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発達障害者の「孤独」についての考察。「ひとり力」を養うポイントとは

この記事は50代の女性に書いていただきました。

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私は五十代の発達当事者の女性です。これまでに二回結婚しましたが、四十七歳の時に二度目の離婚をし、子どももいないため現在はひとり暮らししています。

この記事では障害を理由に社会的に孤立してしまわないように、私なりに工夫していることや日々「ひとりの将来」に対して私が考えていること。さらには孤独=「ひとり力」を心から楽しむコツなどをお話しできればと思います。

発達障害当事者が孤独を想起させるため嫌う言葉のひとつに“おひとりさま”というものがあります。

私と同い年のフリーライター、牛窪惠さんが「おひとりさまマーケット」で提唱して有名になった“おひとりさま”とは、もともとは「精神的に自立した真におとなの女性」を指す言葉でした。しかし、2005年流行語大賞にノミネートされて以降、結婚したくても一生独身のまま終える人生や孤独死を想起させる、ネガティブワードへと曲解されてしまっています。

おひとりさまという言葉本来のポジティブな意味を鑑みつつ、今日は発達障害者が不安に感じがちな「孤独」と、ひとりを愉しめる力についてご一緒に考えてみましょう。

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発達障害当事者からよく聞く孤独への不安や悩み

私は自閉的傾向に多動が合わさった上、身体的な障害も併せ持っており、発達障害に加えて知的にもやや遅れが認められ「知的障害グレーゾーン」と診断されているため、総合判定として障害的には「最重度」とされています。

幸い、私は文章を書く力だけは人並みよりかなり突出していました。そのライティング力を活かしつつ、若い頃から執筆活動で生計を立て、重い障害を抱えながらも私は個人事業主として自立自活できました。とてもラッキーなケースだと感謝しています。

離婚後(とても余裕があるとはいえないにせよ)経済的な自立も影響してか、私自身はひとり暮らしを心から楽しめているという実感を抱けています。

しかし、発達障害当事者の皆さんからよく伺う悩み事のひとつに、おひとりさまとしての将来=「孤独に耐えられない」「孤独死が怖い」という不安が挙げられます。

私は自身のライフワークとして、障害当事者の方々と実際にお会いし、いろんなお話を伺う活動をしています。皆さんから気兼ねなくお話を楽しんで頂く場所を提供するために、自身の仕事のオフの日には自宅を開放し、一定のルールを設けた上でお茶会や食事会も開催しています。

私がこんな活動に取り組み始めたのも、発達障害当事者はとにかく寂しいと訴えるケースがとても多いことを知ったのがきっかけです。

障害者、とりわけ発達障害者の皆さんは、例え障害者採用枠求人への応募であっても、なかなか採用には結びつかず、また離職率も非常に高く、定職に就くことが厳しいという現実があります。

発達障害のせいで安定した収入が得られ、且つ毎日職場に出勤を要するレギュラーな仕事が得られないという背景のもと、対人関係の拙さや経済的な困窮も影響し、孤立して外に出る機会すら奪われた結果、発達障害当事者の多くは「話し相手がいない」「友達を作れる妥当な場所がない」とおっしゃられるのです。

悩みを少しでも解決出来るような「居場所」や「話せる友人」というものを、同じ発達障害者としての立場から、自分に可能な範囲で提供できないかなあと考えて、私は当事者運動としての取り組みを始めたのです。

「孤独に耐えられない」といった悩みは、自身の発達障害を理由に結婚ができていない方から特に頻繁に寄せられがちです。しかし、すでにご結婚を果たして、傍からは一見幸せそうに映る専業主婦の当事者女性であっても「発達障害ゆえに他者と繋がれない」と訴えられる場合が多い印象を受けています。

