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発達障害に無理解な学校。普通学級で学ぶ条件は薬を服用する誓約書

この記事は前田穂花さんに書いていただきました。

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「発達の歪み」が大きかった私の少女時代

 身体、(軽度)知的、そして発達障害を主な事由とする精神障害を抱える前田穂花です。

 身体の障害以上に私を悩ませ続けているのは、自閉的傾向が強い性質や自身の判断ではうまく生きられない広汎的な発達の遅れと歪みです。

 「発達の歪み」という言葉の通り、私は幼少期からできることと苦手なことの落差が大きかったです。「できること」については一般の方よりも能力的に優れ、しかも好きこそものの上手なれというやつか、異様なまでの集中力を発揮します。

 しかし、それらが裏目に出て「できないこと」にうまく取り組めない私は「不真面目だ」「サボっているんだろう」「ちゃんとやれよ」と常に大人に言われて成長しました。

 子どもの時から記憶力だけはずば抜けていた私は、持って生まれた暗記能力を駆使し、学業の成績だけは障害を感じさせないほど優秀でしたが、なぜかそれ以外のことはからっきしダメでした。

 「障害」とは当人が努力しても補えない不具合…だと、ある偉い研究者が定義しているトピックをネットの記事で読んだことがあります。

 できないことに対しては、私も意識して改善を図ろうという努力は常に怠ってはいないつもりなのですが、やはり前出の言葉の通り、幾らがんばってもクリアできない課題はあり、それが一つふたつ程度のレベルではないから「発達障害」とされるのかも知れません。

発達障害に対する知識も理解もなかった私の少女時代

 当時は今以上に発達障害に対する社会の理解もなければ、親や先生をはじめとする障害に対する知識も希薄でした。

 私は今の診断基準であれば充分「発達障害」の診断名に相当する状況でありながら、他者と上手く関わり合えないにせよ、当たり前に学校にも通い、うまく言葉によるコミュニケーションが図れていないにせよ、最低限の会話を交わし、喋ることはどうにか可能でした。

 そんな私に対し「都合よく“自閉症”のフリをするな」などと暴言を吐く大人は少なくはなかったのです。

 当時はまた、現在とは違い親はもちろん、教育者であっても体罰は「愛のムチ」として容認されていました。発達障害のためにきちんと受け答えができない私は、しばしば教師から体罰を受ける場面もありました。

 中学生の時には態度が不真面目だという理由で、私は体格のいい男性教師から思い切りビンタを張られ、クラスメイト全員の前で体重が40キロに満たなかった十四歳の少女は勢いで廊下まで飛んでいきました。それ以来私は不登校の状態に陥り、そのまま中学校を卒業しました。

小学校時代の記憶。先生からのイジメ

 私は小学校高学年から、今でいう特別支援学校の先生に与えられる「特殊教育教諭免許」を有した先生のサポートのもと、普通学級に学んでいました。障害児の療育をご専門に学んでいるサポートの先生の指示は理解できても、クラス担任の先生のいうことは、授業の内容以外殆んど私には理解できませんでした。

 私が小学生だった昭和50年代前半は、戦後に青春時代を送った人たちがどんどん結婚し子どもを産んだ背景もあり、その流れでもっとも児童数が多かった頃です。

 運動場を潰して間に合わせに建てたプレハブ校舎に、所狭しと子どもが溢れているなか、一クラス50人編成の学級編成において、当時の児童に一番求められたものは集団行動が迅速にとれる能力でした(今も同じだと思いますが)。

 集団に交わること自体苦手で、みんなと同じことが同じようにできない私はいつもクラスのお荷物でしかありませんでした。

 中途半端に勉強だけはできる私なので、余計に反感を買ってしまうらしく、その頃三十代前半の女の担任の先生は「生きていても仕方ないゴミ」だと私を事ある毎になじりました(この先生も発達障害だったかもしれません)。

 先生の怒りの理由は理解できなくても、ものすごい剣幕でぎゃんぎゃんヒステリックに喚く先生の声色に、私は怯えてギャン泣きしてばかりいました。

 間にサポートの先生が入ってどうにか場を取り繕おうとされるのですが、ベテラン教員とはいえ退職後の再任用職員でしかない立場のサポートの先生に、正直、正規の担任の先生の暴言を止めさせる力なんてありませんでした。

 やがて「クラスの輪を乱す」という理由で、私は学級会の時間と給食の時間は廊下に出されるようになりました。他の同級生は机同士をくっつけてテーブルクロスをかけた上で給食を食べるのですが、いっぽう私はコンクリートが打ちっぱなしの廊下に正座させられ、ひとりで食事を摂るのです。

 他のクラスの担任の先生が見かねて、私の学級担任に声掛けをされても「私は担任としてこの子に必要な躾を施しているのです。本当に両親もいないような子は最悪」などと、複雑な家庭に生まれ育っている事実を私の欠点のように言い続けていました。

同級生からもイジメられる

 発達障害による強いこだわりから来る偏食に対しては、それでも意識して克服しようと自発的に私は努力し続けていました。しかし、それとは別に私は生まれながらにして激しいアレルギーがあり、それで食べられないものも多く存在しました。

 「アレルギー反応を起こすことすら我儘だ、ひ弱な根性のない子どもだ。」そう先生から言われまくった私は小学校を卒業するまでずっと、自分自身ではどうしようもできない問題でつらい想いをし続けました。

