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発達障害の二次障害からうつ病になり県庁を退職

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この記事は50代の男性に書いていただきました。
発達障害特有の「こだわり」が上手く描かれていて、すごくいい記事です。
私はこの記事を読んでエジソンを思い出しました。
彼も発達障害でしたが、小さいころから「こだわり」が強く出ている子供でした。
エジソンは「粘土を2つ足したら1になるのにどうして1+1は2なのか」と質問し、教師を困らせたりしていました。
エジソンのように「こだわり」を昇華させていけば発達障害でも人生は華開くのですが、皆が全てそうとは限りません。

少し長い記事ですが、参考になりますので最後まで読んでみてください。
………………………………

子供のころの記憶

①母親と家庭について
私は間もなく50歳を迎える男です。
貧しい家庭に生まれましたが、母の愛情を一身に受けて育ってきました。
その愛情はありふれたものではなく、母の苦しみから滲み出た、決意に満ちた愛情でした。

母に青春はありませんでした。
生きていくことを諦めて酒ばかり飲んでいた祖父や、母が中学2年生の時に学校から引き剥がして奉公に出し、さらに稼いだ賃金をくすねる祖母の虐待に耐えて母は成人しました。
やがて結婚した母は「生まれてくる子供には私と同じ苦しみを与えず、十分な教育を受けさせる」と決意しました。
母の愛情は、そうした信念に基づいたものでした。

だから私は、豊かな愛情があったからこそ、自分が貧しいことを僻む(ひがむ)ことなく、他人を妬み嫉み(ねたみそねみ)で心を歪めることなく、今まで生きることが出来ました。
しかし世の中は残酷なものです。
母の愛情に反して、息子である私に精神疾患を与えました。

②幼稚園から小学生まで
自分の半生を思い返すと、発達障害にちなんだ行動は、幼稚園の頃まで遡ることができます。
幼稚園の休み時間には、私も他の園児と共に遊んではいましたが、その時遊んでいた同級生の顔や名前の記憶は無く、砂場で山を作って、その中にトンネルを掘ることに夢中になっていた園児でした。
一番記憶に残っているのはバスでの送迎でした。
私は運転手横の最前列に陣取り、人と話すことはなくバスの進行に合わせて変わる光景ばかりを見ていました。


小学校に進学してからも、私は同級生とは深く付き合うことはありませんでした。
1~2名の友達はいましたが、下校しても同級生と遊ぶことなく、すぐに帰宅してテレビばかり見ていました。
今から考えると、普通の人からは寂しい小学生と映ったかもしれませんが、当時の私には寂しいという感覚は全くありませんでした。

私は、学校や同級生よりも、テレビに映りだされる映像に釘付けになっていました。
中でもNHK教育テレビで放映されていた『みんなの科学』という番組がお気に入りでした。
そこでは、タイマーIC555という部品を使って、お風呂ブザーや、どんな坂道でも地面に落ちない車など様々な機械の作り方が放映されていました。
色々と知らないことが紹介された中で、一番興味を持ったのが電子回路図でした。
意味は分からないものの、トランジスタの丸い記号や抵抗器のギザギザとした記号が、電線を示す真っすぐな直線で繋げられて、アースと呼ばれるマイナス側の記号で終わる形が何か未来を示す物のように思えてなりませんでした。

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その影響もあり、電気機器が大好きになった私は、小学6年生の時に電話級アマチュア無線のテストを受験し合格しました。

他に小学生の時に夢中になっていたのは、水路を作って遊ぶことでした。
何も無いただ土だけの庭に土で固めたダムと水路を作り、ダムで堰き止めている水を排水路に流すという行動を何度も繰り返していました。

叔父や叔母と連れだって川へ遊びに出ていた時も、泳ぐことより、石を積み重ねてダムのようなものを築いて、水位を上げたり、川の流れを変えることが大好きでした。

③中学生から高校生まで
小学生の後半から中学生頃に、これもまたNHK教育テレビで『オーディオ入門』が放映されており、これも私は食い入るように見ていました。
レコードプレーヤーの駆動方式から、音源を拾うレコード針、その信号を補正して増幅するプリアンプとメインアンプ、最後に音として再現するスピーカーを本物の機器を用いて解説されていました。
私は、音楽よりも、シャーシに組まれた真空管や、巨大なトランス、複雑な形状を持つスピーカー等の部品にワクワクしていました。
これも小学生からの「
こだわり」だと私は思っています。
そうしたこともあり、中学生時代は放送部に籍を置いていました。
入部する時には友達と相談して決める人が多かったですが、私は、機械に対する愛着だけで入部しただけで、同級生のことなどは考えてもいませんした。