訴えの数々から、私は発達障害当事者の皆さんが、将来も「ひとりぼっちのままの生活が続く」ことを非常に懸念されている傾向をひしひしと感じます。

孤独と孤立は別物。かつては自身も孤独を恐れ悩んでいた私の「気付き」

私自身かつては「孤独」の問題について本当に悩んでいました。詳細は端折りますが、幼少期に家庭に恵まれなかった私は人一倍寂しがり屋でした。

子どもの頃から「ひとりになってしまう状態」が本当に不安でたまらなかったために、例えその場にいることが楽しくなくても、他人と群れている状態に甘んじていました。

私の心の弱さを利用して「パシリ」に都合よく使う人物も多かったのですが、例え利用されている状態でしかなくても、私は「他人から必要とされたかった」のです。それほど私は孤独を恐れ、ひとりでいる状態が不安で仕方ありませんでした。

しかし、元夫との離婚が成立し、完全にひとりぼっちという「縛られない自由」を得た時に、私はやっと「孤独」と「孤立」は全く別のものだと気づくことができたのです。

障害の有無関係なく、社会的な「孤立」はよくないと私は思います。逆に「孤独」とは他人を気にする必要もなく、真に自由を愉しむためのものだ。離婚によって「本当の自由」を掴んでから、私はそう如実に感じられるようになりました。

孤独を恐れる心に隠されているのは誰かに必要とされたいという承認欲求

先に、私自身が以前はものすごく寂しがり屋だったというお話をしました。孤独を感じないために重要なのはただひとつ、繰り返しにはなりますが「誰かに必要とされている実感」を得ることだけです。それこそ他者から必要とされている状態というのが、単なる「パシリ」だったとしても、刹那的な心の隙間くらいは埋められるものです。

他人に必要とされたいという想い=ある種の承認欲求、だともいえるでしょう。

Twitterに病みツイを連続投下し、もしくはいいねの数を上げるべくtweetのネタ探しに貴重なはずの時間を割いてばかりのツイッタラーがいます。フォロワーの数の増減が最大の関心事になり、挙句の果て24時間スマホを手放せなくなったら完全に「ツイ廃」です。

インスタ映えを気にしつつ常にスタバにスタンバっている女性も多く見かけます。彼女らの目的はカフェでお茶を楽しむことではなく、新登場メニューの写真を、如何に注目を浴びれそうな構図で撮れるかに尽きるのです。

SNS上で他人の注目を集中的に得たいがために、クレジットカードを乱用してでさえ、流行の服やらバッグやアクセサリー、コスメといった類を買いたい。ものに囲まれて輝く自分を全世界に発信したい…。強すぎる承認欲求の前に、金銭感覚までが麻痺し切ったキラキラ女子も、世には多く存在します。

そんな「承認欲求の塊」のような人たちをバカにしがちな風潮もあります。一方で、もしあなたが「誰かに必要とされる人間になりたい」といえば、それこそSNS上でも大絶賛され、立派な人物だと思われることを考えるでしょう。

しかし、私は思います。言葉的には「誰かに必要とされたい」という綺麗な響きの言い回しであっても、結局は形を変えたバージョンでの「承認欲求」に過ぎないのです。「誰かに必要とされたい」を表す主語はあくまでも「私」なのです。

辛辣なニーチェの言葉を通じて「強過ぎる承認欲求」について今一度考える

ここまでライティングして、私はふとニーチェの有名な言葉を思い出しました。

どれほど良いことに見えても、「~のために」行うことは、貧しく貪欲なことだ。

誰々のためにであろうとも、何々のためにであろうとも、それが失敗したと思える時には相手、もしくは事情や何かのせいにする心が生まれるし、うまくいったと思えるときには自分の手柄だとする慢心が生まれるからだ。

つまり、本当は自分のためにだけ行っているのだ。

(ニーチェ「ツァラトゥストラはかく語りき」より抜粋)

ニヒリズム(全ての価値観の喪失)だのルサンチマン(権力に対する妬み)だの、まるで中二病のようなヘタレ感たっぷりのニーチェの思想は、哲学者の間では相当に好き嫌いが分かれるのだそうです。しかし、個人的には今の彷徨える時代にマッチした物事の捉え方だなあと私はやたら共感しがちです。

中二病の祖のようなニーチェに言わせれば「(全ての物事は)本当は自分のためにだけ行っているのだ」となるのです。

ニーチェの言葉に即して考えるならば、例え「誰かのために」と利他的な見地から善事を働いたとしても、それは単なる独り善がりであり、とどのつまり承認欲求を満たすことと根っこは変わらないというわけです。

