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発達障害の息子の自己肯定感が上がったきっかけは告知

この記事は40代の女性に書いていただきました。

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 私には現在小4と小1の息子が2人います。小4の長男が発達障害です。高機能自閉症、ADHD、学習障害のトリプルなので、長男本人の生きづらさは「理解している」という言葉ではフォローできないくらい、いろいろ大変な事だと思います。

 見た目は他の子と変わらないのですが、言動や行動で明らかに少し違うと感じる所があります。

 そんな長男が、今年、ふと私に向かって言いました。

「僕は発達障害で良かった」

 その言葉にこめられた思いをお話ししたいと思います。

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幼少期のころ

 長男は幼少期の頃からこだわりが強く、朝は起きた瞬間から同じ形のブロックをひたすらつなげ続けたり、この道はどうしても通れないと土手に座り込んで泣き出したり、納得がいくまでハサミで丸の形を切り続けたり。

 明らかに普通ではない兆候がたくさんありましたが、子供なんて、男の子なんてこんなもの、と言われる周りからの言葉に半信半疑をいだきながら、でも全くコミュニケーションが取れない長男に不安を感じながら過ごしていました。

 私の言う事は長男には伝わらず、ワガママにしか見えなかった私はストレスがたまっていき、次男が生まれた後は長男に当たるようになってしまいました。そこで子育て支援センターで相談をしたことがきっかけで、長男の発達障害はわかりました。長男、年少の冬でした。

幼稚園・学校生活

 私は2年保育派でしたので、幼稚園には年中から入れました。最初の幼稚園では、担任の先生が発達障害にとても理解のある先生で、長男の事をとても理解してくれたおかげで初めての園生活は順調でした。

 しかし、年長になる春休み、隣町に引っ越しをし、転園する事になったのですが、転園先の担任の先生は発達障害に関して全く理解のない先生で、親子ともとても大変な思いをしました。

 ただでさえ、環境の変化は長男にとっては大変な事なのに、担任がみんなと同じように出来ると思い込んで、出来ない長男を責め、怒りました。そして、イベントを開催するという連絡はギリギリになってからで、慌てて家で対応するような生活でした。イベント系の催し物が苦手な発達障害児は多いですが、こういうことも知らないようでした。

 卒園式間近の頃、抽象的な言葉(ちゃんとして等)でしか伝えない担任の先生に、長男は心からイヤになったのでしょう。「幼稚園に行くくらいなら、僕は死にたい。」と泣きながら言い、子供の言葉なのに聞き流せない真剣な訴えに、私も涙が止まりませんでした。理解してもらえないという事がこんなにも悲しく、切なく、涙が止まりませんでした。

 自分の事ならまだ我慢できたでしょう。しかし、理解されない長男の苦しみは、自分の事以上にきつかったです。心をえぐり取られるような思いでした。

本人への告知

 小学校に入学し、1・2・4年は理解のある担任に恵まれ、悪戦苦闘しながらも学校側と連携し、通級や療育をうまく使い、現在折り合いをつけながらなんとか生活出来ています。

 理解のある担任に恵まれた1・2年生でしたが、学校という所は、発達障害児にとっては「出来ない事を浮き彫りにする」ようなものです。

 同年代の中で机を並べて勉強生活をしていると、「みんなは出来るのに、僕は出来ない。」と思ったり、感じたりする事が多くなったようで、「みんなは教科書が読めるのに、僕は読めない」「みんなは書けるのに、僕は書けない。」というような事を家で話すようになりました。

 その都度、私は、「出来ないのではないんだよ。みんなとはやり方が少し違うだけ。」と話し、対処方法を一緒に考え、クリアしてきましたが、長男の自己肯定感はどんどんなくなり、笑顔も少なくなり、「どうせ僕は出来ない。」という思いで長男の心は埋め尽くされていきました。

 2年生の夏休みも終わる頃、口癖のようになっていた「どうせ僕は出来ない。」に区切りをつけようと、長男に告知することを決めました。

○発達障害であること

○出来ないのはあなたのせいではないこと

○神経のつながり方が人と少し違うから、同じやり方ではわからないこと

○同年代と比べてつながり過ぎている神経があるため、逆につながりが遅れている神経があること

 簡単ではありますが、長男の納得がいくよう、分かりやすく話したつもりです。この話を聞いた長男は、「なんだ。僕のせいじゃなかったのか。」と、どこか意味不明だった事がスッとわかったような、スッキリとした表情をしたのを今でも覚えています。