 先生がそういう対応をされる以上、子どもも同じように真似をします。私は同級生にまで「ゴミは死ね」「クズ」「ひ弱な現代っ子」…学級担任の口癖をそのままぶつけられまくり、大人の見ていない場所で殴られ蹴られ、ものを隠され…一度は同級生の女子児童にハサミで髪の毛を切られたことまであります。

 本来ならそういう事柄一つひとつに対し、もっと怒ってもよかったのかも知れません。いや、怒るべきだったのでしょう。ただ、毎日毎日「お前はダメだ、死んだほうがマシだ」と言われ続けると、怒りの感情すら鈍麻して、ただこの場をどうにか逃れられればいい、やり過ごせればそれでいいと思うだけになってしまうものです。

 私はいつしか「抜毛症」という心の病気になってしまいました。自分の髪の毛を自らの手で引き抜き、痛みを感じることで生きている実感をようやく得られるのです。時には勢いに任せて髪の毛を抜き、出血してしまうくらいに私はボロボロでした。

 併せて、その頃からいつも死にたいと思うようになりました。死ねれば何もかも終わるんだ、夜眠るたびにそう思うことでしか心の平安を得られません。そしてそれは、もうすぐ五十歳を迎える今もずっと私の心の奥深い場所に潜んでいて、世の中のみんなはどうしてあんなに楽しそうなんだろうと疑問にすら思う私がいます。

教育現場での問題の本質は見え難くなっただけ?

 教育現場での人権感覚は昔に比べずっと改善され、表向きは児童・生徒に対する体罰や暴言がぐっと減ったと聞きます。ただ、それが見た目だけの問題解決に留まっていないことを切に望みます。

 むしろ、見た目の体罰や不適当な言動が減った分、問題の本質が逆に見えなくなってしまった…みたいなことが学びの場で起きていなければいいのですが。

 発達障害の存在が知られるようになったことによる新たな問題も起こっています。

 私のように知的な遅れが少ない発達障害児の場合、普通学級で学ぶケースも多いことでしょう。ただ、そのためには学校側から児童精神科への通院と衝動を抑える薬を服薬することを保護者に誓約させるケースもあると聞きます。

 かつて自身の通院していた大人の発達障害を治療するクリニックで、私が出会ったあるお母さんはこうおっしゃっていました。

「子ども(当時小2)に多動や注意不振の症状が現れ始めたため、息子が通っている小学校から「普通学級に在籍し続ける条件」として児童精神科への定期的通院と治療薬の服用を求められました。」

 学校からの指示にやむなく保護者として誓約書に署名捺印し、ADHDの治療薬を我が子に服用させ始めたところ、幼い息子は悪心や発熱、食欲不振などの副作用をおもむろに呈し、それまでの半分もごはんを食べてくれなくなった…と泣いていました。

 発達障害の存在が世に正しく知られることは意義深く、早い段階での療育スタートが障害児の健全な発達を促してくれるのであれば、それに尽きることはありません。

 しかし、その裏で…闇雲に診断名だけが独り歩きをし、このように子どもの「障害」に泣くお母さんやお父さんが増えることも。

 障害児を抱えた絶望感やハンディキャップを抱える子を育てることに対する社会の無理解、周囲からの無理解や批判からくる孤独感に親自身が苛まれた結果、子どもが親に虐待されて…みたいな展開にならないことを、当事者のひとりとして祈らずにはいられません。

発達障害児を守るために

 今になって鑑みれば大人から見た子ども時代の私は単純に病弱で、難治性てんかんはじめアレルギーやらアトピー、気管支喘息などの持病があって育てにくい要素がいっぱいだった上、表情も少なく言葉の表出もなく(遅く)、何をやらせても要領よくこなせないなど「子どもらしい健康さ」に欠けていました。だからこそ養育者(養子縁組の両親)としてもそれほどの愛着が抱けなかったのだと思います。

 ただし、それを理由に常に疎外感ばかりを味わうことになってしまった私は、これまで「本質的な生き難さ」しか学習しては来れませんでした。

 もしかしたら、愛していた我が子に「発達障害」という診断が下された親御さんもまた、絶望と孤独、そして周囲の人間関係や社会からの疎外感を備に味あわされていらっしゃるかもしれません。

 そういう意味からも発達障害を持つ子どもさんを虐待などの不当な扱いや不適切な成育環境から守るには、もっと親御さんに対するケアも必要なのではないかと私は思います。

後日談

 前出のお母さんは子どもの発達障害が発覚後、子どもの父親とは離婚。障害のある息子は実両親に預けっぱなしにしたまま、彼女は現実逃避。その後、他の男性と暮らし始めた…というところまでは母親ご本人の口から訊きました。

 彼女曰く「もう堪えきれなかった、とにかく現実から逃げたかった」と。とても無責任な発言にも映りますが、この母親に対し、いったい何人の人間が批判できるでしょうか。許容性の低いこの日本社会において、障害児を育てることに対しては、未来の展望が不確かであり、両親ともに救われない気持ちに陥る現実があるのです。この辺りのことは本当に切なくて、とても綺麗事だけでは語れないのです。

 いうまでもなく、一番気の毒なのは父親にも母親にも「棄てられた」子どもさん(私のような)であることは間違いないでしょう。もう今から10年以上前の話になりますが、元気であれば成人を迎える日も近くなった彼(前出のお母さんは子ども)が、多少なりとも生まれてきて幸せだと思える環境にあるようにと…遠くから祈るしか、私にはできないことが本当に悲しくて苦しいです。

[参考記事]
「発達障害児の進路選択は小学校から始まる。高校進学に影響する訳とは?」

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