やたら辛辣な言葉ですが、人間の心の闇や弱さといったものの真理を突いているなあとも考えさせられました。確かに、「誰かに」ではなく、いっそのこと自分が自身を必要としてあげるようにすれば、私たちの寂しい心はたちまちに満たされるのかも知れません。

孤独に心乱さないために。自身に「一番必要とされる自分」を目指そう

他人に必要とされたいなどと願うからこそ、嘘っぽくもあり胡散臭いものになってしまうのです。

変な言い方にはなりますがここはニーチェの言葉通り、可愛い自分の「認められたい」欲求を満たす手段として「自分が必要とする対象としての自分」を目指してしまえばいいのではないでしょうか。

承認欲求を満たしたい気持ちの裏には、常に自分を卑下しつつも、本当は自分が大好きだという歪んだ愛情がちらついているものです。それならばいっそ自分が大好きであることを認めて、自分を最優先する。

障害の有無に関係なく、今他人に認められたい、誰かに必要とされたくてたまらないあなたはこの世に一番望む相手として「あなた自身」を設定すれば大丈夫なのです。

「ひとり力」の向上を目指すことで自分を正しく愛していく

それでは、孤独を愛せるようになるための前段階として、ニーチェのいう「物事を自分のためだけに行う」ために、まず何が必要でしょうか。

自身の経験から、私は物事を自分のためだけに行い、自分のなかで完結させられるだけの「ひとり力」を充実させていくことが一番大切だろうと考えています。

培われたひとり力はそのまま自分のなかの強みへと確実に繋がっていくかとも思っています。

自立した生活を営む上では、さまざまな面でマルチタスクに物事を解決していける力の有無がまず問われてきます。炊事・掃除・洗濯…家事のそれぞれどれかひとつをとっても、リアルな自立生活は本当にマルチタスクであり、総合的な物事の解決能力が問われます。

さらに家計の管理、役所や銀行などの手続き、(最低限の)近所付き合い…自活する上では本当にいろんな力が試される場面が多々あります。それらすべてをコンスタントにこなせない限り、孤独を満喫する以前にひとり暮らし自体スムーズにはいかなくなるといえます。

物事がスムーズに進まない困難だらけの単身生活は、ひとりきりを愉しめるどころか、毎日がただただストレスにしかならないでしょう。

そう気づくと、孤独を心から楽しんでいける状態を作るために、まずはひとり暮らしをきちんと送れるレベルにまで、生活スキルを高めていくことの必要性がおわかりになるかと思います。

すでに独り暮らしされている方のほうが、日常生活を営むためのスキルも高く「寂しさ」への耐性も養われていることは説明するまでもありません。そういった意味では「障害のために結婚できない、相手もいなくて寂しい」と悩まれている人のほうが、実際には孤独への対応がしっかり訓練されているとも考えられるでしょう。

「自立した生活に必要な力」について具体例を挙げて考える

今はご家族と一緒にお住まいの方も、将来の自立を目指してちょっとした食事くらいは作れるくらいになりましょう。

単に料理できるだけではまだ足りませんね。食事を作るためにはスーパーに食材を買い出しに行く必要があります。野菜、肉や魚、牛乳や豆腐やパンといった日配品…お店にはいろんな品物がありますが、それらの品の通常の値段、バーゲン時の底値など、あなたは果たしてどの程度ご存知でしょうか。

品物には何でも妥当な“相場”があります。そこから知らないと将来、あなたは障害年金や生活保護支給額といった決まった金額内での遣り繰りに困り果ててしまいます。

お米など重たいものを購入した際のスーパーごとに異なるサービスの内容は把握していますか?天気が悪い時や体調が優れない時、対応してもらえるネットスーパーの注文方法はご存知でしょうか。

「買い物をして食事の準備をする」という行為ひとつ取り上げても、実際の日常生活は想像以上に課題だらけなのです。

いろんなことができなければ、その分毎日の生活を楽しめません。独り立ちを要する以前から、準備は怠らないように努めましょう。それらは未来のあなた自身を愛するためにです。

