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ADHDの私の学生時代を振り返る。自己肯定感が下がらなかった理由

この記事は20代の男性に書いていただきました。

………….

 こんにちは!私は不注意優勢型のADHD(注意欠陥多動性障害)の大学生です。ご存じかも知れませんが、ADHDは発達障害の一種で「落ち着きがない」「うっかりミスが多い」「忘れ物が多い」などの症状があります。これらの症状は脳の生まれ持った機能異常が原因で、努力では改善しきれない部分も多いです。

 しかしながら、発達障害は一目見ただけでは定型発達者(普通の人)と変わりがありませんので誤解も多いです。そんな発達障害の私が今までの学生時代を振り返ってみたいと思います。発達障害の子供の気持ちが知りたい方はどうぞ。

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特に大きな問題の無かった小学校時代

 自慢ですが、小学校時代は優秀でした。正確には、「優秀だと思ってました」。

 私は早生まれだったので低学年の間は多少周りと比べて成長が遅れていましたが、三年生くらいからは周りに溶け込めていました。人間関係に関してはアスペルガー症候群の人と違い、不便さはあまり感じませんでした。友達とのコミュニケーションも上手く取れ、多少ミスはあるものの学校での勉強もよくできました。

 発達障害の子供を学力という点で分類すると「全くできない(机に向かうと言うことが難しいor学習障害がある)」か「よくできる(ミスは多いが理解力が高い)」のどちらかのように思います。自分は後者でした。そして、私のADHDはうっかりミスタイプなので机に座って勉強することは問題ありませんでした。

 しかし、運動はダメダメ。発達障害の子は体幹が弱く運動神経が悪い傾向にあり(全ての人ではないですが)、私もそれに該当します。そして忘れ物はとても多かったです。これは言うまでもなくADHDの特徴です。

 このように欠点も少なくありませんでしたが、とりあえず学校にいる間は真面目な「いい子」なので通信簿にはいつも「抜けている部分はあるものの正義感があり、勉強にも問題が見られない」と書かれていました。そんな通信簿を見てニコニコする、「自分は優秀でいい子なんだ!」と思っている、そんな小学生でした。

 まとめると、小学校時代は忘れ物多い、運動できない、でも勉強はできた。会話も問題なし。

提出物はいつも期限遅れの中学生時代

 私が周囲との差を意識し始めたのは中学生になってからです。中学校に入って今まで出会わなかったような種類の人間と出会いました。それに伴い、周りの生徒達の性格というか「性質」が変化しました。

 簡単に言ってしまいますと「真面目ってダサい」と言ったような空気でしょうか。私の小学校は比較的お上品だったので私はその変化に戸惑っていました。

 しかし周りの小学校の同級生達はなぜか周りに適応していく。私は孤立していた、とまでは言いませんが友人は決して多くはありませんでした。授業中に騒いだり、そういった生徒達のノリにはついていけなかったのです。これは発達障害の影響というよりも、これが私の性格なのでしょう。

 一方、勉強に躓くことはありませんでした。一年生の前半に英語で多少引っかかりましたが、コツが分かれば簡単です。私は塾というものに通ったことはありませんでしたが(公文式を塾といっていいのかは疑問です)それでも常に私の成績は上位にありました。

 これが私の間違いの元でした。ここで私は「自分は勉強ができる、優秀だ」と勘違いし、「周りの生徒達はバカだ」と内心見下し始めたのです。

 他に語っておかねばならないのはやはり忘れ物でしょう。どうしても提出物はいつも期限遅れでした。その提出物に意味を感じられなかったというのもありますが、期限に間に合ったのは数えるほどです。どう見ても優秀じゃありませんが、私は自分が優秀だという思い込みを強めていきました。自己肯定感が下がるよりも、よっぽどマシです。