高校生になっても機械への「こだわり」は強く、アマチュア無線に入部しました。
同級生の中で免許を一番最初に取得したのが私だったので、最後は部長になりましたが、特段リーダーシップを発揮することなく高校生活を過ごしました。
回想すると、高校時代は特に大きなストレッサーも無く、発達障害から生じる不便も無く、幸せな時代だったと思っています。

④大学生時代
大学生時代は、私の人生のターニングポイントでした。
もしこの時、山登りに興味をもって、ワンダーフォーゲル部に入部していなければ、私は社会人になってすぐに自殺していたと思っています。

当時のワンダーフォーゲル部員は30名以上を数える大所帯で、そこに籍を置く私は、必然的に濃い人間関係の中に放り込まれました。
また、小学生の時、母方の祖父が酒の飲みすぎが原因で死亡し、棺桶の祖父の死体を触った冷たさがトラウマとなり、体育会系サークルによくある酒飲み会で、飲酒を拒否し続けました。
これも私の「強いこだわり」が原因だと思っています。

この時に、『人と接するにはどうすれば良いのか』という基本問題に直面し、悩み、考え、行動したからこそ、発達障害がありながらも、生きていく術を得たと思っています。
 
⑤社会人
大学卒業後、私は県庁へ入庁しました。
当時はバブル経済崩壊前で、仕事も人間関係もギスギスしていませんでした。
入庁してから2年間は、同期と同じく普通に仕事をしていると思っていました。
しかし、20歳年上の先輩から「仕事は完全にするものではなく、締め切りまでに終えることの方が大切だ」と注意を受けていました。
自分では気付かないところで発達障害による「こだわり」が出ていたのだと思います。

⑥精神障害の発症(うつ病の発症)
社会人となり3年目のことです。
上司がバイク事故で骨折し、3カ月病気休暇を取得しました。
その上司は、係の仕事の大半を処理していたために、私に大量の業務が流れ込み、夜遅くまで残業する日々が続きました。

その上司は予定通りに退院し、仕事も順調に進むかと思いましたが、そこで私のこだわりの強さが表出し、仕事を完璧にしなければならないと気が治まらなくなっていました。
当然業務量が増えて、残業漬けの日々が続きました。
そうしたことが半年も過ぎたころから、目が覚めても布団から出ることが出来なくなり、気力も低下し、雑誌や漫画ですら読めなくなりました。

これは精神疾患だと直観した私は、県内で有名な精神科を受診しました。
医師からは、うつ病と診断され、薬を処方されました。

⑦迷走する治療
通院してからも気分の変調は治まりませんでした。
週に1~2日の頻度で、朝、布団から出ることは出来ても、服を着替えている段階で床に座り込んで動けなくなり、職場へ休暇願の電話をかける日々が続きました。
その頃は、うつ病のことは世間にあまり知られていなくて、同僚からは怠けているだらしない人間だというレッテルが貼られました。

最初に診断を受けた医師から2年程治療を受けていましたが、その方は遠くへ転院することとなり、その医師の師匠にあたる医師を紹介されました。
その方もカウンセリングに時間を割いていただける優しい医師で、10年ほどお世話になりました。

最初の頃は、その医師から単純うつ病との診断を受けて、少量の薬を処方されていました。
しかし、私のうつ状態は良くなるどころか、ひどくなる一方で、処方される薬も段々と増えていきました。

とりあえず家を出て電車に乗るところまでは出来るのですが、県庁に近づくにつれて恐怖感が高まり、病院に逃げ込んだり、自宅へ戻ったりしました。
最後には、庁舎へ近づくごとに高まる不安と恐怖に耐えられず、電車内の連結部に携帯電話を持って立ち「このままだと自殺するかもしれないので休ませてください」と、悲鳴に近い電話をしたりもしました。


医師からは
「投薬での治療はもう限界です。辛いかもしれませんが、とりあえず出勤して椅子に座ってください」となだめられたり、
「気分が上昇すればいいのですね」と言われて、リタリンを半年ほど処方されたりもしました。

それでも症状が改善しない私を観て、最終的に主治医から「あなたの行動を観ると、あなたの病気は自己愛性人格障害だとしか考えられない」とまで言われました。
自己愛性人格障害と呼ばれる現象を知らなかった私は、血眼になってネットで検索し続けました。

それによると自己愛性人格障害とは、他人のことを考えず、自分勝手な行動をして周囲に迷惑をかけるとか、自分の事しか興味がないとか書かれてありました。
中でも一番納得出来なかったのが、幼少期に両親の愛情を十分に受けていないため、健全な自己愛が形成されないのが原因であると書かれていたことでした。

