嬌よくすくすく育ってくれたお陰で気持ちの支えになってくれました。

 長男は親と目を合わせず、発語も大変に遅れて、やっと出るのは言葉か音か分からないもので、とてもコミュニケーションになりません。正常な発達ではないことは明らかで、2歳時検診の時、知的障害と自閉症との診断。妻は、私のいない時、実の親の前で泣いていたと、後になって聞きました。

 長男の初めての言葉はまず『ママ』だろうと思っていましたが、言葉に意味がある、ものには名前があるということが分からないようで、『ママママママ、、、』とエンドレスに鳴くし、独りで手をひらひらさせながらその場でくるくる回ることが好きな様子。

 全身の筋肉の付き具合が少なく、土踏まずもないので、いつもアヒル歩き。お尻の肉が少ないので、尾てい骨が突き出てタコができてしまい、今にもしっぽが生えてきそう。

 絵本の読み聞かせでも、次男はストーリーをじっと聞いているのに長男は読んでる途中、勝手に手を出してページをめくり、読み聞かせになりません。自分の興味のままに動き、人の邪魔をしようが気にしない。それが自閉症ですが、親でもいらつく場面がしばしばでした。

 それまでの双子への夜の授乳の寝不足だけでも十分にしんどかったので、『もう自分達夫婦だけで頑張るのはよそう。役所や福祉施設に助けてもらいながらやっていこう』と、むしろ肩の荷が下り、ホッとした気分だったのを覚えています。

 3歳から通所の療育施設に通い始め、日常の生活習慣を身に付けさせるようにし、以来、次男とは違う道を歩いています。

 双子で良かった点があるなら、同い年の兄弟として一緒に育てた結果、健常児の次男は、障がい者への理解、優しさを身に着けたように見えます。一方の長男も、相棒から刺激を受けるので、負けん気、向上心が出てきて、自閉的な面が少しずつ弱まっているように見えます。二人の息子が、それぞれ幸せな一生を送ってほしいと、心から願っています。 

[参考記事]
「発達障害と思っていたら軽度知的障害でした」

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