 まとめると、中学校時代は提出物を期限までに出せない。周りについていけない。でも自分は優秀だと思い込んでいる。

自分はおかしいと気づいた高校時代・1

 ところで、私は高校までまともに運動をしたことがありませんでした。母が言うには小学校までの私の運動神経は見ていてかわいそうになるほどだったと言います。そのため、ろくに運動に関わりませんでした。

 しかし私は高校でのんびりながら剣道を始めました。どこかでADHDには有酸素運動が有効だと聞いたことがありますが、その効果か否か、わたしは自分がおかしな人間だと思い始めたのです(この時には診断を受けていないので、発達障害のために剣道をしたわけではない)。

・周りより忘れ物が多い
・周りより頭の反応が鈍くどんくさい
・周りとは明らかに数段劣るレベルで字が汚い
・やっぱり出せない提出物
・遅刻が増える

 おかしいなぁと思いながら日々を送っていました。

受験につまずいた高校時代・2

 問題が出てきたのは受験に近づいてからです。私は勉強は楽勝だったので受験も余裕だと思い込んでいました。生徒のほとんどが「MARCH(有名私立大学の頭文字)」に行く程度の学力を持つ中でも私は上位にいました。

 ですが上手くはいきませんでした。国語、英語は本当に楽勝でしたが数学は壊滅していました。重要な概念、公式、問題の解法、それをよく理解しているにも関わらず問題で計算が合わないのです。一つの問題で二つや三つも計算ミスをすることすらありました。ADHDの不注意が大いに現れたのでしょう。

 そんな状態で理系を志したのですからもう受験はボロボロ、浪人して滑り止めには引っかかりましたが「勉強ができる」という自信は微塵と化しました。

 そうして大学に入ってから病院に行って初めて自分が発達障害(ADHD)だったことを知るのです。

発達障害を育てている親御さんに言いたいこと

 どうでしょうか。決してまとまった文章ではありませんでしたが、「ADHDの私の特徴」をありのままに書きました。救いだったのは勉強ができたことでしょうか。どんくさいので反射神経の必要なスポーツはできない、またうっかりミスも多いので自己肯定感が低くなりがちな発達障害の私にとって勉強が唯一の自信でした(中学までは)。

 また、私の家庭は発達障害に理解がありましたことも救いでした。何で忘れ物するの?などと責められることもなく、自己肯定感のさらなる低下を防ぐことができました。小さい頃は親も私が障害を持っていることを知りませんでしたが、何かを感じ取って、あまり言わなかったのでしょうか。

 発達障害を抱えるお子さんを育てている親御さんに言いたいのは以下の2点です。

・発達障害の子供には「普通」が無理だと理解する
=>つまり、出来ないことをやりなさいと言わない。何も教えもしないで今すぐバク転をやりなさいと言っているのと同じなのです。大けがするのは目に見えていますが、これと同じことをしている親が多いことに危惧しています。

 発達障害の子供は「普通」を求める現代社会(学校など)と「普通」になれない自分の間で悩みます。ですので親御さんは子供の発達障害から目をそらさずに「どうやったら苦しくなく生きられるか」を勉強し、一緒に考えてあげるといいです。

・その上で、きちんと褒めて自己肯定感を育ててあげる
=>
障害は個性?現代日本はそんな個性を必要としていないのが現実です。社会の歯車となる「平均的な」人間がほしいのであって「凸凹」した人間は求めていません。ですから発達障害の子供は常に「劣等感」に悩まされるのです。自己肯定感が下がり、鬱などの二次障害にならないように親のサポートが絶対に必要です。

 一つの解決策としてはアウトローでもいいので自分のポジションを確立するようにサポートをすることです。コツコツできるプログラマーでもいいでしょうし、物つくりが得意であればそれもいいでしょう。平均的な人よりも可能性を秘めていると思い込ませることも大事です。

 以上ですが、この記事を発達障害者の一つのケースとして、活用していただければ幸いです。お読みいただきありがとうございました。

[参考記事]
「なぜ6年生になるまで息子の発達障害に気が付かなかったのか」

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