「障害者手帳があるんだし、ホームヘルプサービス制度が使えるからいいじゃん」と考えていらっしゃるかもしれません。しかし(福祉予算をこれ以上組めないという国家予算的な逼迫から)障害者総合支援法に制度が変わって以降、特に発達障害者が精神保健福祉手帳の所持を事由に使える居宅介護(ホームヘルプ)の内容はどんどん縮小されていく一方です。

少子高齢化の影響もあってか、膨れる一方の福祉予算を満たせるだけの財源が足りない以上、現行ですらあなたが必要とするほどの充実した支援はとても受けられないのが現実です。障害の制度以上に介護保険によるサービスは低下の一途を辿っています。政治家の無力ぶりや世の中の世知辛さに恨み節を呟くだけでは、もはや対応不能です。

「ひとり力」を向上させるというテーマは、単にひとり暮らしに必要なスキルを伸ばすに留まりません。同時に、ひとりぼっちという運命にまともにぶつかっていける勇気も問われるのです。

ひとり暮らしに必要なスキルと孤独を楽しめる意欲とは一セット

私自身が現在孤独を楽しんで過ごせるだけの余裕を保てている理由は、経済的な自立が果たせている点も大きいとは自分でも考えています。

しかし、それ以前にひとり暮らしを完全に果たせるだけのスキルが十分身についていたことが挙げられるかと思います。

私自身の生活スキルが高い理由はもともと結婚していたせいもあるのでしょうがなんでも自分でやってみたいという意欲や好奇心が人並み以上に強いという部分も大きい気がします。

ひとり暮らしを完全に果たせるだけのスキルの充実がベースです。さらに好奇心の強さやいろんなことに挑戦したい意欲があれば、孤独をも楽しめる余裕が生まれます。

離婚が成立して自由にやりたいことが楽しめる時間が増えたおかげで、私は毎日の生活が充実していると思えるようになりました。日々孤独を満喫しつつ楽しく暮らせています。

「孤立死」の問題点を事故物件に住んだ経験から鑑みる

孤独は自分の生活を楽しむために必要な、いわば「自由時間」だといえるでしょう。しかしながら、今深刻な社会問題になっている「孤立」は、人間を心身から本当にスポイルするものだと思います。

「孤独死」という言葉がありますが、正しくは「孤立死」と言い換えるべきだろうと私は考えています。

「死」自体、本来は非常に孤独なものです。仮に複数人が同時に死亡に至ったとしても、各々の人生がそれぞれに在った以上、一人ひとりは「別々に」死んだのです。

人生そのものが別々である以上、死も自分ひとりで引き受けなければなりません。そういう観点から捉えればすべての死は「孤独死」だといえるのです。

一方、死後いつまでも発見されず、気が付いた時には遺体も損傷しまくり、遺体の搬出後、死亡現場となった自室には原状回復すべく特殊清掃が入って…という「孤立死」は本当に悲惨です。

ここでは詳しく触れませんが、孤立死の現場となった部屋は、原状回復後もものすごく価値が下がります。賃料が相場より遥かに下がった結果、近辺の治安も悪くなるのは必然です。

私自身、心理的瑕疵のある「事故物件」のマンションにこれまで三回入居した経験があります。事故物件の部屋に住んでいることそのものより、自宅近辺の治安がとても悪く、私は何かと怖い想いをしました。女性がひとり暮らしをする上で本当に物騒な住まいであり、現実に危険な目にも遭遇しがちでした。

イヤな言い方ですが、安過ぎる賃料の賃貸物件は、その分問題のある人物が居住する場所になりがちです。トラブルが続出し、安心して住めないような場所からは(引越せるだけの条件が揃った人から)住民がどんどん離れてしまい、最終的には元来保たれていたコミュニティの崩壊に至ります。

結局、孤立死が起こった地域全体が物騒で「怖い場所」になるからこそ「事故」物件なのだと、私は今さらながら想い起こします。

依存症の原因にも。社会的孤立による不健康な生活習慣が人生を破壊

社会的に孤立すれば必然的に誰かと喋る機会も減り、次第にメンタルも病みます。例えばひとり酒していて、そのまま深酒になったという経験をお持ちの方も多くいらっしゃるでしょう。アルコールに傾倒する例ひとつとってもおわかりのように、社会的孤立は不健康な生活習慣の原因になってしまう場合も多く見られます。

