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発達障害の二次障害により小児うつ病と診断された長女

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今年20歳になる長女が発達障害だと診断されたのは5歳のときでした。
それまで同じような行動を繰り返したり、何時間も同じアニメを見たりと興味の偏りがみられました。
一番大変だったのは、外出先での落ち着きのなさでした。
一歩外に出ると弾けたパチンコ玉のように落ち着きがなくなり、母である私のことも一切気にせず、向こう見ずで、どこまでも走って行ってしまいました。
そういう状況ですので、当然周囲の状況を見たりといったことが全くできずに、スーパーに行けば床に寝そべったり、健診会場に行けば自動ドアを潜り抜けて外へ行ってしまったりと、常に手を繋いでいなければ行動の統制が難しい状況でした。
5歳のときにPDD(広汎性発達障害)との診察を受けましたが、母方の両親が発達障害への理解がなく、また自分自身も母子家庭で忙しかったため、十分な療育を受けさせることができませんでした。
その頃、娘は保育園に通っていましたが、病気をすることが大変多く、体温調節なども苦手でした。
後に、集団生活でストレスがかかり病気になってしまっているのだと気がつきました。
娘は、それ以後もずっと集団生活が苦手で、小学校に上がっても困惑することが多かったと本人は話しています。

就学後の苦難

小学校入学後は、落ち着きのなさは徐々に落ち着いてきましたが、人との会話がオウム返しになってしまっていたり、相手の言っている意味が理解できないまま会話をしてしまうといったことが続いていました。
しかし、日々の忙しさもあって、それでも私は彼女に特別な療育を受けさせようとはこの時点では思ってはいませんでした。
周囲の人間の、彼女は普通である(少なくとも表面上はそう見える)という評価に押されていたのもあると思います。
中学校に入学すると、次第に問題は深化していきました。
集団への馴染めなさと学習の負担が彼女に重くのしかかったのです。
さらに、ちょうど私がその頃、私が
再婚したこともあって、発達障害である彼女は大きな混乱を抱えることになります。
表面上は全く波が立っていないように装って「お利口」な態度を見せる一方、場にそぐわない言動や表情(猿のような顔で相手を威嚇したりする)をすることも目立ち、彼女なりに苦しんでいたのだと思います。
事実、今彼女は相手の話を聞くときの態度や表情、自身の振る舞いについて、今でもかなり気を配っているそうです。

学習の障害は彼女の発達障害の中でも目立っている部分でした。
特に英語の学習が大変苦手で、それを強いられることに強い苦痛を感じていました。
しかし、長女は普通学級に通っていたため中々特別なフォローは受けられない状況でした。
先に挙げた人間関係の苦手さ、集団への馴染めなさに加え、こうした学習に対する頓挫があり、ついに娘は学校に行けなくなってしまいました。
ちょうど中学三年生になる頃です。
精神科に連れて行くともともとの発達障害に加えて小児うつ病と診断されました。
医師から言われたわけではないですが、この小児うつ病は恐らく発達障害の二次障害によるものだと思います(当時は発達障害の知識を持つ医師が少なく、診断することが難しかったのかと感じます)。
しかし、このようなことがあっても学校の先生含め周囲は彼女の障害に理解を示してはくれませんでした(唯一再婚した父親だけは深く理解しようと努力してくれました)。
なぜ、学校に来ることができないのか、理解できないという様子でした。

誰でも療育を受けられる社会へ

結局、娘は中学卒業まで登校できず、通信制の高校に通うことになりました。
今にして思えば、娘にきちんとした療育、それも早期の療育を受けさせてあげることができれば、またその環境があれば、もっと社会の中で生きやすくなったかもしれません。
社会福祉が発展し、療育の手が差し伸べられても、家族の協力が得られない、家庭の状況が悪いなどの理由で、与えられるべきはずの療育が与えられないことは、決して娘だけの例ではありません。
娘の、健常者とは違った苦労、生き方を見ていると、誰もが望んだときに療育を受けられる社会であって欲しいと強く望んでなりません。
そのためには、発達障害をもつ子の親、家族、または、障害と縁遠い一般の人々も、発達障害についてもっと関心をもって、理解を示し、社会全体で受け止めていく気持ちが必要なのだと思います。

[参考記事]
「発達障害の「二次障害」とは何か。放置すると大変なことに」

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