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発達障害の二次障害により言葉が出なくなった少年の治療の症例

児童精神疾患の治療に携わっていた男性看護師に書いていただきました。

………

 「発達障害」という言葉を聞いたことはありませんか?「障害」と聞くと誰しもが、身体か精神の障害と捉えるかと思われます。しかし、「発達障害」を個人の性格や個性と捉えることもあります。普通と思っている身近な人でも、実は「発達障害」だったという例は数多くあるのではないでしょうか?著名人で実例を上げると、アインシュタインやエジソン等、発明家や芸術家、それ以外の分野にも数多くいることが分かります。

 もちろん、発達障害者全員が全員エジソンになれるわけではなく、それどころかマイナス面の方が大きくなってしまうことの方が多いのが現実です。「発達障害」の問題は生活していくのに当たって弱点となる部分に、多大なストレスがかかることにより生じる二次障害であり、社会で生活していくのが困難になってしまいます。

 そんな「発達障害」の二次障害を抱える子ども達を治療する現場から、一事例あげて、お話ししていきたいと思います。

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言葉を失ってしまった少年

 ある日、中学生の少年(仮名B)が入院してきました。彼は、「緘黙(かんもく)」という障害を発症してしまい、その治療を行うために入院を決意してきました。

 この「緘黙」という障害は、一切の言葉を発することができなくなってしまう障害です。発症の原因として、Bは「発達障害」を抱えていること、そしてIQ70(WISKーⅣ知能検査)程であり、普通学級で適応できるかどうかの微妙なラインにいる(グレーゾーン)理解力でした。

 元々大人しく、真面目で物静かな性格であり、友人も多く、よくニコニコ笑っていたそうです。そんなBでしたが、ある日を境に、一切の言葉を発することができなくなってしまったのです。

Bの生活してきた環境

 Bは地方で育ち、保護者がとても裕福で、大家族の中で生活していました。地方のため、クラスメートも指折り数えるくらいの人数であり、そのためか仲間をとても大切に思うクラスメートしかおらず、全員が友達だったそうです。

 Bは自分でも「友達と違って頭が悪い」と感じていたようで、小学校に入学してからずっと、スクールカウンセラーに「発達障害」に関する相談を保護者と共に受け続けてきました。クラスメートや教師もその点をよく理解し、支え続けてもらったため、普通学級になんとか適応しつつ生活してきました。

 しかし、中学生になると高校受験の壁が立ち塞がりました。普通学級の勉強について行けず、「なんで自分はこんなにできないんだろう」と一人、悩み苦しんでいたそうです。友人達や教師、保護者も「自分のペースでいい」等と支えてきましたが、勉強ができない、分からないという孤独な悩み苦しみから、元々あった「物静かな」性格が災いし、言葉を発することができなくなってしまったのです。

 言葉がでなくなって一番最初に驚いたのはB自身だったそうです。言葉を発することができなくなったことを筆談で保護者にまず相談し、そこから友達や教師も含めて相談するようになりました。B以外の誰しもが「元々が物静かだし、支えていけばまた話せるようになるのでは」という意識を持ち、これまでと同様に支えていったのですが、その支えすら災いしてしまったのです。

 Bの心の中は「支えられてばかりの自分が情けなくて、悲しくて」という思いでいっぱいになり、そんな思いが、さらに言葉を発することを妨げ、ついには筆談すらできなくなり、スクールカウンセラーを通じ、紹介され、受診、入院となりました。

Bの入院生活

 Bにとっては始めての入院であり、しかも地方からやってきて、帰るのにも数時間の道のりがある環境に置かれました。最初は、どうやって生活すればいいのか分からず、筆談を勧めてもうまく字を書くことができず、ただただ涙をこぼすだけでした。

 そんなBへ、他の入院生活を送っている子ども達は気さくに声をかけ、食事の時間などが分からないで困っているような素振りを見せるたびに説明し、返答がなくてもまるで気にしませんでした。

 病院に併設されている分校(養護学級に当たる)の教師も挨拶に来て、言葉が発せないことに、特に違和感を覚えるような振る舞いも見せずにおり、B自身の中で「自分は言葉を発せないことを治しに来たんだ」と気持ちが固まります。

 すると、少しずつ筆談できるようになり、ある日「声だせそう」と紙に書いて職員に見せにきました。職員が「声がだせそうな感じがするの?」と声をかけると、『あ・・・あの、・・・こ・え』『で・・・た!』と話し、とても喜んで、いい笑顔を見てくれました。

 それからの回復は早く、日々単語が増えてきました。声が出るようになり、分校への登校が始まりました。それとともに、今までに行なったことのない検査も少しずつ始まりました。

入院生活で見えてきた、Bの見えない緊張と恐怖

 検査が始まると、『こ・・・、これ・・・・、もう・・・・む・・り・・!』と極端な恐怖感と、言葉の発音が悪くなる姿が見られました。心理検査も途中で言葉が出なくなり、何度かに分けて行われることになりました。

 そこで、Bも含め、全員が「Bは自分が経験したことのないことを行う際に、極端に緊張し、恐怖感を覚える」ことが分かりました。そこで事前に行う検査等の課題内容をある程度、言葉と一緒に、絵で描いたり、身振り手振りで伝えていくことで、見えない課題に対する緊張と恐怖感を緩和できるよう関わっていくことになりました。

 また、不安緊張恐怖をコントロールできるように内服治療も始めたところ、課題に対する極端な緊張と恐怖感が次第に薄れてきて、言葉を取り戻し、グループワーク等の話し合いの環境にも入っていけるようになりました。

退院

 外泊治療にて、地元の友人や教師と会い、今後の話し合いを保護者と共に繰り返し、元の中学校に戻ることになりました。普通学級でも、Bに合わせた環境を整えることができたのです。

 外泊から戻ってくると友達からもらった応援メッセージや保護者の様子を嬉しそうに伝えてくれ、『自分は地元の高校に友達と行きたいんだ』という意志表示も言葉で言い、退院の運びとなりました。

 「元々、物静かな少年」の性格はそのままに、でもハキハキと力強く話してくれたBの姿に、職員達は、入院当初よりも一回り大きくなった、成長したと感じたことを振り返っています。

[参考記事]
「娘が発達障害と似ている場面緘黙症になるまでの経緯」

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