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自閉症の娘の成長を親の私が奪ってしまいました(実例)

 

 この記事は自閉症の娘を持つ60代の親御さんに書いていただいています。
…………….

 娘は、生まれた時から人の目を見ない子(目を合わさない)でした(親に対しても)。ただ、目の前でハンカチを振ると、生まれてまだ数ヶ月も経っていないのに声を立てて笑いました。娘が笑うのが嬉しくて、ベビー布団に寝ている娘の前で、何度もハンカチを振り、声をかけた事を思い出します。

 娘の様子を後で考えれば他の子達と違っていた事が分かるのですが、子育て経験のない当時の私にとって娘の反応の全ては自然な事でしたので、公の健診で違いを指摘されるまで、私は娘の発達に何の心配もしていませんでした。

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健診での指摘

 そんな日々の中、一歳半の健診がやって来ました。娘は保健師さんに声をかけられても反応せず、椅子に座らせても絵本を見ず、逃げ出そうとして怒ります。目線が合わない事を「いつもそうですか」と問われて私は不思議に思いました。なぜなら、私自身、目線を合わせるという事を常日頃から意識していなかったからです(恥ずかしながら指摘されて初めて変なんだと分かった次第です)。

 その日は健診後に残って、私達と同じく待機していた人達と共に、発達の専門家に様子を見てもらうことになりました。しかし、全く知らない広い部屋に通された娘は驚いたらしく、いつものようにうろつきもせず、部屋の長いカーテンの裏に隠れて怯えた様子を見せていました。そのため係の方も判断がつけづらく困ったようですが、とりあえずという事で、その地域に設けられた発達相談室を紹介されその日は帰って来ました。

自閉症の疑い

 後日、発達相談室を訪ねたところ、月に二回のグループ指導を受けることになりました。まだ年齢が低いこともあり、これから成長が追い付く可能性があるという事でしたので、そこでは自閉症などの言葉に触れることはまだありませんでした。しかし、諸々の事情を考慮し入れて頂いた障害児保育所の図書室で私は初めて自閉症という言葉を目にしました。正に、娘の行動に一致していました。
例えば
〇早期に一度発語したにも関わらず、すぐに発語しなくなり、後に再び喋り出す
〇こだわりが強く同じパターンを繰り返す
〇感情的な交流があまり無い
〇思い通りにいかないと激高する(パニックのようなもの)
〇自分の痛みや困りごとなどがあっても人に伝えようとしない(他者という存在が身近でないような印象)
などの娘の様子を本の記述に照らし合わせて、やはり自閉症なのではないかと思いました。娘は、きっとそうなのだと診断する前から私は確信していました。

 近くの大学病院で娘を診察して頂きましたが、年少という事、そして頭部レントゲンの画像でも今のところ大きな問題は無いと判断され、診断名は付きませんでした。ただ、頭蓋内に靄(もや)のかかったような不鮮明な部分があることから、その辺りが影響しているのではとの見解が付されました。経過観察という事で、三年ほどこちらで診察を受けました。主に経過観察でしたので、マーブルチョコなどを出し、対話形式で娘の認識(数や物の名前など)を確かめたり、私が日常でのアドバイスを受けたり、娘の家での様子を話したり、というだけでした。マーブルチョコ目当てで、娘は喜んで診察を受けていたのを懐かしく思います。

 先生に頂いたお言葉は、
『このペースで育って行くなら、小学校を卒業する頃には大方普通のお子さんに追いついているでしょう』
でした。

 就学前に転居しなければいけない事情を話したら、
「遠い所から無理して通うほどの経過観察は必要ない。後は、環境によってはある程度自分で育って行ける」
という事でそこでの治療は終了になりました。

 しかし、転居先の新しい土地に私の方が馴染めず、専門機関とのつながりもそこで途絶えてしまったことで、普通の子達の成長に追い付くのは難しくなってしまったようです。私自身が人間不信に陥ってしまっていたので、外に出ていくのが内心怖くもあり、また誰に話しても無駄だとの諦めもあり、とても誰かに助けを求めることなどできませんでした。

 でも、娘が必要としていたのは、明らかに「人と人とのつながりの中で物事やコミュニケーションを学んでいく」ことでした。私は彼女に必要な学びの場を提供することができず、結果、彼女は成長できる機会を私に奪われた形になってしまった、と私は考えています。事実、学校時代の娘の友人関係は本当に苦労の連続でしたし、そういう人間関係への上手な対処の仕方も、私は教えてあげることができませんでした。全て、親である私の責任です。

 それでもどうにか持ち堪えてくれたのは、保育所での指導のおかげかと思います。保育現場で行われたお遊戯で、娘は目一杯遊んで頂き、先生や関わってくださった方々と共に笑い、また様々な感情を直接交わすことで、人に対する信頼を獲得していきました。つくづく感謝しております。

自閉症と診断されたのは18才の時

 訪ねた児童相談所で、娘は18の時にやっと高機能自閉症の診断を受けました。高校を出て、30歳近くなった最近では自分で障害者手帳も取り、今は親元からパート勤めに出て、好きなものを買って食べたり、時折趣味に没頭したり、たまにお出かけしたりしています。親の私としては、このまま緩やかに成長を続け、少しでも楽しく毎日を過ごして行ってほしいところです。

続きは「私の自閉症の娘は中学の進学指導で荒れました(実例)」

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