5才(年長児)の息子がアスペルガー症候群の診断を受けて約2年が経ちました。モデルの栗原類さんが発達障害だと告白したり、多くのwebサイトの存在により「アスペルガー症候群」というフレーズが認知されるようになりました。生まれてわずか数年の我が子にこの診断を下されたとき、「やっぱりか」という落とされた感情がありました。
なぜなら、診断のきっかけが父の「自分と似ている」という一言だったからです。研究職に就いていた父は「ごく限られた人間関係」と「狭く深い専門分野の世界」で生きてきました(この2つだけでも父はアスペルガー症候群だと私は思っています)。
父は家庭をもったことで外界との接点ができたものの、
〇こだわりが強く手料理は母が作ったもの以外は一切口をつけない
〇会話の途中でも自分の意識が仕事に向いたら当然のように席を立つ
〇電話の呼び出し音が嫌い(聴覚過敏)
〇旅行はいつも同じ行き先
〇周囲のものが自分の把握しているように設置されていないと愕然とした表情になり迷ったような動作をする。
例えば一番簡単な例がテレビのリモコンの配置です。我が家はカゴにリモコンを入れているのですが、入っていなければまず棒立ちで泣きそうな表情をします。その後に探し始めますが見つけたら自分でカゴに戻します。食事中に私が番組変更をした後、そのままリモコンを手元に置いておくとすぐにカゴに戻します。
また、玄関に置いてある鍵・印鑑も帰宅・起床したら必ず確認します。セットで置いていないと「ない、ない」と言葉で訴えてきます。アスペルガー症候群の人はこのようにマイルールを作り、ここから外れることを嫌がる傾向があります。以上のように父は「風変り」な人です。
父は初孫だった息子を溺愛していましたが、息子が「自分と同じように非常にこだわりが強い点」を見抜いていました。私も母も主人もこの点は薄々気づいていましたが、「このまま何事もなく成長してくれれば、同世代の子供との遊びで集団行動に馴染んでくれるだろう」と心底願っていました。寝返りに始まり、指差し・指追い・おうむ返しなど成長の過程を一つ一つ「これはできた!」とカウントして安心するような日々でした。「ほら発達障害ではなかったでしょ」と自分に思い込ませたかったからです。しかし父からの「自分と似ている」という一言で、気づいていたものの現実を突きつけられました。
幼稚園に入る前に発達障害の診断
幼稚園の未満児保育(3歳未満の保育)に行くたびに、どんなに雨が降っていてもどうしても遊びたいと言い出す遊具があることを担当の先生から聞きました。興味があることには没頭するけれども、興味がないことをするのは苦痛を訴えて泣き叫ぶとのことでした。興味をしめさなければ教室にいることもできないという現状でした。これはアスペルガーの特質である「こだわり」です。
3才児検診では発達障害の疑いを持っていたので担当の方に相談しましたが「現在の成長・発達段階では判断できないので様子をみましょう」
と言われました。
しかし幼稚園の入園に向けてのプレ保育での現状では幼稚園生活は送れないかもしれないと思い、電話で相談と診断を受けたい旨を申し出て、再度かかりつけの小児科へ行き「アスペルガー症候群」の診断を受けました。
息子には以下の性質があります。
※息子の診断名:アスペルガー症候群
*おにぎりは球体にしないと食べない
*漢字に異様な興味を示す(図形として把握しているようです)
*感覚過敏(新しい状況に溶け込みにくい)
*代休が理解できない(ですので、月曜日は必ず幼稚園の前まで行って休みを視覚から分からせます)
*自分の中で生活行動が決まっている(寝る前に日めくりカレンダーをめくる等パターン化されている)
*時計を何度も確認する(数字も好きです)
*対人関係は苦手(気になる相手に対して極端に怯える(おびえる)が、気にしてもらえないと泣いて落ち込む)
*気に入った遊び(文字パズル)は何時間でもしている
*4歳半までは出掛けるときはヘッドホンを用意していました
(新幹線に乗ったとき、ざわざわ感でパニックを起こしたことがあったので)
*その日の予定は極めて正確に覚えている
診断後の不安
我が子がどのように成長していくのか、父のように需要のある専門職に就かなければ自力で生活をすることはできないのか、成長は止まってしまうのかと不安だけの日々でした。しかしながら、何か分からないという不安よりも診断名がついて、やっと我が子の成長のスタート地点に立てた気がしました。
幸い入園した幼稚園が発達障害の子どもに理解があり、補助の年配の先生が毎回熱心に相談に乗ってくれました。朝起きてから幼稚園に行くまでの子どもの様子、また週末の過ごし方をノートに記録にして幼稚園に渡しています。
幼稚園の入園と同時に療育を始める
幼稚園の入園前に療育センターに申込み、入園と同時に週1回療育を始めました。主に対人関係の築き方を指導してもらっています。息子は療育によって自分が訴えたいことを感情のままに爆発させるのではなく、「どうすれば伝わるか」という点を踏まえるようになりました。息子以上に私の方が療育で勉強させていただくことが多くなりました。
周りからは「嫌なことができない」とぐずる様子から「甘えている」と受け取られがちですが、私も療育センターに行く前はそう思っていました。しかし、療育センターの指導のお陰で、普通の「ぐずり」か「発達障害によるぐずり」によるものなのか分かるようになり、精神的に楽になりました。どちらも何かをするときに泣いたり攻撃的になったりする行為ですが、発達障害の特性によるぐずりは息子自身が「把握・予定した行動ではないものである」ときに「受け入れられない」と訴えてきます(未来の想定が苦手な発達障害の特性です)。療育の先生には「この特性は目の前に扉が現れてバタンとしまったような感覚が子供にはある」と教えてもらいました。
例えば親や先生が「こういうことするよ」という見通しを視覚や言葉で示さない限り、自分の予測を超えてしまうのでパニックのようになります。単なるぐずりであれば「やりたくない、気分が乗らない」という拒絶まではいかない低い度合なので、歌を歌ったり、室外へ出て気分の切り替えをすれば取り組むことができます。泣いたり、わめいたりしている状況が同じなので一見違いが分かりにくいのですが、手を握り「こういうことをするよ」と指差しで示したり説明して、予測を立たせれば落ち着くのが「発達障害によるぐずり」だと理解しています。
このように親も子供の将来のために勉強の連続です。
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