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発達障害の二次障害により休職していたが、思い切ってフランスへ

 

この記事は発達障害の50代の男性に書いていただきました。少し変わった文章ですが、なかなか面白いです。彼は発達障害の二次障害により県庁を休職していましたが、その後に奮起してフランスに一人渡航を決めたことは勇気がある行動だと思います。
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1.印象派との出会い

 私は描くのが幼稚園の頃から大好きで、中学に進学する頃には似顔絵をはじめに、遠近法やデッサン方法まで覚えていきました。しかし、中学の美術教師から人物は8頭身に描くように強制されて『なぜ、見えるように描いてはいけないのだろうか』と私は疑念を抱いて苦しんでいました。

 そうして悩んでいた時に出会った絵が、テレビで放映されていたモネの水蓮でした。モネの絵画は、光学的に正確な描写ではありませんし、ダビンチのように生真面目な輪郭はありません。しかし、その淡く揺らいだ色彩が醸し出すイメージは、私の無意識をくすぐりました。「自分が描きたいように描く」。この当たり前だけれども忘れがちな行動原理を、モネを知ることで再発見し、私は美術教師から受けたトラウマから解放されたのです。

 また、今までの経験で、絵画は現物を観て初めて理解できると考えていたこともあり、いつかフランスへ行ってモネの作品を観たいと思っていました。

2.フランスへ旅立つ

 そうした想いを秘めながら、社会人となり10年程経った頃でした。発達障害の二次障害から鬱(うつ)を度々発症して病気休職を取っていた頃、ある本をきっかけにバレエにも魅入られて、その最高峰でもあるフランスへの憧れは、ますます強くなっていきました。

 復職後、二次障害の鬱も安定してきたこともあり、フランスへの熱い想いは頂点に達して「フランスへ行くのは今しかない!」と 思い込んで、ボーナス全部を旅行会社に納めて、フランスへ旅立つことにしました。機内では窓側の席だったので、外の様子がよく見えました。眼下には広大な砂漠が何処までも続いていて、日本の風景とは全く違っていました。今更ながら、世界の広さを実感しました。

3.フランスでの失敗談

 フランス旅行中の私の頭の中には、ルーブル美術館とパリオペラ座しかありませんでした。パリでの移動は地下鉄が一番便利で、私もそれを使っていました。そして、たまたま最寄り駅近くに凱旋門があったので、寄り道することにしました。凱旋門の中を登って屋上に出た時に、私と同い年ぐらいの日本人女性と出会い、話す機会がありました。私は単純に地下鉄で移動した方が合理的だと思っていたので、凱旋門から続く道を散策したいと言っていたその人に、「地下鉄で移動した方が良い」と強く言ってしまいました。その方は、少し怪訝な表情をして別れました。なぜ、その方は怪訝な表情をしたのだろうという疑念を持ったまま、私はルーブル美術館へと向かいました。

 そうしてルーブル美術館を見学していたとき、ふとシャンゼリゼ通りの事を思い出し、ああ、その方はシャンゼリゼ通りを散策したかったんだと言うことが分かり、私は恥ずかしくなりました。人の表情の情報量は膨大です。ですが、発達障害を背負っていても、相手の喜怒哀楽程度は読み取れるはずです。現に発達障害の私も凱旋門で会った日本人女性の怪訝な表情は分かりました。自閉症スペクトラムの人は他人の表情から何かを読み取るのが苦手で、障害のない一般の人の思考ルーチンが分かりません。『表情』が結果であれば、原因は『心』にあります。時間はかかりますが、その間を何度もトレースするように類推すれば、相手の考えを垣間見ることは出来ます。

4.発達障害者だって値切ることは出来る

 パリの蚤の市は世界的に有名で、映画「シャレード」にも出てきます。開催される場所も十か所以上あります。たまたま、私が宿泊していたホテルの近くにも蚤の市があったので、骨董が好きな私は朝からそこへ出かけました。中古カメラが大好きな私は、フランス製のカメラを手に入れようと考えていました。パリの蚤の市は大規模です。

 私が出向いた蚤の市も、拡幅6m以上の道の両側に露店が並び、それらが何処までも続いていました。ヨーロッパでカメラといえばドイツであり、フランス製のカメラは数える程しかありません。当然、獲物は見つからずに、20分ほど彷徨っていました。購入を諦めかけたその時、キラッと輝く物が目に入りました。近寄ってみると、そこには金属製の蛇腹式カメラがあるのを見つけました。それは「ガルス」という中判カメラで、赤瀬川源平さんの本で紹介されていた物でした。

 スペックは低く、扱いにくいカメラですが、銀色に輝く筐体の存在感は抜群でした。先述したように、フランスでは英語は通じないので、持っていた電卓を取り出して、身振り手振りでこのカメラは幾らかを入力するように伝えました。買い物では言葉は通じなくても行動で示したところ店主もその意を理解して金額を入力し、私に見せてくれました。その金額は日本円で15,000円程度でしたが、フランス製カメラの市場価値は二束三文なので、私は8,000円と電卓に入力してふっかけました。店主は、その金額は安すぎるとジェスチャーし、再度電卓に金額を入力してきました。そんなやり取りを3回ほどして、提示された金額が12,000円程度になったので、私も了承して、ガルスを購入することが出来ました。

 この体験から、数字のように感情に左右されない物を用いる場合は、発達障害を抱えていても、言葉は通じなくても、円滑なコミュニケーションをとることが出来るのだと自信を持ちました。

5.才能と幸福の関係

 日本では考えられませんが、ルーブル美術館の周りには、有名な美術館が幾つもあります。例えれば、甲子園球場と東京ドームが隣接しているみたいなものです。その中でもオルセー美術館は、印象派の作品を多く所蔵していたので、私も足を運びました。

 「1.印象派との出会い」で書きましたが、モネの作品を見るためにフランスに来たので、とうとうご対面です。数多の印象派の作品が展示されていましたが、私の目を釘付けにしたのが、モネの「死の床のカミーユ」という作品でした。32歳で夭折した妻の亡骸を描い作品です。遠くから眺めると、藍色と白色の絵具を用いて静寂に溢れた絵画に見えます。しかし、作品に近寄って眺めると、鋭く荒いタッチで描かれていて、中にはキャンパス地が見えている所もありました。

 もし私が、肉親の亡骸を目の当たりにすれば、冷静を保てず、絵を描くなんて出来ません。しかしモネは、妻の亡骸を見たままに描いたのです。モネは天才です。それは誰もが認めるでしょう。でも、妻の死ですら作品にしてしまう才能は、モネを幸福にしたのかどうかは分かりません。モネの異常なまでの好奇心は発達障害ゆえの性質なのかなとふと思いました。そんな感慨を抱きながら、私は帰国しました。

6.挑戦することの大切さ

 今まで述べてきたように、私は沢山の失敗をして、そこから様々なことを学びました。それは恥ずかしい事ばかりですし、自慢できる事でもありません。しかし、発達障害を持ち、さらに二次障害のうつで苦しみながらも、何とか生き延びてこられたのも、興味のあることに挑戦してきたからです。

 発達障害を抱えておられる方も、障害を理由に閉じこもれば可能性は消滅します。しかし障害を把握し、世界に飛び込めば、何かしら視野は広がっていきます。だからこそ、私は理想を掲げ、失敗にめげず、挑戦し続けていきたいと考えています。モネの好奇心は普通の人の意識では考えられません。彼が発達障害かどうかは分かりませんが、何か普通の人とは違う性質を感じます。

[参考記事]
「発達障害の二次障害からうつ病になり県庁を退職」

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