私は、その診断に強烈な違和感を覚えました。
確かに、結果的には精神が不安定になり、周囲に迷惑をかけてはいましたが、「他人のことを考えず、自分勝手な行動」を当時の私はしていた記憶はありません。
県庁では農林業の担当だったため仕事の関係上、様々な方とお付き合いが必要でした。
農林家から連絡を受けて現地へ出向き話をしたり、調査のために200件程電話をかけることも度々でした。
社交的な性格ではありませんでしたが、最低限のことは出来たと自負していました。

そして何より強烈な違和感を感じたのは、この障害の原因が、幼少期に両親の愛情を受けていないというところでした。
理想的な愛情ではないかもしれませんが、私は、母から十分な愛情を受けていたと確信していました。

その医師は、本当に誠実な方だと今でも私はそう思っています。
しかし、その方から『自己愛性人格障害』という診断を受けて、その障害の症例を何度も自分と照らし合わせてみても納得がいかず、主治医に対して疑念を持つようになりました。

⑧真実が分かる喜び
その後も、何度も体調を崩して病気休暇を取得し、精神科のデイケアを3か所利用し、様々な精神科医師の診療を受けました。
いわゆるドクターショッピングです。

カウンセリングも医師により様々でした。
優しい笑顔で語りかける方や、患者に対して自分の感情をぶつけて、気に入らない患者の診断を拒む方、看護婦に簡単な聞き取り調査をさせて、1~2分の診察しかしない方など様々な方がいました。

当然、病状が回復するわけも無く、うつ状態が常態となり、本だけでなく、雑誌や新聞も読めなくなり、最後はテレビのバラエティ番組すら観られなくなりました。
私はただただ家の中でゴロゴロして過ごすしていました。


そうしたドクターショッピングをしていた時に、今の主治医と巡り合うことになりました。
その方は、長いカウンセリングの後に、改めて別の日に心理テストを受けるようにと私に指示して下さいました。

血液検査や光ポトグラフィ検査、知能指数の検査、心理状態や性格を調べる検査、様々な絵が描かれた十枚ほどのカードをストーリー順に並べ替える検査等を受けました。
今まで受診してきた医師はすべてカウンセリングのみで診断していたので、精神科医とはそのようなものだと思っていました。
だから、このように診断の前に検査をする医師がいたことに驚嘆しました。

検査後初めての受診の時、今の主治医は
「知能指数は平均以上ですが、他人の意を汲む能力が劣るため、あなたの病名は広汎性発達障害です。
それに、あなたは単純うつ病ではなく双極性感情障害Ⅱ型(躁うつ病)であって、うつ状態になるのは発達障害からくる適応障害(注釈:二次障害)です」
と言うと本を取り出し、病状を丁寧に説明していただけました。

その内容を読むと、私が体験と同じような症例が書かれてあり、たちまち心の中にある蟠り(わだかまり)が解けていきました。
私は「この障害に長く苦しめられてきたんだ!」と確信すると共に、やっと自分の病の正体を知ることが出来て、何かしら解放されるような喜びに包まれました。

[広汎性発達障害について]
「発達障害とはどんな障害?昔はこんな子、普通にいたよね」

現在の治療について
現在も、その主治医のクリニックへ通い、治療を受けています。
病名は明らかになっても、ストレッサーである仕事とその人間関係からは逃れることが出来ず、私は仕事を辞めました。
最後の数年はひどい扱いをされていて未来が見えなくなっていたので、退職したことに悔いはありません。
収入は確かに減りましたが、少しずつ未来を考える余裕も出てきました。

現在も、丁寧な主治医のカウンセリングを受けて、病状に応じて処方を細かく調整しております。
また、血液中の薬剤濃度を測り、処方が間違っていないかも確認しています。

広汎性発達障害については
「あなたは山奥の中で一人暮らしていても大丈夫な方ですが、そんな環境を築くことは無理です。この障害は治りませんが、社会順応する手立てはあります。
あなたの場合、上下の人間関係でつまずくことが多いので、そうした場面にならないように心がけてください。
それでも対人関係は残りますので、幾つもの対人行動パターンを準備して、円滑な人間関係を構築していけば、社会的信頼も高められます」
と主治医から指導を受けています。

今も、決して障害を乗り越えて、病気を克服できたとは言えませんが、昔よりも明るい未来を描いています。
また、私と同じ障害や病状に苦しんでおられる方々に、私の経験を読んでいただいて、少しでも明るいイメージを描いていただければ、幸いに思います。
最後に、発達障害は脳の疾患であって、世間で噂されているような両親の愛情が足りないだとか、有りもしない虐待が原因で発症しません。
また悲しい現実ですが、発達障害は完治しません。
しかし、ちょっとした工夫で、豊かな人生を送れます。
だから、生きることを決して諦めないでください。

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