この記事は自閉症の娘を持つ60代の親御さんに書いていただいています。
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現在、自閉症の診断を受けている娘の就職活動の話をします。もうすぐ30歳になりますが、中学校時代の進路指導でかなりの苦労をしました。自閉症の人は先を見通すことが苦手なため、進路を決める過程でかなりの困難を経験することが多いと思います。
進路指導で荒れる
今はどうにか二十代の終わりに差し掛かった娘ですが、ここまでくるには様々な事がありました。言葉にも遅れがなく記憶力に優れている娘は、小、中、高ととりあえず公立の普通学級で過ごすことができました。
中学二年の前半くらいまではどうにかそれなりに過ごしてはきましたが、それまでの学校生活を一変させた進路指導がかなりの負担になりました。進路指導が入って来る前は淡々と時間割をこなしていく学校生活でした。ところが、先の見通しを考えることが苦手な娘にとって進路はストレス以外の何物でもなく、ひどく動揺し荒れていました。進学時期特有のそれまでとは違った雰囲気にも耐えられなかったのでしょう。「規則正しい、同じであること」が基準になる娘には、大きな環境の変化はかなりの負担であると推測されます。
この時期から、早起きだった娘は次第に寝坊がちになり、体調を崩して臥せりがちになりました。ストレスが大きい時には頭を壁にぶつけるなどの自傷行為もするようになりました。学校生活を無難に過ごしていくというだけでも非常に神経をすり減らし疲れていた上に、進路というそれ以上の重い課題がいきなり課されたのです。それが自分の思い及ばぬ未来の事である事で娘は混乱に陥り、余計に自分の将来など考えられない状態になっていたのだと思われます。
娘は自分が普通の人達のように振る舞えないことをよく知っていましたし、常日頃からトラブルばかり起こす自分が普通の人達の世の中で暮らしていくなど無理な事だと思っていたようです。ですから、どうしても自分の進む道は福祉作業所や特別支援学校のどちらかとしか考えられずに、何としてでもそちらの方向へと進みたいと主張し続けました。しかし、この時には自閉症の診断も受けていないし、福祉作業所や特別支援学校は現実的ではありませんでした。
それから、娘と口論しながら、普通学級の高校に進学することに決めたのですが、高校の三年間は、非常に荒れ、私にとっても苦しい時期でした。荒れたと言っても根がまじめな娘ですので、いわゆるグレることはなく生活の乱れが主です。そこは私にとって唯一の救いだったのですが、ただ、中学生の頃から出始めた自傷行為が酷くなったのは心配でした。傷は、今でも残っています。
でも、二十六を超える頃からか、娘は徐々に落ち着いて来て、自分でクリニックに通い、自傷と共にうつ気分や睡眠の乱れなどに対するアドバイスをもらいながら、今はスーパーでレジのパートをこなしています。障害者手帳も自分で取得しました。薬はルボックス、ベイラックスなどを飲んでいて、症状がある程度落ち着いている今は経過観察に入っています。薬は副作用がありますので、早く止められれば良いと思っているのですが、そこだけが心配です。
まとめ
私が特に発達障害の子供達に対して思うのは本当に大変な時には「人に助けてもらえる」ということを信じられるように育って欲しいという事です。「自閉症の娘の成長を親の私が奪ってしまいました(実例)」の記事で書きましたが、私は引っ越し先の地域に馴染めず、娘の発達の機会を奪ってしまいました。大事な時期に療育も受けさせることができなかったばかりか、私自身、家に引きこもっていたため、彼女が人と関わる機会は私しかいませんでした。そのコミュニケーションのスキル不足が高校時代の辛い自傷行為に繋がっているのではないかと感じています。人との関わりを小さいころから学習していれば「辛いので助けて」と言えたかもしれません。それだけが今でも後悔していることです。
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