人間である以上、誰しも少なからず他人へ(正しい意味で)甘えなければ心が病むのです。

しかし、社会的に孤立し、誰ともリアルに繋がれなくなると、寂しさから人間以外の対象に依存せねば心の均衡が図れなくなってしまいがちです。

結果、社会的に孤立した人間は病的な依存症状態に陥ります。

病的な依存によって、人間はさらなる問題行動に出、精神的身体的に故障したり、自分を意識的無意識的に傷つけて壊してしまいがちです。孤立した人のなかには犯罪行為紛いの行動に訴えてしまうケースもあります。

いずれにしても、孤立した人はそのような反社会的な生き方によって、さらなる孤立へと追いやられがちです。

そして、最終的に誰にも看取られず、存在も気付かれず一生を終えていく…というのが最悪かつ(残念ですが)ありがちなパターンでしょう。

孤立しないためにとにかく外に出よう

社会的に孤立しないためには、障害があっても勇気を以て外に出ることです。ひとまず顔を合わせた人に会釈するだけでもいいのです。

現代の日本社会の構造を考えれば、ベタベタとディープな従来の昭和的な人間関係は必要ないでしょう。むしろ、詳しい個人情報など知らなくても、顔を合わせたらにこっと笑顔を浮かべつつ挨拶が交わせるとか、天気の話程度の世間話ができる関係性の人が、近所に複数人いる感じの繋がり方のほうがより重要かもしれません。

現実の話、そのくらいの緩やかな繋がりを幾つも持っていることで、あなたの真のピンチが救われる可能性は往々にしてあるといえるのです。まさしく「遠くの身内より近くの他人」です。

身内のほうがダイレクトな利害関係が絡むがゆえに、本当にあなたが困り果てた時には冷たいという場合も現実にあるのです。もしくは、きょうだいであっても(自身の生活で手一杯で)障害を持つあなたに物心ともに支援なんてとてもできないことも残念ながら想定内の話です。

昭和的な家族の価値観を周囲から押し付けられて、やむなく無理をして援助を申し出た結果、きょうだい共倒れ…という最悪なケースも多いのです。それらは家庭内のことであるがために表に出てき難いだけで、実際には「きょうだいリスク」とも呼ばれ、深刻な社会問題になりつつあるのです。

最悪な結果を回避すべく、福祉の制度を含む行政の各サービスがあるのです。つまり、近隣の方には真にいざという時に役所に繋いでもらえれば理想であり、それだけで充分なのです。

一日最低一回は外に出る習慣があなたを守ります。孤立しないためには、億劫でも外に出ることです。取り敢えず外に出られるようになれば、発達障害によってこれまでつらい思いをし、それによって心を閉ざしたかもしれないあなたも、きっと少し変われます。少しずつの変化の積み上げが、あなたの力となり自信に繋がります。一足飛びにはいかないにせよ、日々の力の積み上げこそが大きな成功体験に変わり、さらにあなたを勇気づけるでしょう。

具体的に申し上げます。当り前ですが、外に出るためには着替えなければなりません。男性であればひげをそり、女性であれば最低限の整容を心がける必要が出てきます。そういった些細なことが、しかしあなたを(本当の意味での)「社会人」のままに留めてくれるのです。

基本的な生活習慣の維持こそ、あなたを孤立させないためのお守りです。ついては、力を維持することによって、あなたは外に出、社会に繋がっていられるために必要な自信も維持でき得るでしょう。

誰かひとりでもリアルな友人知人があれば理想ですが、その友達ひとりに依存してしまわないように、あなたも力を培う意味で生活に必要なスキルアップを目指しましょう。スキルアップのためのひとつとして、外に出る習慣を身に着け、維持しましょう。