 ソファーにうなだれるようにもたれかかり、下を向いていた長男が、何かが吹っ切れたように外に遊びに行ったのは、今までのやりきれない気持ちを洗い流すためだったのかもしれません。

自己肯定感が上がっていく

 それからの長男は、何でもやってみようという方向へ変わっていきました。自分のせいではない。誰のせいでもない。「発達障害である自分」を受け入れたのだと思いました。

 笑顔も増え、もう「どうせ僕は出来ない。」という言葉は言わなくなりました。代わりに、「僕にはみんなにはない才能がある。」というようになりました。

 長男は記憶力がとても素晴らしく、行った場所の場面を写真を撮ったように詳細に覚えている事、計算能力に長けている事、目に映る画像の隅々まで一瞬で把握している事、方向感覚に優れている事等、周りの大人がビックリするような能力を持っています。

 長男のその才能は、学校生活では計算以外はなかなか目に見えた形では現れませんが、折に触れ長男の優れた能力を誉め、気づかせてきました。

 ですが、発達検査でいう「出来るところ」と「出来ないところ」の差が大きいので、学校にいる事自体、ものすごく疲れるようです。ですので長男や担任の先生とよく話し合い、次のような配慮をいただいています。

○宿題のやり方を変える
 ドリルからノートへ写すことは一番疲れる事のようです。なので、どうしても辛い時は問題を私が代筆して、長男は答えを書くだけにしたり、漢字の練習は、プリントに薄い字で印刷した漢字をなぞるだけにしてもらっています。

○音読は1文でも可
 読字障害のため、文章を読むことは困難です。ですので、音読は私が代わりに代読するか、1文でも読めば良い事にしています。

○交渉は親がする
 言いたい事があっても言えない、どうしても言えない、言葉が出ない、そんな時は私が代わりに担任やお友達と話します。

 出来ない事を今無理にやらせる事よりも、代わりに通訳や仲介者を使い、コミュニケーションが取れるようにしています。

○疲れたら学校を休む
 どうしても学校に行けない日がたまにあります。そんな時は担任に正直に話し、休みます。そして気分転換に出かけます。リフレッシュ休暇のようなものです。1日休むことで、次の日からはまた学校に行こうという気持ちになるようです。

将来の夢を語る

 過去の長男に、未来の話は存在しませんでした。見通しがたたないため、今この瞬間しかなく、未来の話にならなかったのです。しかし、学校と連携し、配慮をいただく事で学校生活も4年目を迎えた今、長男は将来の事を語るようになりました。

 そんな話をしながら、私に向かってこういうのです。

「ぼくは発達障害で良かった。だって、僕には才能があるし、宿題は減らしてもらえるし、書けない時はお母さんが代わりに書いてくれるし、疲れて動けない時は休んでもいいって言われるし。これが普通の子のお母さんだったら、絶対に自分でやりなさいとか、学校に行きなさいって言われるでしょ。。」

と、純粋な笑顔で話してくれました(本当はものすごく大変だと思います)。

 わからない事やうまくいかない事ばかりを要求される学校生活の中で、自身のイヤな方へ目を向けず、発達障害であることに恨み言一つ言わず、良かったと思ってくれている事、今まで逃げずに向き合ってきた私にとって、何よりもうれしい事でした。

 私の心が折れそうになっても、わが子とあっては諦めきれずに出来る最大限の事をやってきましたが、そこに不安がないかといえば嘘になります。その不安を拭い去り、長男と共に行なってきた事、そこに後悔はありません。

 そうは言ってもまだ小4です。これから反抗期や進学、思春期など乗り越えていかなければいけない事はまだまだ山積みでしょう。しかし、私たちはきっと超えていきます。私も長男が発達障害で良かった、と心から思っています。人生の大切な事に、たくさん気づかせてくれますから。

[参考記事]
「イベントで発達障害の子に癇癪を起こさせないで楽しませるには」

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