高齢者へのアンケートで判明!暇こそ孤独に苛まれる原因

高齢者へのアンケートや聞き取り調査結果から「ひとり暮らしのほうが幸福度が高い」というこれまでの常識を覆すような結論を世に紹介した医師がいます。

ライフワークである高齢者や地域住民への「生活満足度調査」の際のアンケートの結果をもとにまとめた著書『老後はひとり暮らしが幸せ』で知られる、耳鼻咽喉科医師の辻川覚志さんは、ご自身のクリニックの通院患者を中心に、現在もお年寄りの生活の実態調査に当たられ、高齢者にとって本当に幸せな地域での暮らしを研究され続けています。

辻川先生は昨年も、現在の生活と満足度というテーマで、大阪府門真市の住人と、クリニックを受診した六十歳以上の男女570人にアンケートを取られました。アンケートの結果、自分なりに毎日が楽しめていて「孤独を感じない人」の暇な時間、つまり余暇の平均は2時間だったとのことです。

ちなみに日々孤独を感じる人の暇な時間の平均は5時間を超えていたとの結果だったそうです。これらの方々は同時に「何もしていない時間にいろいろ考えて不安になる」という回答をアンケートに記述している場合が本当に多いと辻川先生はおっしゃいます。

「余暇の平均が2時間」という方々のアンケート結果を精査すると、高齢であっても多くの方が、ハローワークやシルバー人材センターを通じて職を得、自分なりに社会に参加されている現実が判明しつつあるそうです。

辻川先生によれば、家族と同居し、またはすでに身内メインに介護されているお年寄りに比べ「自分のことは自分でやる」というスタンスのもと自立されたひとり暮らしの高齢者のほうが幸せを実感されているそうです。

辻川先生曰く、幸せなお年寄りは生活スキルも高く、自立度が高いからこそ生活を送る上で充実感がある…という傾向も、毎年のアンケート結果から判明しているとか。

単に「高齢者の話じゃん」とスルーするのでなく、この辻川先生によるアンケート結果を、私たち発達障害者の現実にも反映させて考えるべきでしょう。

孤独感や不安の原因となる暇な時間を作らないためにとにかく動く

アンケートの結果はつまり、発達障害当事者についても生活自立度と孤独感の相関について考えるべき点があることを示唆していると思うのです。

アンケート結果から見えてくるのは、孤独に苛まれず毎日を楽しむために、何かしら動いて暇な時間を作らないことが大切だという事実です。別の言い方をするなら、暇な時間にいろいろ考えてしまうことこそが、余計に将来に対する不安が増す原因なのです。

付け加えて、生活スキルの向上を目指すことが孤独に苛まれないための重要なポイントだと、辻川先生のアンケートの結果から如実に浮かんできます。

寂しがり屋な私自身、孤独感を遠ざけるべく意図的に忙しくしていた

私自身の話を差し上げます。

元夫との離婚後、私は独学で趣味のピアノをさらに極め、コンクール出場まで果たしました。ほかにも協調性を磨くべく?組んだバンドでヴォーカリストとして歌い、若い時からずっとやってみたかったコスプレに五十歳にして励んでは楽しんでいます。

あるいは自らが発達障害当事者であることを活かし、生きつらさを抱える方々のちょっとした話し相手を務めています。若い日の私が本当に欲しかった社会的な支援を模索しつつ形にし、生活面のみならず社会的に適応困難な側面をお持ちの皆さんの居場所作りに日々奔走中です。

こうして、私は仕事以外にも忙しく過ごすようにしています。

本来なら離婚によってひとりぼっちになり、寂しくてたまらないはずの私の気持ちが、むしろ離婚して真の自由を得られ、独居を始めたことでずっと前向きなものに変化したのです。

夫婦という関係性を維持し、家庭という場で波風を起こさないように、私はひたすら自分を殺し続けてきました。ひたすら我慢するしかなかった当時に比べ、離婚によって私が自分の暮らしを満喫できていることは事実です。

ひとりになることによって、私はようやく時間もお金も自分の遣いたいように浪費できるようになりました。つまり、時間的な自由と金銭的な余裕の裏付けによって、私はこれまで「やりたくても」やって来られなかったことに対して、片っ端から挑みたいと考えられるようになれたのです。

本音を申し上げれば長期化し難航した元夫との離婚裁判に、疲弊しきった私は心身ボロボロだったうえ、もとからが毒親育ちのために私は異様なほどの寂しがり屋でした。

だからこそ私はわざと、意図的にどんどん予定を詰め込んでは、忙しくすることでくよくよ考える暇すらなく過ごすようにしていたのです。

日々忙しく過ごすことによって、自分のなかにある好奇心を満たし、行動欲求を満たし続けるだけでも、私は自己肯定感がグッとアップする気がしました。

また、何かモーションを起こすためには、当然一定額のお金も必要になってくるものです。挑戦してみたいことを実行でき得るだけのインカムを得るべく、離婚によってひとりになった私は、結婚していた頃以上に自身の仕事にも打ち込みました。おかげで、ますます生活の質も私自身も向上させたいという想いが強くなりました。

それらの相乗効果でしょうか。私は自身がやってみたい諸々のことがずっと自分の力で賄えるようにと、日々さらなる努力をし続けています。手にする収入も次第に人(健常者)並みに近づきつつあります。

ひとりでいられることは力であり勇気。人生も孤独も恐れなくても大丈夫

最後にあなたがひとり力を磨くうえで、こんな言葉はいかがでしょう。

かつて喜劇王・チャップリンはこういいました。

人生は恐れなければ、とても素晴らしいものなんだよ。人生に必要なもの。それは勇気と想像力、そして少しのお金だ。

ロンドンに生まれたチャップリンの父母はともに俳優でした。しかし、両親が離婚後、彼と異父兄とを引き取った舞台女優の母が、身体の病気を苦に精神にまで異常をきたし、障害者施設に収容されてしまいます。

僅か七歳にして今でいうホームレス状態になったチャップリンは、しかし本人の強い意志と努力を実らせて十代から舞台での成功を収め、二十四歳で映画デビューを果たしました。

唯一無二の喜劇王として、ハリウッドから全世界へと鳴らしたチャップリンでしたが代表作「モダン・タイムズ」や当時のナチス政権を批判した「独裁者」の発表によって、作品の政治色の強さに、彼は次第に活動の場を失って行きました。

戦後も、いわゆるレッドパージによって「危険人物」と見做されたチャップリンは、アメリカから国外追放されてしまいます。1972年のアカデミー名誉賞受賞によって、二十年ぶりにハリウッドの地を踏んだ時、彼は八十歳を過ぎていました。

チャップリンの人生を鑑みると、もしかしたら本来潜めていた実力を、しかし彼の責を問えないような理由で、彼は思う存分発揮できなかったのかもわかりません。

しかしながらチャップリンはこのようにも語っています。

浮浪者、紳士、詩人、夢想家、孤独な人、皆いつでもロマンスと冒険に憧れてるんだ。

孤独な人=私たち発達障害者であっても、見えない未来に対して必要以上に恐れることはありません。恐れずに生き抜くために、今のうちから「裏付け」としての自分のなかの力を積み上げ培って、力を自信へと変えていきましょう。

人生を自分らしく生きるには、チャップリンもいう通り「少しのお金」が必要ですが、そこに関しては不十分だとはいえ、福祉の制度が最低限賄ってはくれます。

金銭的な問題は制度で何とか解決できるものです。孤独を恐れ過ぎない勇気、未来の自分を楽しく想像し得る力を培い、本当の意味での強さを目指すことのほうが「本当の自分」を満喫しつつ生きていくためにはずっと大切です。

自分らしく生きるというテーマを考える上では、同時に孤独と向き合える力=自分の弱さを直視でき得る強さ…を鍛えることが不可欠です。

さらに、自分なりのロマンスや冒険に憧れ続け、その憧れを実現に移していくための努力があればなおよし、だと五十歳の私は考えています。

発達障害があっても、最低限生きてはいけるのだから、孤独を闇雲に恐れず、むしろどんな状況でも自分の現実として受容し直視する力、困難すら楽しんでいく能力を磨きましょう。

[参考記事]
「発達障害者であっても自分らしく生きよう。人と同じである必要はない」

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